全仏オープンを終えて、テニス界は沸いている。31歳になるナダル選手が全仏10回目の優勝という快挙を達成したからである。一度の優勝ですら至難なグランドスラム大会で、同一大会10回優勝という記録は、今後も破られることはないだろう。
昨年は手首の怪我で精彩を欠き、ナダル選手のキャリアは終わったとみられていたが、見事な復活である。リオ五輪では、錦織選手が手負いのナダルに勝利して、何十年振りだとかで騒いだ日本のメディアはプロテニスの世界を知らない。五輪の大会はエキジビション的な競技だから、マレーを破って金メダルなら少しは価値があったと思うが、銅メダルで大騒ぎするのは見苦しい。
ナダルと同じく、長らくツアーから遠ざかっていたフェデラー選手も、35歳になった今年、全豪オープン優勝で驚かせた。ナダルもフェデラーも、30歳の峠を越し、キャリアの終盤に差しかかっている選手が、圧倒的なプレーをみせている。フェデラー、ナダル、ジョコヴィッチ、マリーは、この十余年間、男子テニス界を支配してきた。それに続く、ワヴリンカ選手も、グランドスタム大会3勝を記録している。これほど力が接近した複数の選手が長期にわたって競い合うのは、非常に希有なことだ。しかも、これら5選手が皆、今年で30歳を超えた。30歳を超えても、若手の追随を許していない。
この5人に続くのが、ラオニッチ、チリッチ、錦織の世代だが、チリッチ−錦織世代とトップ5との年齢差は小さい。このチリッチ−錦織世代を急追しているのが、23歳のティームと20歳のズヴェレフである。ニュージェネレーション(新世代)と呼ばれるこの2人に代表される世代が、次代の男子テニス界を背負うことは間違いない。
チリッチ−錦織世代は下から有望な若手に激しく追い上げられ、上には依然として、とてつもない強力な世代が塊をなして行く手を阻んでいる。チリッチ−錦織世代が「狭間の世代」と呼ばれる所以である。
トップ5のどこが凄いのか
グランドスラム大会を複数回制した選手には、皆、それぞれ他を圧倒する力がある。制球の効いたサーヴィスと速い展開のストロークでハードコートに強いフェデラー、赤土コートで絶対とも言える正確無比のストロークで圧倒するナダル、鉄壁の防御で球を跳ね返しどのサーフェイスでも強いジョコヴィッチ、無尽蔵のスタミナでストローク戦を勝ち抜くマリー、世界一の片手のバックハンドストロークで相手を粉砕するワヴリンカなど、皆、それぞれに独自の武器を持っている。
不思議なことに、このトップ5のなかには、剛球サーヴァーはいない。ワヴリンカのサーヴィス平均スピードは200Km/hを超えるが、ほかの選手のファーストサーヴィスの平均速度は190Km/h前後である。フェデラーはスピードではなく、サーヴィスの制球力で勝負している。ナダルのサーヴィススピードは速くないが、左利きの独特なスピンを効かせたサーヴィスが、リターンを難しくさせている。ジョコヴィッチとマリーのサーヴィスには特筆できる特徴はないが、必要な時に、200Km/h前後のサーヴィスを繰り出せる力をもっている。
トップ5の身体能力もまた、きわめて高い。身長185cm〜190cmで、体重も80kg前後である。これだけの体躯でも非常に俊敏で、足も速く、4−5時間戦っても次の日の試合に勝てる凄いスタミナをもっている。グランドスラム大会は5セットマッチだから、3セットで終わる試合でも2時間前後の時間がかかり、競った試合では3時間を超え、場合によっては4時間を超えることもある。4回戦以降はシード選手のぶつかり合いになるから、優勝するにはここから4試合の長丁場を勝ち抜くスタミナがなければならない。4回戦が始まるグランドスラム大会の2週目は、体の強さが試される場である。
2014年に、錦織選手とチリッチ選手がビッグ4を次々に破って、全米オープン決勝に進出し、世代交代の始まりかと期待されたが、その後はビッグ4の逆襲に加えて、ワヴリンカ選手の健闘で、テニス界は再びビッグ4あるいはビッグ5が支配する世界に逆戻りして、チリッチ−錦織の出番がない。
錦織選手に欠けるもの
史上最高レベルの男子テニス界で、小柄で華奢な錦織選手が3年にわたってトップ10を維持していること自体は驚異である。今以上のランキングや勝利を求めるのは酷なのか、それともまだマスターズやグランドスラム大会でトップを狙える力があるのか。年齢的にも頂点を迎える歳になっているので、皆、そこが知りたいところだ。
トップ100で、錦織選手より背丈が低い選手が何人かはいるが、皆、腕が太く、胸板が厚い。見た目でも華奢な錦織選手が、2mを超える大男を相手にゲームを支配しているのは痛快である。年間を通してツアーを戦う競技で、テクニークだけでなく、体の強さと精神的な強さがなければ、この世界のトップ10に入ることはできない。その意味で、小さな体でトップテンを守っている錦織選手の偉業は称賛してもし切れない。
しかし、2014年全米準優勝以後、今一つ、テニスファンの期待に応えられていない。現状が錦織選手の限界なのか、それともまだトップに食い込む力を出し切っていないのか気になるところだ。全米決勝以後、勝負強さが増し、格下の選手に簡単に負けない勝負強さが備わった。しかし、他方でトップ5の選手にたまに勝つことはあっても、勝ちきれない弱さが残っている。今年に入って、サーヴレシーブも、ストロークも、以前より下手になったように感じるのは私だけだろうか。
さらに、昨年来、調子が良い時と悪い時の状態が極端になってきた。それは一つの試合の中で言えることだ。調子が良いときには、まさにナダルのように相手を圧倒し、まったく寄せ付けないが、その後は人が変わったように、凡ミスを繰り返して負ける試合が何度もあった。松岡修造氏を含めたテニスの専門家は、これをメンタル的な弱さだと指摘するが、そうは思わない。メンタルな部分より、フィジカルな弱さが、不安定な試合の原因だと思う。
錦織選手の体の強さを測る指標の一つが、サーヴィススピードである。とくにスピードが速いとは言えないトップ5の選手に比べても10−15%は遅い。ファーストサーヴィスは遅くても叩かれることは稀だが、セカンドサーヴィスの遅さは致命的である。相手選手は錦織選手のセカンドサーヴィスを狙っているから、セットを締めるはずのサーヴィスゲームを簡単に決められない。それが錦織選手の試合時間を長くしている。
長時間のテニスの試合では、どの選手でも体調が上がる時間帯と下がる時間があるが、その波を小さくするのが体の強さである。トップ5の選手はこの波を小さくする体の強さがある。これにたいして、錦織選手は競ったセットを失った後のプレーが脆(もろ)くなっている。メンタルな部分はもちろんあるが、メンタルを支える体の強さがないと考えるべきだろう。トップ5の選手に比べて、体躯と体の強さに欠ける錦織選手のスタミナ切れが早い。
小さな故障や怪我が多いのも、錦織選手の体の弱さを教えている。競ったゲームが続く度に、股間接、脇腹、腰、手首を痛め、メディカルタイムをとり、最後には負けるというパターンが続いている。他の選手も怪我で悩まされているから、体が小さい錦織選手が怪我をするのも仕方がないが、トレーニングを工夫して、怪我の予防に努めることができないのだろうか。フィズィカルトレーニングを担当するコーチもいるはずだが、もう少し体幹を鍛えて簡単に壊れない体を作れないのだろうか。
体が強くない錦織選手が、相手選手より先にスタミナ切れを起こしたり、痛みを感じてしまったりしたのでは、トップ5の壁を破ることはできない。一時的にトップ4にランクインしたことはあるが、長期にわたってビッグ4に食い込んだことはない。しかし、強固な体躯のある選手が多数を占める現在のパワーテニスの世界にあって、体のハンディがある錦織選手にそれを求めるのは無理なのかもしれない。それでもテニスファンは、錦織選手がもう一回り強くなって、マスターズを制したり、グランドスラムを制したりする日が来るのを楽しみにしている。そのためにも、もう一段、体の強さを高めて欲しい。それができなければ、今以上の活躍を期待するのは難しい。 |