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ある都市と夢
色平 卓郎


 ついにこの痛い日差しの季節がきた。3年前の夏、初めてブダペストに単身訪れたときのことを思い出す。
 なぜ、この街が、国がこれほどに僕の心を射止めたのか。不思議と当時感じたはずの強烈な印象はあまり思い出せない。ただ、人生で初めて「ここに住みたい!」と動悸を感じたのがこのハンガリー、そしてブダペストだった。きっと、この街をとても「人間くさく」感じたのだと思う。いまそう断言できるのはもちろん、ここに住み始めて10ヶ月が経とうしている今こうして原稿に向かって思い出しているからに他ならないけども。

 3年前、シベリア鉄道の旅を経て、いわゆる「東欧」を見る旅の途中にブダペストを訪ねた。その足でアメリカへ渡り、1年を過ごした。その年の冬休みは単身で1ヶ月、キューバを旅した。なぜ旅をしたか。単に傷心旅行だったとも言える。しかし、その意味と理由をいま改めて考えてみると、日本で概して「社会主義社会」と言われた国々を自分の目で見て歩きたかった。それまでずっと、「社会主義社会」とか「旧東欧」だと、日本で何の不都合もなく使われている一般名詞に押込められた何かを違和感として感じていた。でもそれが何かわからなくて、自分なりに何か新しいものを、人を、社会の在り方を、そして歴史を見て感じてみたいと思った。それ以降、自分と違うけども似てるもの、似てるけども違うものについて考えることが習慣になり、自分が感じた違和感や感動を日記に書くだけでなくて写真に撮るようになった。アメリカ留学から帰国して去年の3月に国際基督教大学(ICU)を卒業、東京外国語大学大学院への進学と休学を経て、いまは中央ヨーロッパ大学(CEU)の修士課程に在籍している。趣味は写真と映画、読書は片手間。専攻はナショナリズム研究とユダヤ史、ということになっている。

 
Faces of the City(ドナウ河と花火を待つ人びと)
 この季節になると嬉しいのは光がよいことで、ニコンFに白黒フィルムを携えて歩くのが楽しい。3年前の夏以来、誰かに説明しようとしてどうしても説明しきれない、自分なりに感じているこの街の「人間くささ」を、写真という眼に訴えかける形でどうにかおさめたくて歩き回る。この、「人間くささ」は南塚信吾氏の書く「都市の夢」にも関連があるかもしれない。南塚氏によれば、ブダペストは二つの「夢」を生きる都市だ。つまり「ドナウの真珠」とも評される独特な個性を遺憾なく発揮したいという「夢」、そしてブダペストを「よそ者の都市」から「自分たちの都市」へと戻したいという「夢」、この二つの「夢」がブダペストの歴史には見られると氏は語る。しかし同時に、南塚氏はいわゆるブダペスト史を単なる「ハンガリー人の首都」の歴史ではなくて、周辺一帯を含む「ドナウ川流域の一都市」の歴史的経験の中にこそ捉え直そうとする。一民族・国家の首都でなくて、他民族・広地域の一都市としてのブダペストを考えることは「よそ者の都市」をどうにか自分たちのものに取り戻したいという元来の夢をより鮮明にさせる。
 いま現在ハンガリーでおこっている移民問題も、ブダペストという都市が歴史的にずっと抱えている夢の、社会的な現れ方の一形態なのかもしれない。そんな勝手な想像も許されるだろうか。すくなくともこの都市の夢は、その歴史だけでなくてこの都市の見栄えにも振る舞いも、人の住み方や在り方にも関わっている。僕はそれを、南塚氏の本を読む前から、3年前の夏に初めてここに来たときから、なんとなく言葉にできない形ではあるけども感じていたのだと思う。そしてここに住んではや10ヶ月、僕はこの、夢に生きて、夢のために在る都市をいつのまにか「人間くさい」と呼ぶようになった。僕なりに、自民族の誇りと顕示欲とがふたつの夢を彩ってひとつの都市を形づけている様を表した結果が「人間くさい」という形容詞だった。そして「よそ者の都市」としてのブダペストを僕は、ナショナリズム研究、そしてユダヤ史の学びの中にこそ見いだそうと思った。だから僕はその希望を叶えてくれる中央ヨーロッパ大学(CEU)への進学を決めた。
 僕がいま学ぶ中央ヨーロッパ大学(CEU)では英語で全ての用事が済む。しかし、実質的な第二公用語はセルボ・クロアチア語だ。先述の通り、専攻としてナショナリズム研究とユダヤ史を学びながら、僕は3年前に自分の感じたブダペストを模索している。同じように、CEUで毎日の生活をしながら、ハンガリー周辺からここに学びにきた「よそ者」と呼ばれてしまうかもしれない人達から多くのことを学んでいる。僕ら「よそ者」がブダペストで一緒に同じ夢の空気を吸って、それに対して文句を言ったり意見を言ったり、そしてお互いの国や文化、社会のことを話し合うことから多くを学び感じ取っている。同じ場所に留まりながらも擬似的に旅をしているようで、お互いの似たところを感じつつそれでも違うと感じ、違うと感じつつもやはり似ているようにも感じる。その繰り返し。それを自分と相手との応酬の中でだけでなく、友人同士の間で議論や、時には喧嘩やジョークが繰り広げられているのを見ていると、日本とアメリカだけで時間を過ごしてきた自分がいままで経験したことのない何かがここに今起きているのだと感じられてならない。CEUは僕にとって、単に机上の勉強だけの場所ではなくて、お酒を飲みながらひたすら語り合う空間であり特権だ。その大学は僕が一目惚れした夢の都市、あるいは「よそ者」の街であるブダペストのど真ん中にキャンパスを置いている。
 ときどき、この英語中心の環境に身を置きながら、これで果たしてハンガリーがわかるのかと自分でも疑問に思うことがある。ハンガリー語の学習は進まず、学期中は学務に追われて外に出る時間もない。いわば、「よそ者」としての風当たりをほとんど受けないままに過ごせてしまう、それもまたCEUでの生活だ。そんな僕でも、写真は外に晒し出してくれる。外に出て、自分をその街の空気や風景に晒し出さなければ、僕が撮りたいと思った写真は撮れない。自分が感じているもの、違和感、感情など、それを写真の中に表現するのは難しい。でも、自分をその「人間くさい」環境に、または夢の中に置きながら、撮り続けなければいかないのだと思っている。僕にとって写真とは、人とのコミュニケーションのみならず、その場所の空気や歴史、人の生活の在り方と交流するツールだから。このブダペストには様々な人が行き交っている。中欧地域のど真ん中に位置して様々な「よそ者」たちの行き交う空間であり、それが常にその風景の中で特殊な意味を含んでいる。
 

Cultural Heritageは King, Priests, and Soldiers  (8月20日、聖王の右手の風景)

 日本では、僕がいま在籍している大学のことを説明することがとても難しい。中欧を大学名に謳いつつも、しかし大学は「いわゆる東欧」にある。ハンガリーは果たして東欧なのか中欧なのか、それをまず説明しなければならない難しさ。そして説明しようとした途端に自分の知識や考えの狭さに気づく。しかし僕はCEUに身を置くものとして、ここに来るまで漠然と「東欧」という言葉を無批判に使ってしまっていた学生としてこの問題を考えなければいけない。特にナショナリズムと歴史を学ぶ一学徒として。大学名だけではない。日々の生活の中でも同じように、バルカン半島やルーマニア、ブルガリア、グルジア、アルメニア等、「いわゆる東欧」にくくられてしまっている国からきた友人たちから多くを聞き、考えたい。おそらく、僕がCEUで得た財産として最大のものはこれら友人であり、更には、こういう風に考え行動できるようになった感受性なのだと思う。そしてこの大学には、この感受性をより磨き、問い直し、チャレンジすることのできる環境が整っている。専門分野の全く違なる友人たちと、同じ空間と時間を共有し、話し合い、向かい合う環境がここにはある。僕はそれが好きだ。お互いが違って、それでも似ていて、それでも違う。ほんとうに「人間くさい」、そして人間味に溢れた環境だと思う。だから僕は、いまCEUで学び、ブダペストに生活していることをとても嬉しく、誇りにも思っている。
 ただ、良い事尽くしのようなCEUでの勉学、そしてブダペストでの生活だが、最後にいくつかアンビバレントな点もあげたいと思う。特に2点。第一に大学そのものの傾向としてのヨーロッパ中心主義、これはやはり否みがたい。特にナショナリズムの問題を扱うべき授業のなかではそれが顕著だ。アジアのみならず南アメリカ地域やオセアニア地域への関心も薄い。それが残念でならない。第二点目は良いことの裏返しだけれども、学生生活が充実し過ぎていてその居心地の良さからなかなか外に出て行けないことだ。CEUの多くの学生は学費を全額免除され、寮での生活と月々のお小遣いをもらっている。それだけ勉強しろということなのだが、おかげで多くの学生がハンガリー語はおろか、歴史や文化もあまり学ぶことなく、ただ単に学位だけとって卒業していく。僕自身、反省すべき一人にならぬようにと心がけながらも、なかなかうまくいかない。CEUという特殊な環境にいると、それを取り巻く大きな社会に無関心でいられてしまうのも、他ならぬ事実だ。それは僕の母校である国際基督教大学(ICU)が、Isolated Crazy Utopiaと揶揄されていたのと似たような境遇であるような気がする。僕はこのブダペストにあるCEUという大学で学ぶ意義をしっかりと考えてみたい。ICUでは東京にあるICUという大学での意味を考えることはなかった。東京は僕にとっていまブダペストがそうであるような街にはならなかった。しかしいま僕はこうして夢の街に住んでいる。

 僕がこの夢の街に住んで、まだ夢を見ていられるのもあと1年。その後何をしていくか、それもまだ夢の中でだけ考えることにしている。僕がヨーロッパを真剣に考えるようになったきっかけは森有正、加藤周一、そして竹内好といった人達の著作を通してだった。僕は僕なりに、ここブダペストにいて自分なりにヨーロッパ・アジアについて考えていきたい。あと1年、修士論文を書かなければいけない手前多忙を極めるけども、自分なりに写真と思索、読書に取り組んでいきたいと思う。そうしていけばそのうち自分の夢も将来も見えてくるだろう、そう信じている。

(いろひら・たくろう Central European University)
 
 

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