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私にとっての国際性
Palik Zita


   みなさんは国際性という言葉を聞いたことがあると思います。でも、それは実際にはどういう意味なのでしょうか?
 私は去年の9月から、京都の立命館大学で留学生として日本語を勉強しています。日本に来てから毎日、日本人だけではなく、世界の各地から来た留学生と一緒に生活しているので、各国の様々な文化・習慣を知るようになりました。そのような状況で、数週間前に「温かいスープ」というエッセイを読み、初めて国際性という造語を見ました。
 「1957年、私はパリで大学の講師を勤めていた。しばらくはホテルにいたが、主任教授の紹介状で下宿が見つかり、訪ねあてたところ、そこの主婦は、私が日本人だと知るや、「夫の弟がベトナムで日本兵に虐殺されているので、あなた個人になんの恨みもないけれど、日本人だけはこの家に入れたくないのです。その気持ちを理解してください。」と言い、私が下宿するのを断った。しかたなく、大学が見つけてくれた貧相な部屋のホテル住まいをすることになった。
 そのころの話である。私は平生は大学内の食堂でセルフサービスの定食を食べていたが、大学と方向の違う国立図書館に調べに行くと決めていた土曜は、毎晩、宿の近くの小さなレストランで夕食をとるほかなかった。その店はぜいたくではないがパリらしい雰囲気があり、席も十人そこそこしかない小さな手作りの料理の店であった。白髪の母親が台所で料理を作り、生っ粋のパリ美人という感じの娘がウェイトレスと会計を受け持ち、二人だけで切り盛りしていた。毎土曜の夕食をそこでとっていたから、二か月もすれば顔なじみになった。
 若い非常勤講師の月給は安いから、月末になると外国人の私は金詰りの状態になる。そこで月末の土曜の夜は、スープもサラダも肉類もとらず、「今日は食欲がない。」などと余計なことを言ったうえで、いちばん値の張らないオムレツだけを注文して済ませた。それにはパンが一人分ついてくるのが習慣である。そういう注文が何回かあって気づいたのであろう、この若い外国生まれの学者は月末になると苦労しているのではあるまいか、と。
 (中略)その後、何ヶ月かたった二月の寒い季節、また貧しい夜がやって来た。花のパリというけれど、北緯五十度に位置するから、わりに寒い都で、九月半ばから暖房の入るところである。冬は底冷えがする。その夜は雹が降った。私は例によって無理に明るい顔をしてオムレツだけを注文して、待つ間、本を読み始めた。店には二組の客があったが、それぞれ大きな温かそうな肉料理を食べていた。そのときである。背のやや曲がったお母さんのほうが、湯気の立つスープを持って私のテーブルに近寄り、震える手でそれを差し出しながら、小声で、「お客様の注文を取り違えて、余ってしまいました。よろしかったら召し上がってくださいませんか。」と言い、やさしい瞳でこちらを見ている。小さな店だから、今、お客の注文を取り違えたのではないことぐらい、私にはよく分かる。
 こうして、目の前に、どっしりしたオニオングラタンのスープが置かれた。寒くてひもじかった私に、それはどんなにありがたかったことか。涙がスープの中に落ちるのを気取られぬよう、一さじ一さじかむようにして味わった。フランスでもつらい目に遭ったことはあるが、この人たちのさりげない親切ゆえに、私がフランスを嫌いになることはないだろう。いや、そればかりではない、人類に絶望することはないと思う」
出典:光村図書発行「中学三年国語」(一部抜粋)

このエッセイは美学者・中世哲学研究者の今道友信によって書かれたもので、著者はフランスで働いていたときの経験を基にして国際性の大切さを強調しました。著者によると国際性は、流暢な外国語の能力や、事業の規模や、学芸の才気などとは関係がありません。むしろ、お互いの文化・習慣・歴史を敵愾心なく思いやって、人種に関わらずお互いが「人類」という仲間だという自覚を持つことが、国際性の基本です。例えば、その「温かいスープ」では、金詰まりになった著者に対して、あるレストランを経営している親子が見返りを求めずにオニオンスープをあげました。これは、無償の愛、そして人類愛の良い例です。
 そのエッセイを読んで、私にとって国際性とはどのようなことか、色々考えました。私は日本に着いた日から、初めて家族や仲のいい友達の手伝いなしで新しい生活、習慣、礼儀に慣れ親しまなければなりませんでした。初めの頃はどうすればいいかなといつも緊張して神経が高ぶっていましたが、日々が過ぎ去るにつれて、ものごとが簡単になってきました。すでに最初の日にはオーストラリア、マレーシア、ブラジルなど様々な国から来た若者と出会いましたが、みんな、私と同じような緊張、悩みを持っていたようで、静かにお互いの顔を盗み見ていました。彼らもどうすればいいか、何を言えばいいか全然分からないようだ、と思って、やっぱりみんな同じだと感じました。そのような共通点のおかげで、私達は思いがけずお互いに固い友情の絆で結ばれるようになりました。その友情の中では、国籍、宗教、学歴に関わらず、人はみな、平等でした。「自分と同じような問題に直面する友達は、自分と一緒だ」という気持ちをみんなが持っているので、見返りを求めることなくお互いを手伝っています。それは国際性の例の一つだと言えるでしょう。
 しかし、初めて国際性という言葉を聞いたときに私が思い出したのは、他の体験でした。私は日本に来て1週間目に区役所に在留カードと健康保険証を申請しに行かなければなりませんでしたが、その頃はバスがどちら側を走るかさえ分かりませんでした。それで、区役所の人の言いたいことや申請書の記入のやり方などが分からなくて困るんじゃないかと恐れていましたが、幸い、そんなことは起こりませんでした。どうしてかというと、私が通っている立命館大学では、留学生を援助するためのSKPバディーという学生会があるのです。その会では、留学生が日本での滞在を楽しめるように様々なイベント、パーティー、飲み会を主催したり、悩みや問題があったら相談に乗ったりする日本人の学生がいて、色々手伝ってくれます。区役所に行くべき日にも三人のバディーたちが私達を連れて行ってくれて、申請書の記入を手伝ってくれて、カードが届いたら何をしなければならないか説明してくれて、本当に助かりました。その三人の援助がなかったら何もできなかったかもしれません。今でも日常生活において色々忠告してくれて、とてもありがたいです。私にとって彼らの無償の援助こそが国際性の実例です。
 重要なのは、平凡な生活の中で、小さいことでもお互いに見返りを求めずに手伝ったり助けたりすることで、よりよい世界のために少しずつでも実践していかなければならないと思います。
(パリク・ズィタ)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.