報告と謝辞 プログラム統括責任者 盛田 常夫
「コバケン」こと、小林研一郎が指揮者としてのデビューを果たして今年で40年。1974年5月に開催された第一回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝した小林の指揮者人生は、まさにここブダペストで始まった。デビュー40年の今年は、3月から4月にかけて、小林が5つのオーケストラを指揮する、ブダペストと地方3都市で7つのコンサート・シリーズで節目を祝うことになった。 3月14日のマーラー「復活」(国立フィル・国立合唱団)に始まり、19日(ブダペスト)と22日(ペーチ)のオルフ「カルミナ・ブラーナ」(ハンガリー・ラジオフィル、ラジオ合唱団・児童合唱団)、26日のべートーヴェン「交響曲第9番」(リスト音楽院学生オケ・合唱団)、30-31日のべートーヴェン「第3番英雄」(ジュール・オケ、ショプロン、ジュール)、4月3日のベルリオーズ「幻想交響曲」(MÁVオケ)で終わった。この最後のコンサートでは、和太鼓グループ(清帰途太鼓)の参加をえて、小林作曲「パッサカリア」より「夏祭り」がアンコール曲として演奏され、オーケストラの打楽器と和太鼓の競演で、歓喜と大声援の中でコンサート・シリーズを終えた。
この記念コンサートは1年以上前から準備され、各オーケストラ、芸術宮殿、リスト音楽院の共催として実現したもので、コンサート開催にあたり、多くの方々に協力をいただいた。 何よりもまず、MÁVオーケストラ代表レンドヴァイ・ジョルジュ、国立フィル代表コヴァチ・ゲーザ、芸術宮殿プログラム制作部長バートル・タマーシュには、企画当初から各オーケストラとの日程調整で奮闘していただいた。リスト音楽院バッタ学長には春の音楽祭の日程をやり繰りしてもらい、会場確保にこぎつけた。コヴァチ・ゲーザとは、彼が1994年に旧国立フィル(ÁHZ)代表に就任して以来の友人だが、小林研一郎は音楽監督を辞めた経緯から、長い間、国立フィルを指揮することがなかった。10年以上の歳月を経て、漸く国立フィルとの共演が実現したことを喜びたい。オーケストラや合唱団もたいへんな喜びようだった。小林研一郎にとっても、再び国立フィルとの新しい関係が構築できるきっかけとなった。今年6月の国立フィル日本公演実現に際しても、小林と国立フィルの関係修復が新たな一歩を踏み出すものになった。
コンサート・シリーズの統一プログラムを制作するにあたって、ハンガリー日本商工会より寄付をいただいた。ここに記して感謝したい。プログラムに使用した写真はMTVAから無償で提供していただいた。また、日本大使館にはコンサートが終わった4月7日に、大使公邸にて、音楽関係者を招待したレセプションを開いていただいた。ここに記して、お礼申し上げたい。
小林研一郎が優勝した国際指揮者コンクールは、MTV(ハンガリー国営テレビ)が主催したものである。今次のシリーズ開演にあたり、MTVA(ハンガリー国営放送ホールディング)社長から祝辞をいただいたいのは、そういう理由からである。また、スポンサーがつかない番組制作を渋っていたMTVAも、社長の祝辞があってから番組制作に動き出し、漸く最後のMÁVコンサートのゲネプロから撮影を開始し、小林との長時間のインタビューや、大使公邸レセプションの撮影を行い、5月3日にM1チャンネルで小林研一郎のドキュメンタリー番組を放映することになった。 各コンサートの合間に、新聞社やテレビ局、ラジオ局からのインタビューがあり、TV2のニュースステーション「Tények」にもゲストで迎えられ、キャスターのアンドル・エーヴァとの20分のインタビュー収録があった。Népszabadság紙には大きなインタビュー記事が掲載され、クラシック・ラジオとのインタビューもあった。 NHKのウィーン支局からは3月14日のコンサートに記者が派遣され、写真付き記事がインターネットで配信された。また、共同通信社もウィーンから記者を派遣し、配信記事が日本の各紙に掲載された。 ハンガリーの政治家にクラシックファンは多い。今回は総選挙直前だったために、首相の姿は見られなかったが、アーデル大統領夫妻が文化大臣夫妻とともに、3月26日のリスト音楽院でのコンサートを鑑賞された。大統領が鑑賞される時には午後から会場周辺の交通規制が行われ、指揮者を乗せた車も会場に近づけない。このような本末転倒した現象は何とかならないものかと思う。 翌3月27日には、アーデル大統領夫妻が大統領公邸に小林夫妻を夕食に招かれ、邸内を案内された。政党活動から解放されているので、この時期、大統領には時間の余裕があるということだった。小林夫妻の公邸到着時にHír TVのインタビューが行われた。
今次のコンサート・チケットは発売とともにほぼ完売となり、コンサートが始まる数ヶ月前から入手不能であった。とくに地方公演のチケットの入手は困難で、指揮者用に確保された招待チケットを、各地方都市に在住されている邦人の方々にお渡しして喜んでいただいた。また、MÁVコンサートは年間会員優先のコンサートのために、一般販売向けのチケットがなかった。そのため、ゲネプロを公開して、音楽ファンの要請に応えることになった。とくに宣伝されたわけではないが、600名ほどの聴衆がゲネプロを鑑賞するチャンスが与えられ、小林研一郎もその聴衆の熱意に応えて、プログラム全曲を披露した。コンサートより充実した内容になった。 MÁVコンサートが終わったところで、MÁV(ハンガリー国有鉄道)総裁から、「国鉄総裁賞」が授与された。小林にとって、「国鉄総裁賞」は、国立フィルオーケストラ桂冠指揮者、ハンガリー文化大使、リスト音楽院名誉教授に次ぐ4つ目の称号となった。
小林人気を改めて再認識したハンガリーの各オーケストラは、来年だけでなく、再来年もコンサートの企画を提案してきている。とりあえず、来年は5月の最初の3週間に、ブダペスト、ジュール、ヴェスプリームでコンサートを開催する予定である。 今後とも、在留邦人の皆さまの温かいご声援をお願いしたい。