最初のスポットは油小路でした。御陵衛士を設立した元新撰組伊東甲子太郎はここで新撰組の一員に暗殺されたといわれています。御陵衛士は幕府、そして新撰組の敵であった薩摩藩と協力しようとしていたといわれています。新撰組局長の近藤勇は新撰組三番隊組長斎藤一からこの情報を手に入れたと言われています。
次に西本願寺を訪ねました。このお寺は新撰組の第二屯所でした。第一屯所は壬生寺だったのですが、新撰組の組員の数が増えてきたため使えなくなり、西本願寺に移動しました。ちなみに、西本願寺の唐門は日本国宝に指定されています。まだ3月でしたが、ここではもう桜が綺麗に咲いていました。日本に来てから、咲いている桜を見るのは初めてでした。
西本願寺から出て、20分ほど歩くと島原の大門の前に出ました。ここで写真を撮ろうとしていた時、門の右側にある小さな店の前に並んでいるおばあさんたちの姿が見えました。和菓子屋でした。京都の和菓子は日本で一番美味しいと聞いていたので、私たちも食べてみたくなり、団子といちご大福を買って、食べながら島原を散歩しました。ここで見たかったのは角屋という御茶屋でした。この建物はとても珍しいもので、1641年に建てられた元の形で残っています。新撰組の組員もよく、角屋に遊びにいったといわれています。今は、美術館です。残念ながら、美術館の入館には予約が必要で、私たちは角屋の中を見ることができませんでした。そして、島原での散歩を続けました。今の島原はとても静かで、住みやすそうな所だと思いました。
次のスポットは壬生寺でした。地図を持っていたのに道に迷ってしまい、1時間くらい歩いて探しましたが、なかなか見つけられませんでした。しかし、神様のおかげか、新撰組商品を販売している小さい店に入ることができました。この店の優しい店員さんからもっと詳しい地図をもらって、少し新撰組や新撰組の大河ドラマについて話しました。その上、いい買い物もできました。新撰組副長土方歳三のクリアファイルを手に入れました。新しい地図をもらったのに、また道に迷い、ようやく壬生寺の裏門にたどり着きました。壬生寺には私たち以外の外国人はいなく、しかも女性もいなくて、他の人々は私達をじろじろ見ていたので、初めは少し不安でした。しかし、この不安感は壬生寺の庭を歩いているうちにすぐ消えました。新撰組の展覧会を見てから新撰組パークに向かいました。ここで新撰組について書かれた歌を聴いて、近藤勇の像と写真を撮りました。日本の各地方の子供たちが描いた絵の展覧会も見て、新撰組がこんなに人気があるのは本当にいいことではないかと思いました。大河ドラマやアニメなどをきっかけに子どもが日本の歴史に興味を持つようになることは素晴らしいことだと思います。
新撰組めぐりの終点は、新撰組が大きく名を挙げた場所、池田屋でした。池田屋事件というのは長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派志士を新撰組が襲撃した事件です。新撰組に逮捕され、土方歳三に拷問された維新志士・古高俊太郎から、祇園祭りの風が強い日に京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて天皇を誘拐して長州藩に連れ去ろうという計画があることが分かりました。新撰組はこの企てを阻止しようとして、池田屋で秘密会議を開いていた尊皇攘夷派志士を暗殺したのです。
当時の池田屋の建物は現在残っておらず、現在は新しい建物に建て替えられています。十数年前まで、池田屋の跡地にはパチンコ屋がありましたが、2009年に新撰組と幕末維新をテーマとしてリフォームされ、はなの舞・池田屋という居酒屋になりました。居酒屋のチラシを見て、本当に驚きました。飲み物や定食に新撰組の組長の名前が付けられていたのです。例えば、沖田定食や長倉カクテルも売っていました。これはちょっと不思議で、新撰組の剣客たちの名前を定食やカクテルにつけるのは尊敬の気持ちがあるようにはあまり思えなかったので、私たちは入りませんでした。これは多分、ハンガリー人的な感覚のせいでしょう。ハンガリーでは尊敬されている歴史上の人物は名前も尊敬され、定食やカクテルに名前を付けることは有り得ないと思います。
池田屋で新撰組巡りの一日は終わりました。朝から晩まで歩きっぱなしだったので、本当に疲れましたが、とても幸せな気分でした。有名な観光スポットだけでなく、私達好みのプランで特別な旅をできたのは楽しかったです。旅だけではなく、学ぶことの多い旅行になりました。 |