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ハンガリーで医学を学ぶ
セゲド大学医学部
佐藤 英之 |
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ハンガリーでの生活ももう少しで丸5年となります。1年間のブダペストでの大学へ入るための準備コースに通ったあと、セルビア・ルーマニアとの国境近くのハンガリー第3の都市セゲドのセゲド大学医学部へ入学し、早いもので現在4年生が終わり卒業まで残すところあと2年となりました。
これまでのハンガリーでの生活を振り返り残念に思うことは、せっかくハンガリーにいながらハンガリー人の友達がほとんどいないこと、そのせいもあってかハンガリー語も全く上達せず、人・文化・歴史・生活など知らないことだらけです。それからハンガリー国内をあまり見て回ったこともありません。 |
これまでのハンガリーでの生活を振り返り残念に思うことは、せっかくハンガリーにいながらハンガリー人の友達がほとんどいないこと、そのせいもあってかハンガリー語も全く上達せず、人・文化・歴史・生活など知らないことだらけです。それからハンガリー国内をあまり見て回ったこともありません。
これまでは、自分がハンガリーに来た目的は医師になるためであり、しかもハンガリーの医学部で日本人が勉強するというほぼ前例がない状態で、できる限りの時間を自分の勉強のため、同じ目標をもってやってきた同期・後輩のために奮闘してきました。セゲドでは今ではもう50人を超える日本人医学生がそれぞれの目標のため、15カ国以上の国の学生とともに切磋琢磨しています。
また、ご存知の通りハンガリーは立地が良いため、これまで勉強から離れられる少ない時間を利用して17カ国40以上の都市を旅行してきました。しかしハンガリー国内はブダペスト・ペーチ・セゲドと入れても7都市しか行ったことがいったことがなく、今後はもう少しハンガリー国内へ目を向けてみようと思っています。
ハンガリーは知れば知るほど興味深い国です。もともとアジア出身ということで赤ちゃんには蒙古斑があるとか、初代王のセント・イシュトバーンはキリスト教を国教としたものの、贈られた王冠の十字架が斜めに曲がってしまってもそれが正しいものだと思い、未だに曲がったままの十字架が国章として残っているとか。医療分野に目を向けると、まず我がセゲド大学の学長であったセント・ジョージ・アルバートはパプリカからビタミンCを抽出しノーベル賞を受賞しましたし、ゼンメルヴェイス大学の名前にもなっているゼンメルヴェイスは細菌の存在がまだ明らかでない時代に、産後におこる感染症である産褥熱が医療者の汚い手、あるいは汚い医療器具が原因であると考え、現在では当たり前となっている消毒の概念を提唱した人です。またエイズ患者に起こりやすいカポシ肉腫という悪性新生物の一種はカポシュヴァールの医師の名前がついた病名です。これらはほんの一部ですが生命科学・医療分野の中にハンガリーの偉大な歴史を垣間見ることができます。
しかし、大学で勉強していて思うことはこの国の貧しさです。基礎医学分野では日本をはじめ様々な国で研究に携わった方々も多くレベルは決して低いものではないのですが、いかんせん器具や研究・教育に必要な費用が確保できず苦労しているように思います。臨床医学では、病院の建物は歴史があるといえば聞こえはいいですが、近代医療を行うためにはお世辞にも快適な構造とは言えません。かといって全面的に建て直すお金もないというのが現状でしょう。検査や治療に必要な器具類も足りませんし、お金の問題で検査や治療が最小限に抑えられることも多いようです。
しかしそのお陰でいい点もあります。まずドイツ語・英語コースをつくり外国から学生を呼んでいることです。この授業料などが大学の重要な収入源になるわけですが、そのおかげで今私はここにこうしているわけで、色々な国の医療事情から生活・文化など友達とのちょっとした会話が国際交流になります。また日本のように医療に無駄があまりなく、実にシンプルで理論的です。それからハンガリーの医師免許は今ではEU共通のものとなり、それは私達には非常に魅力的なものではありますが、それはより医療水準の高い西欧諸国で働きやすくなったことで、ハンガリー人の医師の流出を加速させた結果、人材不足にも苦しめられています。しかしそれが若い医師の技術の高さや経験の多さにつながっていると思います。
私はあと2年で卒業し、日本へ戻り医師となる予定ですが、偉大な歴史や良い点・悪い点も合わせて、ハンガリーで学んだことを少しでも日本の医療へ持ち帰り、医療崩壊が叫ばれる現在の日本の医療界に、ハンガリーから始まりベルリンの壁崩壊へとつながった汎ヨーロッパピクニックのように、多少なりとも私のできる範囲で日本の医療・医学教育がよりよい方向へ向かっていけるよう貢献していけたらと思っています。 |
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