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視野が大きく広がったブダペスト留学
コルヴィヌス大学 経済学部
大渕 唯太
私は日本からの交換留学生として、約1年間コルヴィヌス大学に留学をしていました。ブダペストでの1年間の留学経験は、私の人生においてとてもかけがえのない経験となりました。
留学先としてハンガリーのコルヴィヌス大学を志望した理由は、旧共産国の経済・政治・社会体制に興味があったためです。マルクス・レーニン主義を国の中心に掲げ、冷戦が最も過熱した時代には世界の半分を席巻するほどにその勢力を拡大した社会主義圏ですが、20世紀の終盤にはソビエト・東欧諸国の崩壊や社会主義を掲げる国々の政治・経済体制が刷新され、社会主義計画経済を掲げる国は全く消え去ってしまいました。なぜ社会主義計画経済はその運営に失敗し、一方で民主主義市場経済は一応の成功を得たのか、それらの理由を学んでみたく、コルヴィヌス大学に留学をすればそれらに関連したことを勉強できるのではないかと考えハンガリーへの留学を決意しました。
コルヴィヌス大学では資本主義と社会主義の構造の違いを比較する授業や、旧東側諸国が運営をした社会主義がどのような構造的欠陥により崩壊をしたのかを分析する授業などを履修しました。コルヴィヌス大学での授業はどの授業においてもレベルは高く、英語が満足にできない私にはひとつひとつの授業の予習・復習が非常に大変でした。ヨーロッパの学生は授業を受けるということに対して常に能動的であったので、私も彼らの勉強に対する前向きな姿勢を見習い、授業で分からないことがあった場合には積極的に教授に質問をするように心がけていました。私がご鞭撻をいただいたハンガリー人の教授たちはどの方も非常に気さくな方で、質問にも丁寧に答えていただけましたし、授業の内容も学生が興味を引きやすいように工夫されているように感じました。
留学中には同じくコルヴィヌス大学に留学をしている留学生たちと交流をするため、台湾人の友達と一緒にESN(エラスムス・スチューデント・ネットワーク)主催のイベントに参加しました。私はブダペスト市内にアパートを借りて、そこで1人暮らししていたのですが、ESNのイベントでは1泊2日などの泊まり込みで旅行に行くイベントなどがあり、様々な国の留学生と同じ部屋で肩を並べて寝たのは良い思い出になりました。私以外のESNグループとしての留学生は大多数がハンガリー以外のヨーロッパからの留学生でした。しかしその中でも英語をネイティブとして話すイギリス人やアメリカ人は少なく、ドイツ・オランダ・フランスなど英語を母国語としない人が多く、それぞれ自分の母国語のイントネーションに引っ張られた英語を話していたため、ヒアリングに苦労しました。とはいえ、私も「ジャパニーズ・イングリッシュ」で喋っても問題ないという気持ちが持てたため、下手な英語でも喋りやすかったのを覚えています。英語は英米人と話すためだけの言語なのではなく、世界中の人々とコミュニケーションを図るための「世界共通語」なのだと改めて認識しました。
また、私は留学中に様々な国を訪れました。私が旅行をする際には、何か1つ自分の中でテーマを持って国々を訪れるように心がけていました。私は高校生の頃から、思想・宗教・民族対立から起こる紛争または戦争に大変興味があったので、旅行に訪れる場所もそれらのテーマに沿った痕跡や実情を勉強できる場所を選んで旅行しました。ドイツ・ベルリン、ポーランド・アウシュビッツ、ボスニアヘルツェゴビナ・サラエボ、ウクライナ、セルビア、古代ギリシャ文化・思想への興味のためにギリシャなどへ旅行しました。これらの国と地域は歴史の混乱の中で様々な思想・宗教・民族対立の渦中に立たされてきた国々です。四方の国土が海で囲まれており、ほぼ日本民族のみで社会が構成さえている日本で育った我々にはなかなか理解がし難い感覚ですが、ヨーロッパの国々は領土が他国と陸続きであるため、今も昔も民族対立や思想的・宗教的相違に起因する領土紛争や政治的対立が度々起こっています。それらの内情を少しでも理解したいと考え、実際に訪れてみるのが一番の近道であると思って旅行をしていました。ハンガリーというあまり日本人に馴染みのない国を留学先に選んだのも、東西冷戦という米ソ対立の枠組みの中で、ハンガリーが東側の陣営として組み込まれていた過去があり、その歴史や実情を深く知りたいと思ったためです。
ほとんどの場所を1人旅で渡り歩きましたが、1人旅の醍醐味は何といっても「現地の人たちとの交流」にあると思います。自然と現地の青空市場の店員や街を歩いている人に喋りかける機会も多くなっていきます。アジア人が珍しいのか「どこから来たんだ?」といった具合に街の人が喋りかけてきてくれて、そこから会話に発展していくケースも多かったです。1人旅の中で私は多くの人たちと出会い、そして助けられてきました。滞在先の国々ではホテルではなくホステルを使用することが多かったので、ホステルの中で他の旅行者と知り合いになることもよくありました。ベッドに寝転がっているうちに対面のペルー人と仲良くなって一緒にベルリン観光をしたのはいい思い出です。
また、ギリシャでは「ペラ」という北部の田舎町のバスターミナルで、都市に出るための1時間に1本出るか出ないかというシャトルバスを乗り過ごしてしまい、無人のバスターミナルのベンチで途方に暮れていたところ、ギリシャ人のおじさんが、「テッサロニキまで行きたいのか?なら俺もそこに行くから乗せてってやるよ!」と片道1時間近くある道をおじさんの車で乗せて行ってくれたりもしました。もちろん無料です、お金はとりません。おじさんは自分の息子が学校?の徒競走で1位をとって、その時に彼が貰った金メダルを僕にとても嬉しそうに見せてきてくれました。「父親って世界中どこにいってもそんなに変わらないんだな」と心の中で思いました。私もおじさんも英語はあまり上手く喋れませんでしたが、とても心が温まる経験でした。おじさんと別れる際に名前を聞き忘れてしまったのが今となっては心残りです。
今、改めて留学を振り返ってみると、この1年間で自分の見聞が大幅に広がったことを実感しています。また、海外から日本と言う国を見つめなおしたことによって、日本の持つ良い部分、反対に改善すべき部分を発見することができました。このようにハンガリーという国に留学を経験したからこそ得ることができた「海外から見た日本」という観点を、これからの自分の「強み」または「一種のスキル」として活用していければと考えています。同時に今後はハンガリーで学び得た貴重な経験を自分の糧として一層努力し、日本と世界を経済や文化といった面で繋いでいくお手伝いをしていきたいと思います。
(おぶち・ゆいた コルヴィヌス大学 経済学部)
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Web editorial office in Donau 4 Seasons.