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私から見たエルテの日本学科
Tóth Anett


   私はエトヴェシュ・ロラーンド大学(通称エルテ、ELTE)で日本学を勉強している3年生で、2016年1月に大学を卒業する予定である。まず、どうして日本語を勉強しているかを書きたいと思う。
 ハンガリーでは、言語を学習することが現代人の成功のカギとなるという考え方が強く、同時に複数の外国語を学ぶ人の数が増えている。私は子供のころから言語を学ぶことが好きで、幼稚園でドイツ語を勉強し始め、小学校でも高校でもドイツ語を勉強し続けた。高校では第二外国語は英語しか選べなかった。16歳の時に、大学で何を勉強したらいいだろうかと考えた。数学や物理学といった科目は苦手で、弁護士や公務員などの仕事は大変そうに思えたが、ドイツ語や英語は相変わらず得意だったので、通訳者になりたいという気持ちが強くなった。
 日本語を専門として選んだ理由は二つある。一つは日本語や日本への関心。15歳の時、アニメや漫画、J-POPの世界にはまり、日本や日本語が面白いと思うようになった。インターネットで日本人の生活や日本文化に関する知識や情報を探し、日本についての本も読んだ。日本についてもっと知りたいと思うようになった。ある国の文化や国民の考え方を知るためには、その国で話されている言葉を習得する必要があると思う。このことから、日本語を勉強することを決意した。
 二つ目は就職の問題である。日本語は世界で最も難しい言語のひとつだといわれているから、日本語を上手に話せるようになれば、世の中で成功することができるに違いないと思った。一方で、言葉の習得は十分ではないと思う。どの言語を学習するとしても、人に対する正しい話し方や作法も習わなくてはいけない。どのシチュエーションでどのように行動すべきかということも、大学で学ぶことが出来ると思った。
 人には勉強したいことを勉強する権利がある。学びたかった専門について勉強できることになると、やる気が出る。好きなことをしている限り、疲れを感じないと思う。あいにく、親に好きな大学に行かせてもらえないという高校生も数多くいる。その人には学生時代がよい思い出にはならないと思う。けれども、私は幸運である。両親にエルテで日本語を勉強することにしたと伝えた時、次の返事が返ってきた。「エルテで勉強したいなら、私たちは私たちなりにアネットを応援する。アネットが幸せな限り、私たちも幸せだ」、と。両親も自由に勉強したいことを選ぶことが大切だと考えてくれたのだ。
 次に、学生生活について述べようと思う。ブダペストに来たばかりのころは、交通網や買い物場所が分からず、非常に困った。だが、幸いにも、同級生が私のことを助けてくれた。同級生はみんな親切で、大人っぽい性格である。どの授業の雰囲気もよく、間違いをしても、恥ずかしさなんて感じないのだ。先生たちも優しく、学生達に対し常に手伝ってくださる。
 1年生のとき、日本語の文字を勉強した。一見したところ難しそうに見えたが、覚えてみると思っていたより易しかった。しかし、きれいに書けるよようになるためには、たくさん練習しなければならない。日本語の授業だけではなく、日本文化に関する講義もたくさん行われた。「日本の文化と社会」という授業のおかげで、日本の歴史や文学、民俗学、言語学、宗教についての知識を深めることができた。美術史の授業もあり、その科目ではHopp Ferenc博物館の展示物の中から一つを選択し、それを復元しなければならなかった。私は一つの浮世絵を選び、完成するのに5時間もかかったが、非常に面白い課題だったと思う。
 2年生の時は、日本語の論文の構造や正しい書き方を勉強した。毎週作文を提出しなくてはいけなかったが、私にとっては面倒なものではなかった。毎週毎週文章を書くことで、日本語が上達したからである。好きな本を読む授業もあり、私は森鴎外の『雁』を読んだ。また、現代日本語の授業のほかに、いくつかの新しい授業も受けることになった。例えば、古文や講読である。古文と現代語の間には、さまざまな違いがあるので、驚いてしまった。それでも、古文に関心を持つようになった。また、講読の授業は、通訳者になりたい私には非常に役に立っている。日本語をハンガリー語に訳すことは決して易しくないけれども、練習すればするほど上手になると思う。
 今学期はプレゼンテーションの授業もあり、がん告知や安楽死、会社のシステムなどについての論文を読み、テーマの中から自由に一つを選択し、それについて同級生の前でプレゼンテーションをする。私は裁判員制度について発表した。ハンガリーのとは全然違っており、発表の準備をしているうちに私も公判に参加してみたいと思うようになった。
 また、エルテでは、日本人と話す機会もある。例えば、書道サークル。日本人留学生が毎週数人来て教えてくれる。漢字をきれいに書けるようになりたい人にはお勧めだ。そして、ニハハ・クラブ。これは「日本人とハンガリー人で話そうクラブ」の略で、年に2~3回行われているイベントだ。クリスマスパーティーは2006年から毎年行われている。私はエルテに入学して以来、ほとんどのニハハ・クラブに参加した。今回のクリスマスパーティーにも行く予定である。このイベントのおかげで、日本人の友達ができた。そのほかに、大阪大学ハンガリー語科の学生とメール交換をするチャンスもある。エルテと阪大の先生が仲介してくれるのだ。これで多くの人が文通をしている。メールを書くことでも日本語が上達する。
 初めはひらがなも分からなかったが、1年後に論文の書き方を知り、森鴎外を一人で読んで日本語で3ページもの感想文を書けるようになった。2年後には日本語で裁判員制度について発表が出来るようになった。それは私の好きなエルテのおかげである。大学院に行くかどうかまだ決めていないが、進学するなら、やはりエルテで日本語の勉強を続けたいと思っている。
(トート・アネット)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.