癌 患者の友に学ぶ
瀬川 知恵子
もう、T さんとは8年のつきあいになる。一度も会ったことはない。何度か写真を送っていただき、おそらく私と似た60代前半の年齢の母親ではないかと想像してい る。年に2-3度、いつも美しい封筒に、A4の紙一杯に描かれた、楽しい漫画やイラスト入りの手紙をくださる。漫画がとても上手で、簡略な線が特徴的な動 きを捉えていて面白い。
彼女との付き合いは、思えば不思議なものである。私がブダペスト滞在の暮らしを綴った『きいろはハンガリー色』というエッセイを出版したのが2004年 夏。その秋の日に、一通の丁寧な葉書が届いた。そこには、ご自分が癌患者であること、余命5年と宣言されていることなどが書かれており、私の本を読んで、 「生きる勇気を与えられた」と感想が書かれていたのである。私は、特に病気に触れた文章を書いた覚えがなく、癌患者に希望を与えるメッセージも、まるで思 い当たらなかった。ただ、そのとき、私の文章で、たとえ地球の中の一人にでも、少しの勇気を与えることができるのだとしたら、私の文章には価値があると、 勇気をもらったのは、実は私の方であった。
Tさんは、末期癌患者であるが、「5年」といわれた余命はとっくに過ぎて、すでに「8年」も月日が経っている。彼女は延命治療をしないことを自ら選び、現 在、緩和ケアを受けながら、外国旅行に一人で出かけ、積極的に国際交流をし、できることは何でも進んで行動し、活動して、信じられないほど前向きな暮らし を続けている。
Tさんが所属する癌患者の団体で発行している、「癌新聞」に記事が掲載されているのを送っていただいた。なんとも壮絶な病気との闘いの痕が、数行の中に読 み取れる。47歳で胃がんのため胃全摘。49歳で膵臓がんを発症、膵頭、十二指腸、胆のう、胆管を摘出、57歳で肺がんが発見され、右肺中葉を切除。59 歳で肺がん再発。
この後、Tさんは、積極的治療は望まず、緩和ケア外来を探して、目指すドクターに会った。それが東芝病院の茅根先生だという。偶然にも、私の長男が東芝 (株)に勤務しており、何のアドバイスもできない私は、そんな小さなことを知るだけで、ご縁が繋がるようで嬉しくなった。Tさんは、自分のことを「近代医 学から見放された末期の癌患者」と呼ぶことを真正面から恐れない。
そんな彼女から、最近届いた手紙に、また驚かされた。可愛い二人のお孫さんを抱き、舞台衣装のような優雅なドレスを着て、髪にも大きなお花をつけた、にこ やかなTさんの新聞掲載写真が同封されていたのである。説明には、「孫たちとおしゃれをして、写真屋さんで写真を撮っていただきました。こんなことに挑戦 するだけでも、気がまぎれ、わくわく感が蘇り、病気の進行も遅らせているようです。」とあった。
彼女の、この明るさと強さは、どこからくるのだろう。予期しない不運が襲ってきた時、人は運命を恨んだり、自暴自棄になったり、あるいは落ち込んで鬱に なったりしても仕方がないだろうと思うのだが、どれだけの人が、自分の不幸をそのまま冷静に受けとめられるだろう。いつも手のひらを返すように、彼女から は眩しい光が投げかけられてくる。特に際立った問題も心配もないのに、わざわざ身の回りの小さなことを問題視して、愚痴を言っている自分が恥ずかしくな る。勝手に人生を捻じ曲げて無駄にしていると反省しきりである。
彼女には、恨みや妬みが見当たらない。誰かの慰めを期待しているわけでもない。何事に対しても自然体で、運命をそのままを受け入れる純粋さと冷静さと心の 大らかさがある。できる精一杯のことをできる範囲で楽しみ、日々の暮らし一つ一つを、とても大切にしている。本当に羨ましいくらい、人間としての完成度が 高いと思う。
先日、ハンガリー大使館で、『腫瘍温熱療法−オンコサーミア』出版記念パーテイに招待いただいた。サース・アンドラーシュ博士(ハンガリー)が提唱し、現 在、絶大な実績をドイツの病院を中心に展開している医学療法の紹介書籍である。ハンガリー駐在時、大変お世話になった盛田常夫氏が翻訳したものだ。それに よると、
−42度の温度水準を腫瘍組織に獲得することを目標とする従来のハイパーサーミアという方法は、熱で腫瘍細胞を焼き切り、腫瘍細胞を壊死させる手法と理解 されているが、この手法は周囲の健康組織も同時に温めてしまう等、問題も多く、現在行き詰りつつある。サース・アンドラーシュ博士の自然療法としてのオン コサーミアは、腫瘍細胞に選択的に熱を送り込むことで、機能を停止している自死のメカニズムを復活させることを目的とする。選択的加熱の要点は、細胞膜の 内外の温度勾配(温度差)を作ることで、細胞膜の内と外に温度差を創出させることが目標となる。この治療は正常なホメオスタシスの回復を促すことを重視し たもので、これからの癌治療は薬剤や手術にたよる西洋的治療法と自然的な治癒を優先する東洋的治療を結合させることが不可欠
―というものだ。
韓国では、数年前からサース博士が開発した機器が導入されていて、現在では主要な大学病院ほとんどでオンコターミア温熱治療が行われているというが、日本 は、これからの導入となる。とても興味深い内容の博士の講演会だった。
癌患者の中には、時間が迫っている人達がいる。日本の病院のシステムとして、製薬会社他のしがらみで、なかなか新しい機器を導入するまでには時間がかかる ということだが、本当に良い機器なら、迷わず、早く認可導入してほしい。まっさきに、試してもらいたいと、Tさんが頭に浮かんだ。
末期癌患者のTさんに元気をもらい、教えられることは、いつも少なくない。静かに、祈るような気持ちで、今回のお手紙も読ませていただいた。
(せがわ・ちえこ エッセイスト)
Web editorial office in Donau 4 Seasons.