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人生初の手術
盛田 常夫


 この7月に白内障の手術を受けた。ここ数年、メガネなしでも読めた本が読みづらくなり、いろいろメガネを買いなおしてみたが、視力は悪くなるばかり。医者から白内障が進行しているからメガネの買い替えは無駄だといわれた。
 手術を避けていたが、書籍の活字が日増しに読みづらくなり、車の運転にも支障が出てきたので、民間のクリニックで検査を受けた。すぐに手術を要するものではないが、いずれ必要だと診断された。
 そこで、白内障手術の情報を取得し、ハンガリーで定評のあるクリニックを探した。白内障の原因はまだ解明されていないが、水晶体にたんぱく質の濁りができ始め、それを取り除く薬はないから、手術以外に濁りを消すことはできないようだ。長年、PCのモニターを相手に仕事をしてきたからだろうかと考えた。

 振り返ってみると、私がPCを使って原稿書きを始めて33年ほどになる。まだ安価なワープロ専用機器が出回る前の1983年、大学の共同研究室に日本で最初のUNIVACのワードプロセッサー機が1台設置された。当時の価格で200万円ほどする実験機である。8インチのフローッピーディスクが外部記憶媒体で、670KBほどの記憶容量があった。当時、ハンガリー語専門論文の翻訳を行っていたので、願ってもない機械だった。テニス肘で原稿用紙に文字を書くのがつらく、いちいち消しゴムで修正し、再び文章を書き直す翻訳・執筆作業は重労働だった。そこに現れたのが突然現れたのがこの機械だった。これで翻訳作業の生産性が革命的に高まった。
大学の共同使用機器だったが、自分の専用機のように毎日8時間ほど使っていた。この種の機器は使いこなせばこなすほど、使い勝手が良くなる。他方、たまに関心を示す同僚たちが触ってみても、操作や変換に手間取るので、仕事に使うなどとは考えもしなかったようだ。こうして、高価な機器は私が昼夜専用で使う機器になり、およそ5年間で4冊の翻訳書、2冊の共著を仕上げた。叩いたキー数は何十万何百万回になる。
 1988年夏、在ハンガリー日本大使館へ専門調査員として赴任する時には、UNIVACを卒業して、NEC-9800シリーズのパソコンにワープロソフトを載せたものを使っていた。PC本体とモニター、プリンターをハンガリーへ持参した。当時、大使館にはワープロはもちろん、FAXすらなかった。専門調査員としての報告や雑誌原稿、著書『ハンガリー改革史』(日本評論社、1990年)は、大使館勤務時代にNEC-9800から打ち出された。

 さて、肝心の白内障手術だが、今日では眼のレンズにあたる水晶体を取り出し、そこへ人工レンズを入れる手術である。要するに、天然のレンズを破壊して取り出し、アクリル製のレンズを入れる。失敗すれば失明する。
 白内障は古くから知られた眼の病気で、18世紀には水晶体の濁った部分を針で突いて落とし込む手術(墜下法)が試みられた。麻酔なしの手術で、その成功率はきわめて低かった。現代のように眼内レンズを入れ込む手術が最初に行われたのが1949年で、墜下法からこの手術に到達するまで200年を要した。しかし、この眼内レンズの手術が一般に普及するまでに、さらに20年の歳月を要した。レンズの性能(生体適合)やレンズを入れる技術の向上が必要だったのである。
 手術の切り口が大きいと、乱視の後遺症が残る。この手術を革命的に前進させた技術が、超音波で水晶体を破壊し吸引する技術(超音波乳化吸引)である。アメリカの医師によって開発されたこの手法によって、切り口を小さくし、かつ水晶体を簡単に取り出せるようになった。さらに、ここ20年の間に人工レンズの技術が大きく発展し、直径6mmのレンズを3mm程度に折りたたむ技術が開発された。水晶体を取り除いた切り口から、この折りたたんだレンズを挿入し、挿入後にレンズが開くのである。
 この超音波技術とレンズの改良によって、現在は3mm程度の切り口だけで手術が可能になり、手術時間だけでなく、傷口の自然治癒の時間が大幅に短縮された。これ以前は切り口が10mm程度と大きく、両目の手術にはほぼ1ヶ月の時間を要したが、今では連続して手術することが可能になった。私の場合は、左目を月曜日、右目を水曜日という間隔で手術を受けた。感染を防ぐために、1週間は入浴を控えなければならないから、短期間に両目の手術ができると、不便な時間を短縮できる。
 なお、白内障が進行している場合には、水晶体が堅くなっているので、レーザーで事前に水晶体を破壊し、それから超音波による吸引をかけると、手術の後遺症のリスクが小さくなる。これがフェイコ・フレチョップ法(赤星方式)で、進行した白内障ではこの方式が採用される。

 さて、実際の手術だが、1時間ほどかけて、何種類もの点眼を受けた。手術時間そのものは15分程度で痛みはまったくないが、手術中の一瞬、視野が橙色になる。水晶体が取り除かれた瞬間で、そのまま何もしなければ、永遠に視力は失われる。手術が終わっても、瞳孔を開く点眼などで焦点がぼけている。タクシーで家に戻り、それから6〜7時間後にようやく視力が回復した。
 手術前に、埋め込むレンズの種類を決める必要がある。近視だったこれまでのように、手許は眼鏡なしで遠方を見るときに眼鏡をかけるか、それとも遠方を眼鏡なしで手許を見るときに眼鏡をかけるかを選択しなければならない。多焦点レンズも存在するが、今まで慣れた方法、つまり近眼を想定したレンズを選択する方が、手術後の適応が易しい。私は最初から、これを選択する旨を医師に伝え、各種検査で眼内レンズの度数を決めてもらった。

 今、手術から3ヶ月が経過した。昔の眼鏡を取り出し、一番合う眼鏡を使って運転している。きわめて視界良好である。ただ、太陽光が強いと、まぶしさが強く感じられるので、日中の運転でサングラスが欠かせない。書籍を再び眼鏡なしで読めるようになったが、また疲れる感じがする。適応にもう少し時間が必要なようだ。
 巷では白内障手術とレーシック手術が混同されているが、この二つはまったく異なるものである。ミクロンの厚みをもつ6層からなる角膜と凸レンズにあたる水晶体が、眼のレンズシステムを構成しているが、角膜を削るのがレーシック手術、水晶体を人工レンズに取り換えるのが白内障手術である。


(もりた・つねお 「ドナウの四季」編集長)
 
 

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