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競技かるたの世界へ
Szabo Péter


 競技かるた。昔の日本の時代感溢れる小倉百人一首を用いた活動です。文化活動や伝統の保護という側面もありますが、一方で高度な瞬発力や記憶力や精神力が必要な競技かるたはスポーツとしても取り組まれています。
 私が競技かるたと出会ったのは、「ちはやふる」というアニメのお陰でした。その時は、ルールもよくわからなくて、日本語も勉強し始めたばっかりのころでした。しかし、楽しくかるたをやっている登場人物を見ていると私も楽しくなってきて、「いつか自分もやってみたい」と思いました。その日はあまり遠くないと、その時はまだ知りませんでした。

 
 
 初めてかるたをやってみることができたのはそれからほんの1年後の、2年生の時でした。国際交流基金ブダペスト日本文化センターで日本人の先生がかるたのやり方を教え始めて、みんなで一緒に練習ができる機会を作ってくださいました。そのかるた会に、私も毎月参加することにしました。それまでアニメで見た、わからなかったルールや戦略がだんだんわかるようになってきて、あとは歌を覚えることしか残っていませんでした。ちなみに、私の一番好きな歌は8番目の歌です。理由は単純で、初めて覚えた歌だからです。わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
 覚えた時は、まだ意味を知らなくて、ただ歌の響きが気に入りました。どんな意味を持っているかそれからもっと調べると、「私の庵は都の東南にあり、辺りには鹿もいるほど寂しいが、これこの通り静かに暮らしている。それなのに人は私を世の中をつらいと思って宇治に遁れていると言っているそうだ」(https://www.shig.ureden.or.jp/about/database_03.html?id=8)という説明が見つかり、ポジティブな意味を持っている歌ではないことがわかりました。だからこそ、他の人はあまり好きじゃないだろうと思って、毎回絶対に取る気で行きます。
 そして、もっと楽しく勉強する為、バイトで頑張ってお金を少し貯めて双子の兄と一緒に百人一首の札セットを買いました。それで、友達と一緒に練習できて、それぞれの歌の意味もわかるようになりましたから、かるたがもっと好きになりました。800年前に生まれた歌が表している気持ちが今でも自分の心に再現されるというのは面白い経験でした。昔の人たちも現代の人たちも、気持ちは同じなんだな、と思いました。そして、覚えている歌がどんどん増えて、ゲームももっと楽しくなりました。
 かるた会の最終回は団体戦が行われると発表されたので、みんなで盛り上がって5人ずつのチームに分かれました。私のチームには、双子の兄と、日本学科で知り合った友達と、2人の日本人がいました。その2人の日本人の方とは大会の日に初めて会いましたが、すぐ仲良くなって、一緒に上を目指して頑張れました。その結果、何と2位という素晴らしい順位をいただきました。その日は今でも大切な思い出の一つです。
 かるた会はこの大会で終わってしまいましたが、秋になったら、大学で競技かるたが好きな先輩が「ELTEかるた部」を創設しました。今でも毎週2回大学で集まって、一緒にかるたをやっています。いろいろ教えてくれる、強い先輩たちもいると同時に、私を少しでも先輩として見てくれる、まだ歌を覚え始めたばかりの人たちもいますから、一緒に時間を過ごすのはとても楽しいです。
 かるたのお陰で新しい友達がたくさんできて、集中力も記憶力も強くなって、日本語も少し上手になった気がします。競技かるたの世界へ入ってよかったと思います。かるたはどんなに楽しいことなのか、できるだけ多くの人に伝えたいですし、かるた部の参加者も増やしたいので、この文章を読んで興味を持ったら、是非「ELTEかるた部」に来てください。私は10月から留学することになりましたから、1年間かるた部の活動ができませんが、絶対に日本でもかるたをやり続けて、大会にも挑戦してみたいと思っています。
「ELTEかるた部」へのお問い合わせはこちらにお願いします。 kyogikarutahu@gmail.com
(サボー・ペーテル)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.