|
|
日本を出て医学を学ぶ
俣野 貴慶 (センメルワイス大学) |
|
|
医師になることを決心したのは、今から8年前、15歳の時です。子供のころから病気や怪我が多く、医師が人一倍身近だった僕にとって、それは極めて自然な選択でした。喘息の発作が出た時も、ラグビーで怪我をした時も、大病にかかって生死をさ迷った時も、いつも隣には医師がいました。いつしかその白衣に憧れるようになり、今度は自分が苦しんでいる人を助けたいと思うようになりました。 |
|
|
|
|
初めは日本の医学部を目指して勉強していましたが、卒後海外で最先端の医療を学び、日本に帰って活躍している医師の本を何冊も読んでいるうちに、いつか自分も海外に出て医療をやりたいと思うようになりました。そのためには医学だけでなく、専門性の高い英語力も必要になってきます。ならば大学から海外に出てみてはどうだろうか。何か効率のいい方法はないかと考えている時に、ふと出逢ったのがハンガリーの医学部でした。日本の医学部を卒業して海外に出る医師はいても、海外の医学部を卒業して、腕を磨いて日本に帰ってきた医師は聞いたことがありません。誰も試したことのないことに挑戦できる。その無限の可能性を追求し、かつて誰も走ったことのない道へ進むことで、閉ざされかけていた視界が一気に広がりました。 |
|
僕が在籍するセンメルワイス大学には、英語・ドイツ語・ハンガリー語の3コースがあり、およそ35ヵ国から学生が集まってきます。英語コースに在籍する学生は皆、母国を出て学びに来ており、勉学と真摯に向き合っている人が多いです。豊かなのは国際色だけではありません。看護師や薬剤師などの医療職を経て来る人、5ヶ国語を話す人、アメリカやイギリスの名門大学を卒業して来る人、国が定めた兵役を経て来る人など、個性豊かな仲間たちと一緒に勉強できることは、この上ない魅力です。クラスメートとのちょっとした会話から、地理や歴史、言語や宗教など、自分の知らない世界をたくさん知ることができます。 |
|
海外で生活する最大の目的は、日本に無いものに心を打たれ、日本を離れて失ったものに気付くことです。海外生活が長くなるにつれて、日本が世界屈指の経済大国であり、いかに便利で豊かな国であるか実感しています。世界を肌で感じることが、日本という国の文化ないしは国民性を、より深く正しく理解することにもつながっていると信じて止みません。 |
|
近年、日本では絶対的な医師不足が盛んに叫ばれており、文部科学省は国公立大学の定員増や私立大学の新設など、頭を捻らせながら対策を講じています。一方ヨーロッパでは、自国で医師不足を解消するのではなく、中欧などの比較的学費の安い国で医師免許を取得し、母国に帰って医師になるという流れが何年も前から定着しています。ハンガリーの医学部を卒業すれば、自動的にEU27カ国で使える医師免許を取得できます。しかし、下手な医療者を世界に輩出することはその国の名が許さず、当然道は険しくなってきます。それは歯科医師や薬剤師でも同様です。ひとつのライセンスを統一することで、医療水準を世界レベルに保っているのです。 |
|
現在、ハンガリー各地で何十人もの日本人が医学を学んでいます。僕たちが日本に帰る頃には、日本人が世界に出て医学を学ぶという道が、より身近なものになってきているはずです。それは必ずや、閉鎖的な日本医療の殻を破る先駆けとなり、日本が世界水準で、本来平等であるはずの医学教育を改革する指標になれると信じています。 |
|
将来、世界各国がもつ優れた医療を日本に還元すると同時に、日本が持つ優れた技術も世界に広めることが僕の夢です。〜Where there is a will, there is a way.〜 |
|
|
|
|