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ハンガリーの思い出
坂梨 正典


 2013年3月末6年間のブダペスト駐在生活を終え帰国、東京生活を始めて早3ヶ月が経ちました。忘れないうちにハンガリーの思い出を徒然なるままにしたためたいと思います。

 2007年3月の赴任前研修で、弊社人事部長が「是非駐在国を好きになって欲しい」と言っておりましたが、結果的に家族一同大好きとなり、仕事にもより一層力が入りました。たまにはうちの人事も良いことを言うなぁと感心した次第です。

ハンガリーとハンガリー人
 正直言えば、ブダペストとブカレストの違いが分からないぐらい中東欧に馴染みがなく、未知の国でした。初めてドナウ川と王宮を見ても不思議と感動がなく(後になって考えると雄大過ぎてピント来ない、その昔グランドキャ二オンを見たときの感覚だったのではと遡及分析)平然としていたのですが、時が経つに連れ、なんと素晴らしい風景なのだろうとじわじわ心に染み込む日々でした。
4月1日に赴任し、まわりが春だ、春だと大喜びしているのを不思議に思っていましたが、寒くて暗く長い冬を一度経験すれば、その気持ちに大いに賛同することになります。新緑が正に目に沁みるのが良く分かりました。
 その昔、ウラル山脈から大移動してこの地に定住したマジャル人(ハンガリー人)には、どこか親しみを感じます。ルーツがアジアだからなのかもしれませんが、保守的で真面目な人が多く、会議もジョークや天気の話もなくいきなり本題に入ります。公私に亘り多くのハンガリー人と知り合うことができましたが、嫌な思いをしたことは記憶になく、これからもお付き合いを続けたいと願う人ばかりでした。

対日感情とハンガリー語
 日本に対する印象は非常に良いと思われます。その訳を愚考するに、(1) DNAのどっかにアジアの影響が、(2) 第二次大戦で同じ枢軸国側、(3) ソニーやパナソニックと言った先進技術の印象、(4) 寿司やアニメ、漫画といった文化的興味あたりが大きく寄与しているかと思います。
 ハンガリー語は特殊言語で最も難解な言語の一つと言われていますが、個人的にはドイツ語やフランス語も十分難しいと思います。確かに、独特な単語でその意味を推測することは全く不可能ですが、文法的には比較的すっきりしているとの印象です。簡単な日常会話は少し出来るようになりましたが、日本へ帰国後一切使う機会がないのは寂しい限りです。業務上、片言でもお決まりの挨拶をハンガリー語で行うことの効果は絶大であり、個人的には都度相手のリアクションを見て楽しんでいました。客先の心の扉をちょっと開けることでその後の打合せが極めて友好的な雰囲気で進みます。弊社人事部もその辺りを示唆していたものと思われます。

食事とお酒
 家族一同食事は大変美味しいとの共通認識です。グヤーシュスープはシンプルながらこくと旨みが抜群で、フォアグラソテーは常識を覆すものでした。弊社オフィスそばのイタリア料理店(だと思われますが店名はコム・シェ・ソワとフランス風、パスタは日本人好みの味付けと麺の腰、家族経営のアットホームなお店です)で味わうフォアグラ(熱々のフライパン内で秘伝のソースに浸っている!)は麻薬的な美味しさで、半年食べないと禁断症状?が確認されます。それを食べた客先や弊社出張者は再度のブダペスト出張を強いられることとなり、「駐在員の罠」或いは「最終兵器」と呼ばれていました。その他トゥルトゥットカーポスタ(ロールキャベツ)、パプリカチキン(ハンガリーではパプリカは最重要食材・調味料)も美味でした。
 お菓子は家内絶賛で、ショムロイガルシカ(見かけは大盛だがあっと言う間に完食)、ラーンゴシュ(油で揚げたパン生地にガーリック、サワークリーム、チーズをこんもりのせた極めて健康に良い?一品)、最近東京青山に店を出したらしいジェルボーのケーキ等がお薦め、息子たちはクルトゥーシュ・カラーチ(トンネルパン?)が大好物でした。
 ハンガリーは隠れたワインの名産地で、ヴィラーニ、セクサード、エゲル地方他に多くの素晴らしいワイナリーが存在します。輸出用に大量に作らない為か、残念ながら日本では余り知られていません。我が家ではゲレ、ボック、ヴィリアン等ヴィラー二ワインを良く飲んでいました。帰国に際しゲレの赤ワインを大人買いしたのは当然の成り行きです(お陰で現在我が家のリビングにどんと居座るワインセラーまで買ってしまうことに。。。。)。また、パーリンカ(果物を原料とする蒸留酒)は強烈ですがそのフルーティな味わいに何度も文字通り!酔わされました(悲劇的悪夢も経験)。

     
 
     
音 楽
 音楽は我が家に大きな変化をもたらしました。赴任以前クラシックは殆ど聴かず、興味もありませんでしたが、何度も生のオーケストラを聴いているうちに、その迫力、響きの心地良さを体全体で感じるようになり、私も家内もカーオーディオはいつもクラシックになる程大好きになりました。長男は学校のバンドクラスが必修で渋々トランペットを始めましたが、続けるうちにそれなりに演奏できるようになり、次男はクラリネットを始め大好きになり、バイオリンまでやり始めました。私も長年の夢(?)だったテノールサクソフォンをやり始め、家族からの騒音・雑音とのご批判にも挫けず、クラシック、ジャズ、アドリブに挑戦しました。ハンガリーに行かなければできなかった貴重な経験であり、一生の財産かと思います。

野 球とゴルフ
 少年野球をやっていた長男は、ハンガリー生活で野球をやれないことを嘆いていましたが、何とハンガリー野球連盟が存在し、少年・成年の部でリーグ戦をやっていることを発見し大変驚きました。長男はセンテンドレ市をホームとするスリープウォーカーズに参加することができました。少年の部では当時他の日本人も4~5人参加し、毎週末他チームと対戦、勝ったり負けたりでしたが楽しい想い出となりました。長男の成長に伴い、成年の部のチームにもお世話になりました。レギュラーには当然なれませんでしたが、時々試合に出して貰い、これまた貴重な経験でした。暖かく迎えてくれたGMのシモニーさんそしてチームメートの皆様には感謝感謝です。
 ゴルフでは日本人ゴルフ部に参加させて頂き、毎月の定例コンペ、春秋のマッチプレーで楽しくプレーをすることができました。月一ゴルファーながら基本にこだわり、フォーム矯正に時間を掛け「魅せるゴルフ」(誰も見ていませんが)を追求しました。成績はと言うと浮き沈みが激しく(大半は水面下)パッとしませんでしたが、ごく稀に調子が良く定例会で3回、神懸り的にマッチプレーで1回優勝できたのが貴重な想い出です。また、超高級和食料理店「大吉」で開催される新年会や忘年会、そこから流れて某クラブTにおける部員の皆様との楽しい語らいと歌声交換は今も懐かしく思い出されます。世の中にこれほど欲求不満がたまるスポーツがあるかと思えるほど不思議な競技ですが、その分奥も深く仲間と共有できる話題が尽きない楽しい趣味だと思います。

ビジネス
 出張所と言う性格上、出身部隊である情報関連のみならず化学品、鉄鋼製品、物資等のコモディティービジネス、更には環境関連、上下水道、発電所、石油化学プロジェクト等幅広い分野(その多くが未知の世界)を手掛けることとなり、様々な苦労はありましたが大変有意義な時間を過ごす事が出来ました。日系進出工場の中で技術サービスを提供させて頂いたことや省エネ設備を導入頂いたことも貴重な経験でした。
 また、日本国内では滅多に出来ない日本大使館・ジェトロの皆様や同業他社との交流を経験し、更には日本を代表する製造業の方々と知り合う機会にも恵まれましたが、これまた目に見えない財産かと思います。
2008年のリーマンショックに続く欧州景気後退の影響もあり、業績面では困難な時期でしたが、ハンガリー経済の今後の力強い回復を祈るばかりです。

商工会・日本人会
 2007年赴任とともにいきなり商工会の副幹事となりあたふたしました。然しながら、商工会メンバーである日系進出企業のトップの方達と親しくなり、また商工会をより良くするお手伝いが少しでも出来たとしたら大きな意義があったと思います。勢いあまって日本人会の会長も引き受け、何とか魅力ある会にしたいと尽力しましたが、力及ばず結果的に解散させてしまい忸怩たる思いも残ってしまいました。商工会会員、事務局、歴代幹事、ジェトロ、大使館の皆様、そしてご意見番(天敵?)盛田様には大変お世話になり改めて御礼を申し上げます。

 花粉症の季節を乗り切り、満員電車も大分慣れ、梅雨真っ只中ではありますが、ついこの前までハンガリーに居たことが夢のようです。近いうちに是非とも「ドナウの真珠」ブダペストを再訪したいと考えています。

(さかなし・まさのり  丸紅)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.