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東 京アールハーズ
仲川 寿一

 
 黒のフェ ンダー・テレキャスター。私の宝物はこの1本のエレキギターである。大学の時にアルバイトをしまくって購入したもう25年以上も前の年代物だ。
学生時代同級生とロックバンドを組んでいた。学園祭や小さなライブハウスで時々演奏していた。卒業後、メンバーはバラバラになった。さすが東京である。当 時同格だと思っていたバンドのいくつかはプロになり、若者達の熱狂的な支持を得ることになる。
  卒業後は実家の京都に戻り仕事を始めたが、高校時代の友人と週末に貸しスタジオで好きなロックを楽しんだ。黒のテレキャスターはいつも傍らにいた。その数 年後、私はハンガリーで暮らすことになり、未知の世界の暮らしに慣れることに精一杯で、テレキャスターも日本においてきた。しかし、ハンガリーのロックバ ンドや時々来洪するロックスターたちのコンサートには足を運んでいた。その中でも長年憧れのローリングストーンズのコンサートのオープニング曲 “Start Me Up”のイントロが、スタジアムからブダペストの町中に響き渡るほどの大音響で鳴り響いた時は鳥肌が立った。キース・リチャードの弾くテレキャスターだ。 それは10代の頃初めてロックミュージックを聴いたときの衝撃と感動をまざまざと蘇らせる程のインパクトがあった。これを聞いてもう一度ここでもバンドを したいと思った。
  その年の夏、実家にほこりをかぶって眠っていたテレキャスターを取り出し、弦を張って磨きなおし、ハンガリーに持ってきた。私はカラオケで歌うのも好き だ。ハンガリーに来た頃はまだカラオケがなかったのでウィーンまでわざわざ歌いに行ったほどだ。ここブダペストでもアジア人が経営する日本のカラオケがで き、時々歌いに行っていた。しかし決して安くはない。ある日、歌っているときに友だちが言った。
  「バンドを組んで自分たちで演奏して歌った方が安あがりじゃない」
  「3人ともバンド経験者だしやってみようか」
  こうして思いがけず日本人バンドを組むことになった。レパートリーはカラオケで歌うような日本のロックやポップス。世代や好みによって少しずつ違い、ボー カルは演奏曲によって入れ替わる。そんなバンドが誕生したのが2008年。バンド名は「東京アールハーズ」。ハンガリー語の「Tok Jo!(すごくいい、すばらしい)」と「Aruhaz (デパート)」を組み合わせて「すばらしいデパート」という意味にもなる。ハンガリー人の助っ人メンバーも入り、メンバーチェンジを繰り返しながら今は日 本人3人、ハンガリー人1人の4人で活動している。
  ポリシーは一応日本語の曲(オリジナルも含めて)をレパートリーにすること。外国語の曲でやりたい曲はたくさんあるのだが、ハンガリーの人たちに日本のJ ポップを紹介することを目的とするバンドということ。でもそんな大それたことよりもとにかく楽しもうというのが一番の目的。もともとカラオケ替わりに始め たバンドなのだから。
  これまで6回コンサートをおこなった。地下のワインセラーを改装したライブハウスが会場だ。ロックンロールは本当に単純な音楽だ。不良の音楽とまで言われ たが、音楽に縁もゆかりもなかった私に音楽の楽しさを教えてくれたのはロックだった。音楽の授業が苦手で楽譜なんて全く読めない私でも、自分で演奏し、ス テージで人に楽しんでもらうことができる。10代に心ふるわせわくわくさせてくれるものに出会え、今でもその時の気持ちを持っていられるのは幸せかもしれ ない。60、70歳のおじいちゃんになってもロックンロールをやっていたいものである。
  ここハンガリーでバンドの仲間に巡り会え、黒のフェンダー・テレキャスターをまた蘇らせることができた。「東京アールハーズ」は今や私の宝物である。
(なかがわ・としかず 日本人学校)
 
 

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