東京はトキオ、大阪はオサカ
甘利 晴子
ハンガリー語で東京はトキオ、大阪はオサカと言うらしい。現地校で日本の文化を教えるボランティアを始めて2年と少しになるが、授業でこれを聞いた時は驚いた。本当は間違っているけど正しいハンガリー語。言葉や異文化を知ることは面白いと思う。
2014年、夫の仕事の都合で来洪した。こちらに来てすぐに始めたことが、現地校でのボランティアであった。日本人学校と同じ敷地内にあるVirányos校で、小学校3年生を対象に「雛祭り」、「子どもの日」など、季節に合ったテーマで、日本の文化を子ども達に紹介するのが主な活動である。時には折り紙や粘土を使って工作をしたり、ゲームをしたりする。遥か遠いハンガリーという国で、日本語や日本の文化を学んでいる人がいるとは想像もしなかった私にとっては、日本の文化が学ばれているということ自体に大きな驚きを覚えると同時に、とても嬉しい気持ちにさせられた。
Virányos校には、日本語の教科書もあり、「あいうえお」の練習から、挨拶、日本の童謡まで紹介してある。ハンガリーの子ども達が、日本の文化をどのように学び、どのように理解し、どう感じるのか大変興味深かった。
ボランティアを始めた当初は、日本の子ども達との違いに驚かされた。日本の文化を学ぶ子ども達の表情、行動、発言のすべてが新鮮で、心動かされた。「福笑い」をした時には、子ども達は当然の様に、黄色や茶色で髪の毛を描き、青や緑で目を塗りつぶした。日本人にはない感覚にハッとしたのを覚えている。
「お箸」の授業をした時には、持ち方に苦労していた。つかむとなると、さらに難しそうであった。日本では当たり前に使う箸も、こちらでは馴染みのないものであることに気づかされる。反面、私たちが手こずるナイフとフォークは、幼い子が器用に使いこなす。文化の違いは、感覚や表現方法、スキルにも違いを生むことが分かる。
一方、子ども達の内面に違いはない。丁寧に色を塗る子、後先考えずに自由に作る子、おしゃべりしながらマイペースで作業をして間に合わない子、そしてその子を手伝ってあげる子。国籍や言葉が違っても、その様子は日本の子ども達となんら変わりない。日本と同じ様に、いろいろな子がいてホッとする。福笑いを作り終えた後は、二人一組でいざ実践。目隠しを取って大爆笑。お決まりのリアクションも日本の子ども達と同じであった。
教えることにも慣れてきた2年目には、子ども達の興味を惹くものは何かということに気づいた。意外にもそれは「違い」ではなく、「共通点や類似点」であった。
「相撲」を扱った授業をした時、力強く土俵に上がる力士の写真を見た子どもたちは、「レスリング!」と言った。子ども達はいつも、自分たちの身近にあるもの、知っているものに置き換えて新しいことを理解しようとする。その姿は何だか愛おしい。
ハンガリーのスポーツ選手とはかけ離れた体型の力士の姿や、儀礼的な手続きを踏んで行われる取り組みは、子どもたちにとって馴染みがない。しかし、現在日本で活躍しているハンガリー人力士を紹介したことで、子どもたちはその活躍ぶりを知るために、どのような稽古をしているのか、またどのような生活をしているのかを知りたがった。どこかにちょっとした接点を持たせることで、文化はぐっと身近になる。
だからもちろん、雛人形のお内裏様は「キラーイ!」。そして節分の鬼は「ブショー!」なのであった。
3年目になった今年は、日本の文化だけでなく簡単な挨拶や言葉も教えている。授業の導入部分でちょっとした挨拶の練習をしたり、授業で使った言葉について説明をしたりすると、子どもたちは嬉しそうにノートに書き取り、何度も繰り返し読む練習をする。授業の合間や授業の前後でも、積極的に「おはようございます」や「ありがとうございます」の言葉が出てくるようになった。
子どもたち自身も、日本語を使うということに喜びを感じているようであった。
また、私自身も簡単なハンガリー語であれば理解することができるようになってきた。そのため授業の前後や机間指導の際、簡単なハンガリー語を使って会話できるようになった。子どもたちは身振り手振りを交えて、分からないところを聞いてくれる。ハンガリー語を使う私に対して、興味深げだ。私の怪しい発音にクスっと笑い、恥ずかしそうに受け答えする姿は本当にかわいい。互いの言語について少しでも理解しようという姿勢が見られると、自然とお互いの気持ちも伝わってくる。言語理解は異文化理解においてとても意義のあるものだと感じた。
「異文化理解」という仰々しい名前も、現地の子ども達と触れ合ってみると、そんなに難しいことでははいと感じるようになった。単純に「違い」に驚けばいいし、「似てるなぁ。」と、知っていることに置き換えて考えてみるといい。
そして、やはり「言葉」は「文化」そのものである。「言葉」を知れば、「異文化」はどんどん近づいてくる。私が通う近所のスーパーは「Rózsadomb」にある。最寄りのバス停は「Pitypang utca」。それぞれ、「バラの丘」、「タンポポ通り」という意味だ。なんて素敵な名前だろう。言葉が全く理解できなかった私の世界は非常に狭かった。しかし、単語を一つ覚えると世界がどんどん広がっていった。
言葉を学ぶとその国の文化が見える。そして人との繋がりもどんどん広がる。ハンガリー語を教えて下さっている先生、そしてこの国で出会えたすべての人に感謝し、これからもハンガリーの人、文化、言葉にもっともっと触れていきたい。
(あまり・はるこ)
Web editorial office in Donau 4 Seasons.