2011年11月10日午後の上野医長の診察は、informed
consent を絵にかいたようなもので、家内・娘同席のもと、40分もかけてコンピューターで内視鏡画像をまるでスライドショーのように見せながら、丁寧に説明してくれました。極彩色カラーの患部「スライドショー」はおどろおどろしいものでしたが、この時、私は38年前、虎の門本院に故・岡稔さん(私より一歳上、同じ専門の一橋大学経研教授、1973年9月19日歿)を死去の3週間前に同じ虎の門病院に見舞ったことを思い出していました。岡さんは最後まで肺がんを若い頃の結核の再発と思い込まされていたのです。患者へのガン告知無しからスライドショーへ。この間の変化の大きさが如実に感じられました。上野先生の「コンサルテーション」は毎回30分以上かけるというもので、それは今日に至るまで変わっていません。後で会計処理の時、身の縮まる思いをしたものです。
私の病状は今の表記で整理するとT3N3M0というもので、T3 は以前の表記では「三期ガン」(四期は末期ガン)、N3 は5つあるリンパ腺の3つに影響(若干の腫れ)があるというもの、M0は「他臓器への転移はゼロ」(これは大きなプラス)というものでした。まあ「良くはないが、見込みが全くないほど悪いわけでもない」というところでしょうか。
この頃のちゃんとした病院・専門医は、患者のQoL(Quality of Life)「生活の質」を重視します。「手術は成功したが、患者は寝たきり生活で間もなく亡くなった」では、何のための手術か分かりません。私の親しかった旧友の弁護士にも「あの手術は果たして必要だったのだろうか」と、私が死去当時から疑問を抱いていた事例があります。こういう事例となることを避けるには、主治医と良きinformed
consent 関係が必要です。
教訓3 主治医と良きinformed consentの関係を結ぶこと。ただし、「なれ合い」となってはならない。ここでも「患者の権利」を忘れないこと。
病気あるいは下獄を機会に読書にふけった先人の例は枚挙に暇ありません。私も入院中は大著を読もうと決意し、前から深い関心を持っていた「ワイマール共和国の運命」に関するものを二つ、有沢広巳『ワイマール共和国物語』東大出版会・上下二巻、『余話』を含めると全三冊B6判1292ページ。ブリューニング首相の評価など、私が持っていた先入見も正されました。これとの関連で読んだのが、一般にはあまり知られていないハリー・(グラーフ)ケスラー『ワイマール日記 1918-1937』(上下、冨山房、1993-94年)。A4判二段組みでびっしり、計1288ページ。桁外れの国際的教養人で、教養の該博さという点で私が逆立ちしてもかなわないと思ったのは、いずれも私よりはるか旧世代に属しますが、このケスラー伯と『パリ日記』(月曜社B6、446
ページ)のエルンスト・ユンガーでした。のちに「セザンヌを発見した男」として有名なアンブロワーズ・ヴォラール『画商の思い出』(美術公論社、1980年、B6
495ページ)を読んだら、このケスラー伯の名が何か所も出てきたのには感心しました。ケスラーが亡命後、パリで同じく亡命したブリューニンク元首相と鉢合わせするところは印象的です。
入院直前から邦訳が出始めたワシーリー・グロスマンの『人生と運命』(みすず書房、2012年、B6 , 1, 2,3
で計1424ページ)も読みました。フランスの「同業者」マリー・ラヴィーニュにメールで知らせたら「私はロシア語版で読んだ」という返事が返ってきた。赤ん坊の時からバルト・ドイツ人のおばあさんのドイツ語、母親や乳母のロシア語を聞いて育った人にはかなわないと思いました。ユダヤ人として疎外され一時は投獄までされながらソ連の原爆開発に協力する、ランダウがモデル(その対極には協力しなかったカピーツアがいる)と思しい物理学者一家を中心に、最後はすべてがスターリングラード戦に奔流のように飲み込まれていく、壮大な叙事詩的大河小説。戦時下、それも戦線で密かに語られる農業集団化批判など、スターリン時代を内部から見た興味深いところも枚挙に暇ありません。
こういうことを書いていたらきりがない。さしあたり
教訓4 は「入院中は大著を読めーそれも専門外の本を」
としておこうか。
私はまた、早くから「ユーロ」危機に強い関心を寄せていましたので、入院後期に娘がThinktablet なる(当時は)「新兵器」を届けてくれたこともあり、作動のまだるっこさに閉口しながら、欧州、主として独仏のウエブサイトを観ていました。
さすがに7月-8月の分は購入しませんでしたが、「人間、楽観的たるべし」と9月中旬のクラシック・コンサートのチケットは2枚、入院前に購入、退院後に訪れました。9月8日(土)オペラシティでの東京交響楽団、バイオリンのアラベラ・美歩・シュタインバッハーがお目当てでした。9月15日(土)サントリーホールも東京交響楽団ですが、ピアノのハンガリー、デジュー・ラーンキがお目当て。退院後、夜出かけるのはこれが最初となりました。 |