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目先の損得を追う時代はもう過ぎた
盛田 常夫


 自分が歳をとった所為か、あるいは時代の変化が感じられる所為か、最近では威勢の良い話には、つい疑念を持ってしまう。東京五輪開催決定時は東京に滞在していたが、当事者の高揚感とは裏腹に、1964年の東京五輪のような期待感が湧いてこなかった。東京の街の様子もいたって平静だった。もう日本は発展途上にある状態をはるかに過ぎてしまったから、五輪招致を有り難がる状況にはないし、原発や震災復興の課題の大きさを考えれば単純に喜べない。日本社会はいろいろな意味で成熟期にあり、大きな歴史的転機を迎えているように感じているのは私だけではあるまい。

 
 しかも、五輪決定の1週間前から3週にわたって、NHK「スペシャル」で東京直下型地震の可能性をめぐる特集番組を構成し、9月1日の番組では1922年の関東大地震の予言が完全に無視された経緯を詳しく報道していた。だから、東京五輪開催時に大地震が起こったらどうなるのだろうという心配の方が先に立った。五輪招聘セレモニィにおける安倍首相の英語のスピーチは、語尾が曖昧発声になる日本語に比べ、語彙がはっきりして理解可能だったが、「汚染水は完全にコントロールされている」は「嘘も方便」を超えて、「口から出任せ」の感が強い。これでは「関東大地震は起こりません」と言うのとあまり変わらない。「政府は何でも解決できます」というのは政治的デマゴギーである。
 
 東京五輪の1964年、私は高校2年生だった。われわれ団塊世代が次第に日本経済の労働力人口に組み込まれ、高度成長が本格化する時代だ。GDPは1年間に創造される国内の付加価値総額。それを生みだすのは労働の質と量。年に200万人を超える新規労働力が次々と日本経済に投入された高度成長時代には、GDPも10%前後の伸び率で増えていった。高度成長時代は日本経済の青年時代だ。
  単純に言えば、労働力の純増がなければGDPも増えない。労働人口が次第に減っていくこれからの日本は、GDPが不断に成長する時代ではなく、漸次的に減少する時代だ。百年もすれば、日本経済のGDPは現在の半分の水準になってしまう。今、日本はそういう時代への転換期に入っている。
  人間の生と死のように、国の経済にも幼年期から青年期があり、壮年期を過ぎれば老年期を迎える。そのサイクルを繰り返しながら、社会が継続していく。これから百年の日本は、高度成長が造り出した多くの遺産を維持管理する時代に入る。しかも、労働力が減少するなかで、過去の遺産を維持管理しなければならないのだから、たいへんな時代に入っていく。
 
 戦後の荒廃から復興した日本経済は、高度成長の青年期をへて、今、壮年期から老年期に向かいつつある。歳をとればいろいろな病気が見つかるように、日本経済も膨大なインフラの維持管理や50に近い原発の維持管理の問題を抱えている。それらはいずれ耐用期限を迎えるから、修理や廃棄により多くの力を注がなければならない。ところが、これらの仕事を支える財政基盤はますます弱くなっていく。巨額の財政累積赤字を抱えているにもかかわらず、租税を払える労働力人口が減少するのだから、現在のインフラを維持することは不可能だ。福島の原発廃棄ですら、当事者の東電の資金力では到底、完遂することができない。そもそも、一つの原発の廃棄にどれほどの時間とお金がかかるのか、まだ誰にも分からない。そういうものが全国に50近くもある。人口が半分になれば、鉄道網も高速道路も不要になる個所が増え、維持管理できないものは放置される。過疎化が進む町と同様に、過疎化が進む日本社会はますます多くの問題を抱え込む。
  こういうことが分かっていながら、政治家も実業家も、目先の損得だけを追いかけている。経済成長が続けば、財政問題はいずれ解決されるなどという無責任な議論も横行している。高度成長のような量的拡大の時代はとっくに過ぎ去っているのに、まだ成長持続時代の思考から抜け出すことができない。人々もまた、そういう政治家たちの言動を簡単に信じてしまう。
  世に氾濫している「アベノミ(ッ)クス」なるレトリックに政策的意図はあるが、学問的根拠はない。一言で言えば、「アベノミ(ッ)クス」は安倍政権イデオロギー。たんなる政党・政治家のレトリックにすぎないものを、マスコミが特効薬のごとく普及する役割を担っている。日本経済が抱えている問題を近視眼的に解決する方策を探っているだけで、その方策がもたらす負の効果や弊害についてはほとんど議論されない。これでは「原発は百%安全」と推進してきた戦後政治と何ら変わりない。
 
 今の日本は、将来の難しい問題や解決不能な問題には触れないで、とりあえず短期の打開策や目先の損得を議論することで、本質問題の議論を回避している。「原発のコストは安い」というのもイデオロギーで、そこには原発廃棄にかかる費用は見込まれていない。1基の廃棄に1兆円かかるのかそれとも5兆円かかるのか、あるいはまだ計算できないほどの金額必要なのか。廃棄終了に20年かかるのか、それとも50年かかるのか。政府はこういう深刻な議論を避けて、とりあえず再稼働や原発輸出で、官民一体で原発ビジネスが潰れないようにしている。すべて問題の先送りである。
  いずれ破棄が必要なものなら、何時からどのような手順で行うのか、どのように資金を調達するのかを真剣に議論しなければならないはずだ。政治家が命令したから廃棄作業が簡単になるわけではない。まして、政府が一緒になって原発売込みビジネスをやっていては、いつまで経っても肝心な問題は先送りされるだけだ。
  それは東京大震災の備えも、震災復興も同じ。東京五輪で震災復興が進むとは誰も思っていないだろう。「元気と勇気を与える」というのはたんなる口実。一部の東京開発の事業者が儲かるだけの話だ。アベノミ(ッ)クス・イデオロギーで株価が上がり、金融投資できる一部の層が利益を売るのと同じ構図だ。美辞麗句のレトリックに惑わされない賢さが求められている。
(もりた・つねお 「ドナウの四季」編集長)
 
 

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