夏休みは日本へ一時帰国し、なつかしい家族や親せき、友人たちと楽しい時間を過ごすことが我が家の恒例となっています。ハンガリーカレンダーで生活する息子にとっては学年を修了し1年間がんばったご褒美であり、わたしたち夫婦にとっては怒濤の日々から完全に解放され、1年間分のエネルギーを蓄える大切な時間でもあります。
そんな中、毎年8月6日は、家族で広島を訪ねます。現在両親は他県に暮らしていますが、広島は私を育んでくれた場所であり、ことに8月6日は特別な日であるからです。
8月6日は、広島の学校は登校日となっているので、町の中ではあまり子どもの姿を見かけません。ある年、わたしたちは小さな息子と一緒に平和の灯の前に並んでいたのですが、あまりにも暑くて、息子が「あつい、あつい」と言ってぐずり始めました。これといった日よけもなく、やっぱりこの列から外れようか、どうしようかと迷っていた時、前にならんでいたおばあさんが、くるりと向いて、「小さいのによく来たね。これを首に当ててごらん」と言って、冷たいペットボトルの水をくれました。
この水は、おばあさんが自分で飲もうと持ってきたものではありません。わたしは知っています。この水は、8月6日「あつい、あつい」と言って、水をほしがって川に向かい、亡くなっていった人たちへの献水にしようとされていたことを。もしかしたら、おばあさんの家族が水を求めていたのかもしれません。仲よしの友だちが、そうして亡くなっていったのかもしれません。または、そのような話を聞いただけなのかもしれません。息子の「あつい、あつい」が8月6日にこだました「あつい、あつい」の叫びに重なったのかもしれないと、わたしには思えてなりませんでした。いずれにしろ、大切な水を見ず知らずの小さい子にくださったおばあさんの姿に、「ああ、これが平和というものなのだ」と思ったことを、今もよく思い出します。
今年も息子に「そんなことがあったね。」と話しました。しかし、当時幼かった彼には、その記憶はどこにもありません。
さて、職場の下駄箱で、かかとがこちらを向いて並んでいる靴たちの中で、わたしの靴は、つま先が前に向いています。青春時代を3年間、広島の女子寮で過ごしましたが、そこでは、靴の入れ方はつま先が前と厳しく指導され、わたしは今でもその習慣から抜け出せずにいます。
その寮は、伝統を重んじる凛とした世界で、中高生が日常を謳歌するには、似つかわしくない場に思えました。掃除は1日2回。「トイレ掃除」は美しさを欠く言葉で禁句であり、代わりに「おすいれん」と言います。布団をしまう時には、縦にたたんでから横折り。さらに、押し入れにならんだ布団は、折った輪のところにひだをとって、シワひとつないようにカバーをなでつけて「布団なおし」を毎朝します。洗濯は、大判のものではない限り、洗濯板で手洗い。壁のフックにあるハンガーにかけた服は背中を手前にかけ、そして袖部分ははみ出さないように壁側へ折り込みます。毎朝、登校後には「お主婦さん」と呼ばれる上級生グループが、各部屋に乱れがないか点検を・・・と、ひと晩飲みながら語り明かしてもまだ尽きないほどの、忘れられない規律がたくさんありました。
ただ、不思議なことに、さほど愉快とは言えない生活の中で身についた習慣ですが、これらは今なおわたしの中に残っています。
「何も覚えていないなあ」と言う息子に、たとえ覚えていなくとも、来年も、再来年も、ずっとずっと、8月6日におばあさんから冷たい水をもらったことを話していこうと思います。8月6日は平和祈念の節目の日であるのはもちろんですが、見知らぬおばあさんが私たち家族に平和を教えてくれた記念日です。今なお、わたしが下駄箱の靴の向きを変えられないでいるのと同じく、繰り返し伝え話すことで、「8月6日は広島にいなくては」という感覚を育み、そして今はもう記憶にないおばあさんのその姿を、思い描き、拡げることのできる青年に息子が育ってほしいと願います。
さて、平和祈念式典には、広島市が各国の在日大使に招待状を送っているそうですが、東京のハンガリー大使館から出席される場合もあれば、やむなく欠席されることもあるそうです。そんな時、大使館からは必ず献花が届けられます。ハンガリーの平和への思いをお手伝いできるならと思い、献花の依頼があった時は、必ず同行しています。平和な国への安心感がないかぎり、わたしのような、いわゆる「国際家庭」が幸せに暮らすのは難しいと思うからです。
日本から離れていると、ヒロシマやナガサキのことを直接に知る機会が少ないかもしれません。今年は、ブダペストでも「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」が開かれています。写真パネルや、被爆者の遺品などが10月31日まで展示されています。この展示は世界各国で、20年以上続いているものだそうですので、在ハンガリーのみなさまも、ぜひ足を運んでみてください。 |