分かっちゃいるけどやめられないもの、それは、馬と花。そして、なぜかクラシックの音楽。
乗馬は、こどもの頃に大好きな祖父が夏休みになると連れて行ってくれた場所だったから好きになり、馬大国ハンガリーに来てしまってからは、もうやめられるわけがない。才能がない(花がすぐ枯れる)と分かっていても続けている庭作りは、植物が専門だった父親の影響。実家の花はいつも綺麗だった。(ちなみに料理好きな母の遺伝子も私には受け継がれなかった…)でも、クラシックは、どうしてこんなに惹かれるのか、これまで謎だった。
高校生の頃、クラシックばかり聴いていたので、たまには流行の曲でもと、友人が様々なジャンルの曲をカセットに録音して渡してくれたことがあった。いい音楽ばかりだったけれど、その後もあまり関心が向かなかった。
大学生の頃にヨーロッパを一人旅した時、たまたま訪れたギリシャのコルフ島のホテルの朝食で、ご主人が音楽と医学の関係を研究されているアメリカ人夫婦と同席した。当地で参加しているシンポジウムに招待して下さり、そこで初めて「音楽療法」というものを知ることとなった。それからそれが特に自分の人生にどうこう影響することはなかったが、その時味わった不思議な感覚は今でもよく覚えている。
そして、数年前、リスト音楽院マスターコースの通訳をする機会があった。6日間丸一日ピアノの隣に座っているのは、さぞかし疲れるだろうと思っていたら、まったく逆で、音楽の横で過ごす一日は集中力が増し、仕事後は毎日さっぱりして帰宅した。
ここにきてついに、クラッシク音楽の威力をはっきりと身をもって体験することとなった。それは、5月14日にヴェスプレームで開催された小林研一郎コンサートでのこと。音楽は心を撫でてくれる、そう感じる時間だった。今年の冬は根底から揺すぶられるくらいの事件が続いていたので、音楽の癒しが怒涛のように心に流れたのだった。
クラシックは、癒しの効果と同時に考える題材もくれる。映画や演劇、本や詩(特にハンガリーの詩)ほどに心をえぐられることはないが、心に容赦なく沁みてくるので自分の心底にあるものを無視することができない。人間の仕組みはおもしろいなあと思う。
それから、曲の意味を自分の人生と勝手に重ねて考える、つまり自己流解釈も、素人だからできること。
今回のコンサートの中で私には、スメタナ「我が祖国」の第二曲「モルダウ」が最高だった。コンサート前の数日はほとんど毎日聴いていて、今でもあまりに頻繁にかけるからか、先日9歳の息子がPeonza(大流行しているメキシコのコマ)を回しながら口ずさんでいるので笑ってしまった。
曲は、後半「St.Johann-Stromschnellen(聖ヨハネの急流)」の節から、大変に苦しかった今年の冬が重なる。大晦日からキツネの襲来(我が家では鶏を飼っている)、新年明けて早々に車の凍結路面スリップ事故と災難が続き、ようやくBál(舞踏会)やFarsang(謝肉祭)で気分転換できると思っていたらインフルエンザウィルスが一家を襲撃。そして、心身ともに打ちのめされているところに、1月で12歳を迎えた娘のKamasz(第二次自立期)が勃発して、3月末くらいまではボロボロになっている自分をただただ憐れんでいるだけの毎日だった。ヨーロッパ生活もいよいよ15年目に突入するというのに、この冬はもう乗り越えられないんじゃないかとまで思えてしまう弱気な自分が情けなかった。
それでも季節は巡ってくる!!!「Die Moldau stroemt breit dahin」(モルダウの流れ)、長調。好転し始めたのは、Medvehagyma(ラムソン)が森に出始めた頃。自然の旬の効力は凄い。疲れた体を少し整えてくれた。
そして、最後の節「Vysehrad Motiv」(ヴィシェフラドのテーマ)。マエストロのコンサートが絶妙のタイミングで到来し、全てを払拭してくれた。こうして私の悪夢のような半年も締めくくられた。
さて、この日の会場は、Hangvilla。こけら落とし前から建築物として脚光を浴びていた、第二の我が祖国ヴェスプレームの最新の劇場。建築家グループはいつくかの有名な賞を受賞している。アットホームな規模(500人収容可能)のホールは、音響にかなりこだわって作られ、年間プログラムには著名な演奏家が目白押し。この日は、ブダペストの友人夫妻、地元の女友達二人と友人夫妻を招待して赴いた。
当日は、ブダペストからの友人夫妻と夕食を済ませてから出かける予定だったが、到着がギリギリになってしまったので、炭酸水で乾杯して盛り上がり、時間ピッタリに会場へ向かった。用意しておいた主人の仕留めたイノシシ&キノコのバコニ風の手料理を堪能して頂けなかったのだけが惜しまれる。
それからの約2時間は夢のような時間だった。ブダペストからの友人は感動して涙を流していた。製薬ラボの化学者の友人からは、眠れないくらい感動したという感想が、工芸家(ヘレンドの陶磁器デザイナー)の友人からは、数日後、特別に素晴らしいコンサートだったというメッセージが入った。時期によっては毎週のように劇場へ足を延ばしている彼からの評価は信用できると思う。兎にも角にも、みんながそれぞれに満足して癒されて帰路に就いたということだ。
余談であるが、この夜、マエストロはブダペストへ戻らなければならないということだったので、差し入れをする機会まで得られた。こどもたちは、おにぎりを握る私を見て興奮していた。昔、王様に食事を作るのは大変名誉な仕事だったのだから、と。
こうして、いろいろなことが詰められていた今回のプログラムは、多くの軌跡を残して高らかに流れていった。 |