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人生最高のコンサート
薄井 さやか


 3月30日、ショプロンで行われたコバケンさんのコンサートは、間違いなく私の人生における最高のコンサートでした。といっても、私が行ったコンサートなど、全ジャンルをあわせても20回程度で、「最高の価値」やいかに、ではありますが、とにもかくにも間違いなく最高のコンサートでした。
 幸運にも席は前から二列目。コバケンさんとオーケストラがまるで自分たちのために演奏しているような、ホームコンサート感覚。
一心不乱にタクトを振るコバケンさんをこんな間近で拝むことができるなんて、夢のよう。また、オーケストラメンバーがコバケンさんのタクトや振りを凝視しているのを目の当たりにし、指揮者の存在感、指揮者あってのオーケストラということを、思い知らされました。
 曲が終わるたびに満面の笑みを浮かべるコバケンさんは、まるでオーケストラ全員のお父さんのよう。そしてメンバーたちは、「コバケンさんと力を合わせて素晴らしい演奏を!」と全身全霊を傾けている、私にはそのように感じました。
 コンサートで鳥肌が立ち、涙が出そうになったのはこれが初めて。音楽は心の栄養とはよく言ったもので、コンサート後は日ごろのストレスや疲れ、眠気まで吹っ飛び、元気ハツラツになりました。
 コンサート後、なんとコバケンさんご夫妻と夕食をご一緒させていただくことになりました。ハンガリー在住の日本人でショプロンにコンサートを聴きに行ったというだけで、ご一緒した皆さんと違い、コバケンさんのコンサートをはまだ二度目という素人の私がこんな幸せな場面に居合わせられるなんて、運を使い果たした気分です。
 コバケンさん、とてもお疲れでしたでしょうに、私たち全員に声をかけてくださり、プログラムにサインまでしてくださり、本当に感謝感激。また、コバケンさんご夫妻の仲むつまじい様子がとても素敵で、天皇皇后両陛下、自分の両親に並ぶ理想の夫婦ベストスリーに勝手にランクインさせていただきました。
 素敵なコンサートを聴かせてくださったコバケンさん、諸処ご手配くださった盛田先生、誘ってくださった小松さん、一緒に旅行してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
 また来年も素敵なコンサートに聴けますように。
(うすい・さやか)


コバケンさんの思い出
小村 陽子

 

 私が初めてコバケンさんのコンサートを聴きに行ったのは、いつだったろうかと思い起こすと、一度目のハンガリー赴任を終えた10年ほど前の2005年のこと、それも日本でした。ハンガリーでは、コバケンさんのチケットを買いに行っても、動くのが遅かったのか、いつも完売だったからです。2008年から再びハンガリー赴任となり、コバケンさんのコンサートに出かける機会が増えました。そして、今回、コバケンさんのハンガリーデビュー40周年コンサートを聴きに行くことができて、つくづく良かったなと思っています。
  3月14日から始まったコンサートを追っかけました。その中での、一番想い出深い出来事を書かせていただくことにしました。
  3月30日のショプロンでのコンサートの後、コバケンさんご夫妻を囲んでの夕食会を設けていただき、私も、ご一緒させていただきました。何と、私の正面に、コバケンさんが座られて、ドキドキ。きっと、食事も喉を通らないし、しゃべれない・・・と、思っていましたが、コバケンさんから、「皆さん、自己紹介を」と、切り出され、順番に自己紹介が始まりました。私の番になった時に、「あ、確か大福の・・・、お名前は、ようこさん」と、奥様が、言って下さいました。大感激です。2011年11月、ブダペストのイタリア文化会館のコンサートで差し入れした大福を覚えていただいていました。食べ物の威力大です(奥様の名前も、「ようこ」です)。
  自己紹介の後は、緊張も少しほぐれたので、コバケンさんのお心遣いに感謝です。ビールで乾杯!喉を通らないかもと思っていた料理も、しっかりといただきました。会話が弾む中で、ご夫婦の仲が、とてもいいなぁと、思う場面がいくつもありました。詳細は、割愛させていただきますが、しっかりとコバケンさんを支えていらっしゃる奥様、その奥様に、優しい言葉をかけられているコバケンさん。お二人とも、とても気さくに話しかけて下さったので、楽しい食事会となりました。
  何でも話していいと言われたので、初めてコバケンさんのコンサートを聴きに行ったコンサートのアンコールの最後に、コバケンさんが「アメイジング・グレイス」をピアノで弾いて下さったのが、とても心にしみて、感動したことをお伝えしました。
  11時すぎまで楽しい食事会が続きましたが、コバケンさん達は翌日のコンサートのためにジュールまで移動される時間となり、食事会はお開きとなりました。
  私は、またいつか、コバケンさんのピアノ演奏が聴ける日を夢見ながら、皆さんとレストランを後にしました。

(こむら・ようこ)
ジュール・コンサートの余韻
森田 友子

 
 私はハンガリー人生を日本語教師として始めたのだが、「小林研一郎」は、どの生徒も知っている人名であった。でも、実はもしかしてこれは全国民が知っているのではないかと感づき始めたのはそれからすぐのこと。ハンガリー人と知り合って、日本に関係する単語・知識を披露して下さる中に、必ずと言っていいほど「スシ」「ゲイシャ」と並んで「コバヤシ・ケニチロ」が入ってくるのである。どんな方なのであろうかと調べてみると、ちょうど私の生まれた年にプダペスト国際指揮者コンクール優勝とあった。主人に聞くと、小学生だった頃にテレビで見て、顔に感情の全てが現れ、全神経を投じて指揮を振っていた姿を覚えている、と言う。まだ一つしかチャンネルがない時代で、まさに国中のハンガリー人が注目していた放送だったそうだ。
 言わずもがな音楽の染み込んでいる国ハンガリーでのことだから、この人気は一時的なものではなく、40年経った昨今までも健在だった。チケット手配は、いざとなったら知人のジュール・オーケストラ関係者にお願いできるから大丈夫だろうとタカをくくっていたが、秋の初旬に問い合わせした時点では既に手遅れで、半年以上先のチ3月末のチケットが完売という状態だった。このコンサートには私たち夫婦だけでなく、日頃お世話になっているジュール在住の主人の親戚が切望していただけに、すぐに断念するわけにいかず、それからも方々を当たってみた。親戚は親戚で、勤め先の病院の関係者から個人歯科医院に通う患者さんまで、全ての伝手を頼って探してみたようだが、皆から、「入手は不可能だろう」と言われたそうだ。なぜなら、このコンサートは劇場のセット券のトッププログラムだったようで、セット券には販売の「おとり」にできる人気の高いプログラムが必ず入る。オーケストラもこうやって、チケットを販売しているということだ。ありとあらゆる方法で頑張ったが、年を越してもチケットを手に入れることができなかった。それでも諦め切れず、いよいよ最後の手段で、編集長の盛田さんに泣きつき、神頼みで授かったチケットだった。
 コンサート当日は山本大使もご列席された。感動としか他に言いようのないコンサートを鑑賞することができたのだが、ベートーベンにサンドイッチされたコダーイの「ガランタ舞曲」は、私にはとても不思議に印象の残る曲で、帰路ヴェスプレームまでのドライブ中もこの曲のメロディーが頭から離れなかった。聞いたことのない曲であったと言ってしまえばそれまでだが、ベートーベン2曲も耳にしたことあるかどうか定かでないのにここまで強いひっかかりはなかったので、自分にとって何か特別だったのだろうと思った。帰宅後すぐ、コンサートを聴かせて頂いたばかりなのに失礼とは思いながらも、早速インターネットでこの曲を探して聴いてみた。こどもの頃から父に、絵画展から帰ってすぐには印刷の絵を見ない方がいい、本物の色を忘れてしまうから、と言われていたことを思い出しながら、少し罪悪感を持って実行したのだが、これは音楽には当てはまらなかった。本物を聴かせてもらえたおかげで、スマートTVからの音響が、この日のコンサートの再現のような深い音に聞こえてきた。映画を見た後で原作本を読むような感じに似ていた。娘が民族ダンスを習っているので普段もハンガリーの民族音楽をよく聞いているからか、この曲にはすっかりはまってしまい、半月たった今日でも時々余韻に浸っている。
 最初から最後まで譜面なし、一流のジュール・フィルハーモニー管弦楽団を熱く指揮され、お疲れの様子など微塵も見せず、挨拶もユーモアたっぷりに締められた小林先生の音楽が素晴らしかったのはもちろんのことだが、私は別の意味でも感慨深かった。ハンガリーに住んでこのかた、ここのチームプレーに何度か立ち会ったが、個々人の実力があっても集団行動には難があるハンガリーの方たちを、あのようにまとめられる人物にはこれまでお目にかかったことがないように思える。
 ジュール・コンサートから2週間後、おもしろい縁で、もう一つおまけの余韻を楽しむこととなった。なんとショプロンのコンサートまで駆け付けた「おっかけ御三方」とご一緒する機会に恵まれたのだ。小林先生のことで話が盛り上がったのは言うまでもない。
 来年はヴェスプレームでも小林コンサートが開催されるとのことだから、もう今から楽しみにしている。小林先生の力の源だと伺った新鮮な生たまごを準備してお待ちしたいと思っている。
(もりた・ともこ ヴェスプレーム在住)
 
 

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