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夢への道のり
リスト音楽院オペラ科
吉田 真樹子


 
 

 私がハンガリーへの留学を決めたのは2010年の冬のことでした。音楽大学3年生だった時、リスト音楽院より講師を招き、声楽の特別講習会が学内で行われました。この講習会で指導して下さったのが、現在の師匠メラート・アンドレア先生でした。私が通っていた音楽大学は以前よりリスト音楽院と関わりがあり、ピアノをはじめ管楽器の教授が指導にいらしていました。声楽の講習会は数年に一度という形だったので、大学在学中にメラート先生に出会えた事は本当に機会に恵まれたと今でも思います。
 講習期間中、私は数回にわたりメラート先生のレッスンを受けることができました。普段、受け慣れない外国の先生のレッスンに緊張していた私を先生は面白おかしく冗談を交えながら、且つ分かりやすく適確に指導してくださいました。体の使い方から発声方法、技術的な事をいろいろな方向から指導していただき、とても刺激を受けました。もしチャンスがあるのなら、先生の下で学びたいという気持ちも芽生えはじめました。
 講習会終了時に先生から今後の進路について質問され、大学卒業後お金が貯まった時点でヨーロッパへ留学したい旨を伝えました。その話を聞き先生がおっしゃったことは「お金が貯まるまでの時間がもったいない。外国で学ぶ意思があるのなら、卒業後すぐに留学した方がよい」との事でした。さらに先生は留学の手助けもする、とおっしゃってくださり、今までぼんやりと考えていた留学が一気に現実味を増したのでした。その後、すぐに大学の恩師や両親に相談し、メラート先生のおっしゃった通り卒業後すぐに留学することにし、自分がどこまで出来るのか挑戦しようと思いました。
 子供の頃からクラシック音楽に触れる機会に恵まれた私が音楽を学び始めたのは20歳を過ぎてからでした。もともとミュージカルや舞台の世界に興味をもっていた為、いつか自分も舞台に立ちたいという夢を抱いていました。ミュージカルには歌・ダンス・お芝居の三つの要素が必要であり、クラシックバレエを習っていた私は歌も本格的に学ぶ必要があると思い音楽大学で声楽を専攻したのでした。大学に入学してからは自分の知識の少なさや、経験不足を痛感しながらもクラシック音楽に魅了され、悪戦苦闘して4年間をやり遂げました。大学卒業が近づくにつれオペラ歌手に憧れるようになり、異文化や多くの作品が作られたヨーロッパの地に大変興味を持ち始めたのが留学を思い立ったきっかけでした。
 留学を決意してから1年半は、留学準備と大学の最終学年ということもあり、慌ただしくアッという間に過ぎていきました。そして、いよいよ2012年6月にハンガリーのペーチ大学へ入学試験を受けに来ました。当時の私は英語もハンガリー語も話せる状態ではなかったので、1年先にハンガリーへ留学していた先輩や通訳してくれるハンガリーの方にたくさん助けていただきました。一人行動が必要だった時は会話帳とガイドブックを肌身離さず持ち、つたないハンガリー語で地元の方と会話していました。地元の方々は文法や発音がめちゃめちゃでも私のハンガリー語を汲み取ってくれ、アジア人・日本人に対してとても興味を持っておられるのかよく話かけてくれ、とても友好的な印象をうけました。
 初めての海外生活、初めての一人暮らし、親元を離れて解放感に浸り楽しい反面、孤独も感じていました。そんな私を先輩留学生は気にかけてくれ、生活の知恵や悩みなどよく聞いてくれました。
 入学試験が終了すると9月の新学期が始まるまでは、ハンガリー生活に慣れるため日本へは帰らずそのまま滞在していました。その間にハンガリーの北地方で行われた2週間の夏期講習をうけました。少し一人暮らしに慣れた頃に参加した講習会では、一気にたくさんの人と会話する機会が増えコミュニケーションに大変苦労し、自分の語学力の低さを痛感しました。2週間の講習会は外国に不慣れな私にとって過酷なものでしたが、新たな課題の発見や初めてオペラにも出演し自分を見つめなおす良い機会となりました。
 心機一転9月から始まるペーチ大学での日々に向けて意気込んでいた矢先、メラート先生がリスト音楽院の教授に就任せれるという話を聞きました。メラート先生の下で学ぶというこの留学の目的の一つを失い、しばし絶望感を味わいました。しかし、メラート先生はリスト音楽院への編入または入学を希望する門下生を手助けしたいということでしたので、すかさず私はリスト音楽院への入学を希望しました。
 リスト音楽院の声楽マスタークラスは。オラトリオ科(宗教音楽や歌曲)とオペラ科があり、オペラ科へ入学することになりました。オペラ科で過ごした2年間もまた濃密なものでした。最初に驚いたのは、1週間に行われる声楽のレッスンの多いことです。メラート先生とのレッスンが週2回、コレペティと言われるピアノ伴奏兼発音や曲の内容を指導してくださる先生とのレッスンも週2回。日本ではコレペティの先生はおらず、声楽の先生とのレッスンが週1度でした。レッスン以外にも演技の授業・自分の声とキャラクターにあったオペラの役を学ぶ授業がそれぞれ週2回あり、1週間ほぼ毎日歌うという日々を過ごしていました。課題をこなすことに精一杯で体力的にも大変でした。歌いすぎて喉に違和感があったとき、コレペティの先生からアドバイスをいただきました。それは、「いかに声を使わず賢く練習するか、声を出すことよりも頭でイメージすることが大切だ」という事でした。体が疲れているのに無理に歌うことで喉にも負担をかけ、また間違った発声法などを体は覚えてしまい、それを正すにはまた新たに時間を設けなければならないとう悪循環になる為、練習法には細心の注意が必要との事でした。それまで我武者羅に音楽に取り込んでいたので効率の良さなどを考えたことが無かった私にとって、とても理にかなっていて新鮮でした。

 


 
 
 オペラ科の実技試験はコンサート形式で行われる声楽の試験と一つのオペラ作品を公演するオペラ試験の二つによって評価されました。特に思い出深いのは、オペラ試験についてです。試験までの約1カ月間は週5日、1日8時間の稽古が行われました。私と先輩留学生以外はみんなハンガリー人だったため、演出の先生も英語とハンガリー語を交えての指導でした。この稽古期間中たくさんのハンガリー語に触れることができ、語学の上達にもつながりました。オペラ試験は学外から指揮者の先生とプロのオーケストラの演奏の下で行われ、学生の試験といえども衣装担当者や演出助手など沢山のプロフェッショナルな方々と関わりながら本格的に作品が作られました。2度目のオペラ試験の時はハンガリー国立オペラ劇場にて行われ、カリキュラムの一つとしてでもオペラ劇場の舞台に立てたことは、本当に夢のようでした。
 また、日本ではなかなか出来ないこのような事を在学中の2年間で4度も体験できたことは本当に貴重な経験となり幸せを感じました。
 学校のカリキュラムだけでも充実したものですが、ハンガリーには有名な演奏家も多く訪れるため、この4年間でたくさんのコンサートやオペラ・バレエの作品を見ることができ、つくづく芸術に触れるのには本当に良い所だなと思いました。
 この留学にあたりハンガリーや日本の先生方を始め先輩留学生の方々、同期、友人、家族などたくさんの人々に支えられました。特にコレペティの先生には、公私ともにお世話になりました。経験豊富で知識も豊かな先生は、時に母親のように私たち留学生を支えてくださり、メラート先生に次ぐ影響力のある方でした。
 リスト音楽院に入学したころ、学校の授業も忙しく新生活に順応するのに苦戦していました。自分のペースをつかめず、レッスンで指導して頂いたこともなかなか消化できない日々が続き、ヤキモキした気持ちと自信喪失とホームシックになりました。留学の大変さを身に染みて感じていた頃、そんな様子を見守ってくれていたコレペティの先生は、自宅へ招いてくださり自信を持つためのアドバイスを与えてもくれました。このように外国の地でとても可愛がってくれる方が現れるとは思ってもみなかったので、改めて自分の置かれた環境がとても恵まれているのだなと思い幸せに感じました。
 
 マスターを卒業してからの2年間はパートタイム生として在籍し、挑戦してみたかった曲に取り組み、
学外のコンサートやコンクールにも参加しました。どれも振り返れば貴重な体験です。
 まもなく私は日本へ帰国しますが、日本での声楽歌手の就職はなかなか難しいため、再びヨーロッパへ職を探しに来たいと思っています。まだまだ夢実現への道のりは長いですが、ハンガリーで学んだことを糧に今後も地道に頑張っていこうと思います。
(よしだ・まきこ)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.