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「超一流」には「華」がある
盛田 常夫


 12月のスヌーカー英国選手権で、40歳になったばかりのロニー・サリヴァンが5度目の優勝を果たした。数々のタイトルをもつが、英国選手権は天才サリヴァン少年が17歳で最初に獲得したタイトル。決勝戦は5時間を超える新旧二大スターの大攻防で、サリヴァン9-5のリードから、若手の最有望株ジャッド・トランプの終盤の猛追で9-9のタイとなり、最終フレームにまでもつれ込んだ。数年前にフィットネスクラブのマシンで走りながら、偶然にEurosportsで見た競技だが、あまりの面白さにスヌーカーに魅せられている。
 サリヴァンはテニスのフェデラーのような存在だ。競技こそ違うが、この二人のプレーには「華」がある。超一流と呼ばれる人は、必ず独特のオーラを放っているが、それが見る者に「華やかさ」を感じさせる。プレーに「華」があるとはどういうことだろう。
 なによりも技術の高さと確かさである。フェデラーは打球の種類が豊富で、常に球に変化を付けて打っている。単調な打球がないから、見ていて飽きない。スヌーカーは回転と強弱をつけて、的確に次の打点に白玉を運ぶ技術をベースにするが、それ以上に重要なのは、球の散らばり全体を判断して、攻略法を見出す戦術勘だ。異種競技の二人のプレーに共通するのは判断の速さ。プレーのテンポが良い。それが見る者にリズムを与える。展開が速い分だけミスも多くなるが、プレーの速さで相手を圧倒できれば、ミスはマージナルになる。
 ATP(男子プロテニス)ツアー最終戦のマスターズで、錦織と対戦したフェデラーは全盛期とも思えるほどのスピードあるテニスを展開した。錦織も序盤は速い展開に対応していたが、球が速い室内コートでライジングをたたくテニスを完璧にやられたらかなわない。だが、錦織にもオーラが出てきた。2014年は全米室内連覇からマスターズ最終戦に至るまで、錦織の成長は目を見張るものがある。錦織も超一流の「華」が咲き出した。
 すでに錦織のサーブレシーブとバックハンドストロークは超一流。松岡修造が11歳の錦織少年に、20cmも身長が違う高校生相手に試合をさせたビデオを見たが、プロになった今と同じショットを放っている。バックの逆クロスやダンウザラインのショットは天性のものだ。錦織のプレーに「華」がある証拠に、ATP年間ベストマッチ(グランドスラム大会部門)の3位(全米の対ワブリンカ戦)と同(ATPツアー部門)2位(マドリードオープンの対フェッラー戦)に、錦織が勝利したゲームが選ばれたことからも分かる。錦織は相手の逆を突く戦術勘に優れている。全米室内決勝で敗れたフェリスィオ・ロペスは、錦織のことをcomplex playerと評していたが、これは打球の予測が難しいということだ。simple playerは絶対に一流になれない。
 個人的には、楽天ジャパンオープン決勝の対ラオニッチ戦が印象深い。当代テニス選手の中で最速のサービスを打つラオニッチ戦は、錦織のディフェンス力を証明する絶好の試合だった。この試合でラオニッチのファーストサービスの速度はほぼ230km/h。セカンドサービスも200km/hを超えていた。野球の投手の球速で言えば、それぞれ165km/h、150km/hに相当する。
190km/hのサービスでもコーナーに入るとエースになる。230km/hのサービスは打点に入って来ても返球が難しい。だから、ラオニッチのサービスゲームはテニスにならない。にもかかわらず、錦織は第1セットのタイブレークでサービスを1球だけブレークして、セットを制した。まさに勝負師の面目躍如である。
 テニス選手のファーストサービスの成功率は平均して70%以下。だから、セカンドサービスを狙うチャンスがあるし、230km/hのファーストサービスでも、レシーブの打球ポイントに来ればリターンエースになる。165km/hの投手の球でも、真ん中に入ればホームランされるようなものだ。ただ、その甘い球を見逃さない技術と勝負勘が必要だ。錦織にはこれがある。
 最終セット、互いにサービスキープが続き、錦織5-4リードで迎えたラオニッチのサービスゲームで、何球かサーブが甘く入った。剛球サーバーでも後がない状態では、少し力を抜いてコースを狙おうとする。そこを叩かれて、ラオニッチは2012年の決勝に続いて、ほとんど同じパターンで錦織に負けてしまった。錦織にとってこの勝利はマスターズへのポイントを稼ぐ上でも、非常に大きな勝利だった。
 この試合はボールゲームとしては面白くなかったが、力と技の勝負として堪能できた。この若手の有望格二人を比較すると、明らかに錦織に「華」がある。力に頼るラオニッチのテニスは人を驚かせても、「華」がない。これにたいし、身長で20cm以上も違う大男にたいし、一瞬の隙を突くテニスで相手を倒せる錦織は、牛若丸のような「華やかさ」がある。錦織がさらに歴史に残る選手になるための条件は、連戦に耐えられる体力とサービス力の強化である。土のコートでしか勝てなかったナダルが、ハードコートでも勝てるようになった最大の要因は、サービス力の強化だった。錦織には是非、体力をもう一段強化して、グランドスラム大会で優勝して欲しい。
 やはり「超一流」の要件は力より技量だ。ダルヴィッシュや田中将大も、球速ではなく球種で勝負している。いくら球が速くても、直球とカーブしかない投手は打ち込まれる(巨人の某投手のように)。球種が豊富で、相手に的を絞らせない技術が、打者をきりきり舞いさせる。
 声楽の世界でも同じことが言える。どんなに声が良くても、単調で深みがなく、感情が込められていない歌唱には、やはり「華」がない。その基準で言うと、メゾソプラノのチェチーリア・バルトリの歌唱力は「超一流」だ。声に深みと幅あり、感情移入が素晴らしい。しかも、アルトからコロラトゥーラまで、音域が広がっている。他人が真似できない技量は天性のものだ。Youtubeでバルトリが歌うヘンデルのオペラ「リナルド」の「泣かせてください」を聴くとよい。その後で、若手の人気ソプラノ歌手ヘイリー・ウエステンラの同じ歌唱を聴くと、その違いが一目、いや一耳瞭然となる。
 simpleではなく、complexであることが「超一流」の条件なのだ。
(もりた・つねお 「ドナウの四季」編集長)
 
 

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