2014年小林研一郎ハンガリーデビュー40周年記念コンサート
盛田 常夫
「炎の指揮者コバケン」こと、小林研一郎の指揮者としての国際デビューの地はハンガリー。ハンガリーテレビ主催「第一回国際指揮者コンクール」(1974年)で優勝して、来年でもう40年になる。これを祝うコンサートシリーズのプログラムがほぼ確定したのでお知らせしたい。まだ1年先の話だが、コンサートプログラムや会場の確保は2シーズン先まで予定が組まれるのがふつうだから、1年という時間は会場を押さえる時期としては、ギリギリの時点なのである。
「コバヤシ・ケンイチロウ」はハンガリーでもっとも名が知られる日本人である。ハンガリー政府が全世界で5名を指名した「ハンガリー文化大使」の一人。音楽に素人の私は、いろいろな経緯があって、コバケンのハンガリーにおける音楽活動を裏方として支えてきた。恒常的なサポーターがいないと、外国で芸術家が活動を続けて行くのは難しい。せっかく「コバケン」という日本の代表選手がいるのに、それを持ち上げなければ、「宝の持ち腐れ」になってしまう。しかし、大使館であれ企業であれ、駐在員は数年で日本に戻ってしまうから、継続的なサポートは難しい。
当地に定住している者が支える以外に方法ない。願わくは当地に進出している日系企業が、ハンガリーと日本の文化交流の重要な絆として、コバケンの音楽活動を支援する姿勢を示して欲しいものだ。
こういう思いがあって、1994年にデビュー20周年、2004年にはデビュー30周年を祝う会を組織した。来年の40周年はさらに大きな節目として、コバケンのハンガリーでの活動の総決算となるような企画を目指している。各コンサートチケットの入手は発売とほぼ同時に売り切れることが予想されるので、クラシックファンの皆さんの注意を喚起しておきたい。
20周年記念パーティ
1994年3月、開業間もないケンピンスキーホテルにて、20周年記念行事を行った。当時、コバケンはハンガリー国立フィルハーモニーの音楽監督という重職を担っていた。巨匠フェレンチック・ヤーノシュ亡き後の国立フィルの音楽監督に、団員の投票で常任指揮者に選任され、その後音楽監督の地を得た。1987年から1997年までの10年にわたって、ハンガリー国立フィルハーモニィを率いてきた。
このパーティを組織するにあたって国立フィルのメンバーと話し合い、楽器グループごとに小演奏を行うことでお祝いに代えようということになった。午後7時30分から始まったコンサートは、深夜近くまで繰り広げられた。170-80名ほどのテーブル席のほかに、早稲田グリークラブのメンバー70名ほどが終始壁際に立ちっ放しという大盛況だった。国立フィルメンバーによる工夫を凝らした演奏が第一部。休憩中には、出版されて間もない『指揮者のひとりごと』(騎虎書房、1993年12月)のサインセールが行われた。第二部ではコバケンがカンツォーネを歌い、ピアニストの小林亜矢乃さん(お嬢さん)と加藤洋之君がそれぞれソロ演奏し、最後はグリークラブと国立フィルをバックに、コバケンが「アカシヤの径」を歌って幕となった。思い出に残る楽しい音楽会だった。
このパーティの模様をDUNA TVのクルーが撮影し、その後50分の番組に編集されて繰り返し放映された。今でもこのビデオを見ると、20年前の懐かしい記憶が蘇ってくる。とにかく、コバケンを含めて、皆若かった。コバケンが中学生時代に作曲した「藤棚の下で」という曲を、ソプラノ歌手パスティ・ユーリアがコバケンのピアノ伴奏で歌った。2011年5月にマーチャーシュ教会で震災チャリティコンサート(モーツアルト「レクイエム」)を行った時に、彼女がリスト音楽院の学生の中からソリストを選んでくれたのだが、17年ぶりに会場で顔を合わせた彼女は、面影がないほどに老けていたのにびっくりした。私と同い年だから、他人のことは言えないが。この再会をきっかけに、彼女をホームコンサートやクリスマスパーティなどに招き、歌ってもらっている。素人の私とドゥエットまでしてくれる。彼女の娘、Karosi Juliaはジャズ歌手として活躍していて、彼女のバンドにクリスマス演奏を依頼している。
横道にそれたが、とにかく、この20周年の集いは楽しかった。当地の日本商工会傘下の会社の代表者もほとんど参集された。ただ、パーティ費用を捻出するのに苦労した。懇意にしていた1社を除き、スポンサーはゼロだったからである。苦肉の策として、当時としてはかなり高額のパーティ券を個別に買っていただき、30万Ft程度の資金を集めたのを覚えている。ケンピンスキーホテルも、会場を無償で提供するなどの便宜を図ってくれたが、200名を超える参加者の飲食をこの予算で提供するのは無理があり、グリークラブのメンバーを夕食なしで4時間も立たせてしまい、悪いことをした。TVクルーからも撮影途中に、食事や飲み物を催促されて困ったのを覚えている。
そういう苦労はあったが、このパーティは盛会のうちに終わった。それにしても、こういう時にはもっと日系企業の支援があっても良いと思うのだが、そういうことを意識され費用の心配をしてくれたのは、わずかにトーメンの天野所長だけだったのを覚えている。
30周年記念コンサート
30周年のお祝いは2004年10月に行われた。前回の苦い経験から学び、コンサートとパーティを別にした。パーティは関係者のみに限定し費用を日本商工会の寄付金で賄い、コンサート経費は国立フィルの負担と決めた。コンサートは招待ベースとし、500名程を招待した。
会場はハンガリー科学アカデミー本部の大ホール。国立フィルからは弦楽器演奏と音楽監督コチシュのピアノ演奏、それに国立合唱団、ハンガリーラジオ児童合唱団に加わってもらった。当地の日本人演奏家からピアノの関野直樹君、歌の坂井圭子さん、リスト音楽院の日本人とハンガリー人で構成するMAJA弦楽四重奏が演奏した。
開演前の挨拶が長くなったが、多彩なプログラムが構成された。児童合唱団には事前に「アカシヤの径」を練習してもらった。私が何度か音楽学校の練習場に通って、マエストロの代わりに歌い、合唱との合わせを行った。また、10年前の会でパスティ・ユーリアが歌った「藤棚の下に」を坂井さんが歌い、児童合唱団は「夏の思い出」を歌ってくれた。天皇陛下ご夫妻のハンガリー訪問時にも、児童合唱団が国立ギャラリーでこれを歌って出迎えたようだ。合唱団の歌唱が終えた後、マエストロから即興の合唱指導があり、一瞬で曲想が変わる魔術を見せられ、会場が沸いた。最近、再び、児童合唱団の「夏の思い出」を聞く機会があったが、一本調子の平板な「夏の思い出」に逆戻りしていた。
児童合唱団には日本人学校校歌(小林研一郎作曲)も歌ってもらった。当初は日本人学校の児童に歌ってもらおうと企画していたが、夜が遅くなるという理由で父兄の賛同を得らなかったようだ。貴重な機会だったと思うが。
この記念コンサートはビデオで撮影する準備をしなかった。今から考えると、何とも残念である。
40周年記念コンサートシリーズ
昨年来、いくつかのオーケストラやリスト音楽院バッタ学長に、40周年行事の話を持ちかけていた。バラバラにコンサートを開くより、一連の記念コンサートシリーズとして開催した方が良いので、期日を合わせようと。諸般の事情を考慮し、記念コンサートシリーズは2014年3月ということになった。
コバケンが東京のコンサートを終えてハンガリーに到着できる一番早い期日が3月10日。そこからコンサート日程を組み始めたが、すでに芸術宮殿は予約で埋まっており、3月20日を過ぎると、春の音楽祭のために、すべての音楽会場は音楽祭事務局が押さえてしまっている。そこで、関係者がいろいろ掛け合い、会場の交換や変更、春の音楽祭事務局との交渉を通して、以下のようなコンサート日程が決まった。まだ仮のプログラムではあるが、この日程にしたがって、これから詳細を詰めることになる。
コンサートチケットは主催オーケストラが販売するので、インターネットを通して購入していただきたい。数が多い購入であれば、事前に確保することはできるので、お知らせいただきたい。
3月14日
マーラー「復活」
国立フィル・国立合唱団
リスト音楽院ホール
ソプラノ:サボキ・トュンデ アルト:ヴィーデマン・ベルナデッテ
3月19日
オルフ「カルミナブラーナ」、チャイコフスキー「ロココ協奏曲」芸術宮殿
ラジオオーケストラ・合唱団
チェロ:ペレーニィ・ミクローシュ
3月22日
プログラム未定
ペーチ・バルトークホール
3月26日
ベートーヴェン「第九」、小林研一郎「パッサカリア」
リスト音楽院オケ
リスト音楽院ホール
3月30日
ベートーヴェン「エロイカ」ほか
ジュールオケ
ショプロン音楽ホール
3月31日
同 上
ジュール・バルトークホール
4月3日
チャイコフスキー「悲愴」ほか
MAVオケ
リスト音楽院ホール
(もりた・つねお)
Web editorial office in Donau 4 Seasons.