日本語は、これまで、私との会話と、寝る前のお話し、いわゆる読み聞かせで使ってきたが、その内容では、彼
らの言語能力に追いつかなくなっているのが現状。でも、地方からでは、日本語補習校に通わせることは不可能だし、ましてや家庭教師など選択肢にも入れられ
ない。私も、ここの生活にどっぷり漬かっているので、段々ハンガリー語の方が表に出てきていて、無理して日本語でコミュニケーションをとるより、ハンガ
リー語の方が自然になっている傾向がある。(ちなみに、家族との会話はハンガリー語。)ことばを仕込むのも、こどもを育(はぐく)むのも、一人二役なの
で、こどもの日本語教育については非常に悩む。
そこで、同じような状況の地方在住の親たちと、日本語学習会を開くことにした。先生は、お母さんだけど、大学の教室を拝借し、環境だけは立派に運営してい
る。また、ブダペストには、Wの会という、同じような家族、30組ほどが集まる、ゆるい繋がりの会があって、毎年一回の講演会と親睦会を開いている。現在
会長をしているので、もし興味あるご家族があれば、ご遠慮なく。
いろいろ試しているけれど、兎にも角にも、おじいちゃん、おばあちゃんと話せる手段だけは抜けないようにし
てあげたいというのがまず念頭にあって、欲を言えば、手紙も書けるようにしてあげたいし、将来は、両方の世界を熟知している人間に育って欲しい、と願う。
けれど、ふたつの視点ができることだけでも、賜り物ものだと思うことにしている。自分と比較しても、都会で育った私にとって、母の田舎は別世界で、両極の
視点を持てた恩恵は、至るところで感じる。ハンガリー人の父親と日本人の母親に育てられているこどもたちは、両世界にはもっと距離があるから、より大きな
結果が現れるだろう。
違うのは、ことばだけでなく、当然、文化面も大きい。ハンガリーで生活を送っているから、ハンガリーの文化には、すっかり馴染んでいるけれど、日本の文化
は、ことばと同じで、殆ど私からしか流れない。そこで、昨年は、日本で年越しをすることにした。
まめな両親のおかげで、こどもたちは、年末大掃除以外の多種多様な正月行事を経験できた。父と竹やぶに竹を
取りに行って門松をこしらえたり、しめ縄や生花、お飾りを手伝ったり、お節料理の田作りを炒って、栗きんとんをこすのを何時間も手伝ったり。機械ではある
けど、餅つきをして、鏡餅や切り餅を作ったのは、とても楽しかったようだ。帰国前日、運よく地元のどんど焼きにも参加でき、お祓いを受け、七草粥を食べ
て、最後の締めまで体験することができた。
さて、いろいろなことを一気に経験したけれど、一体何がどのくらい記憶に残ったか。ハンガリーのおばあちゃんに話している内容からすると、娘にとって、一
番嬉しかったのは、日本の祖父母、曾祖父母、私のきょうだい、いとこ、親戚に会えたことのようだ。あとは、大晦日、除夜の鐘について、ハンガリーのパー
ティーと比べて、なんと静かでつまらなかったかを語っていた。一方息子は、保育園で日本の思い出を聞かれ、飛行機がどう揺れたかを事細かに話したらしい。
正月準備への参加意欲はあまりなく、ありとあらゆる所で見つける違い、新しい物事に疑問が沸いてくるので、質問のし通しだったように思える。日本での出来
事は、魚市場のことをかろうじて覚えていて、魚やエビ、タコがどう泳いでいたか、延々と話したようだ。
感想が何であれ、私側の世界を見せられたことは、うれしかった。これからも、ことばだけでなく、自分が家族から授かったものは、できるだけ伝えていきた
い。私にとって譲れない文化は、ひな祭りと食事なのだが、我家ではお雛様を父親が準備したので、桃の節句が近づくと、彼を思い出し、食事は、母親が一番大
切にしていたことだからではないかと思う。彼女のように上手に料理はできないけれど、同じように大切にしたい。こんな日常を通しても、もう一方の世界を補
えるのではないかと思っている。そして、彼らの人生に、どちらの世界の何が、どのくらいの割合で影響するかわかる日を、楽しみに待とうと思う。
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