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近   況
倉林 義正

 
 如何お過 ごしでしょうか。私ども後期高齢者両人もそれぞれにわが身の老いを日々実感しながら、無事に生き永らえております。ここでは、季節のご挨拶の補足として近 況を少しばかり、お便りすることにいたしました。
  私は、すでに2004年3月31日をもって、一切の公職から身を退かせて頂くことにして、市井に退隠する老人の一人となりました。それまでに International Association for Research in Income and Wealthから贈られた名誉会員の称号と、文化経済学会(日本)の顧問という名誉職の立場を除くと、現在は全く当たり前の後期高齢者としての日々を過ご しております。たまたま去る11月末、来年は上記文化経済学会(日本)がその創立二十周年を迎えるとのことで、その前祝の行事の一環として、秋のシンポジ ウムが青山学院大学で開催されることなり、その一つのセッションである「文化経済学会(日本)の20年を振りかえる」セッションにおける三人のパネリスト の一人として招かれました。その席上、私は大容量の統計データセットの解析方法における林(知己夫)およびBenzecri理論の応用の意義と可能性、お よび文化経済学研究の理論分野にとって、行動経済学的アプローチが特に重要であることの二つを強調する機会が与えられたことは大変に幸せであったと思って おります。特に今年は、その行動経済学の生みの親であるKahneman教授による待望の単著 Thinking, Fast and Slow, Allen Lane, 2011 が公刊されております。年が明けましたらその勉強に取り掛かることになるだろうと楽しみにしております。
  今年の五月、老人夫婦二人でイタリアのトスカーナを巡る旅を致しました。アレツッオ、シエナ、フィレンツエの各都市にそれぞれ3泊ずつ滞在しながらの、気 ままの旅行でありました。携行したJ.H.Plumb, The Penguin Book of the Renaissance, 1969に導かれるままにピエロ、デラ、フランチェスカ故旧の地サンセポルクロを訪ねる機会がありました。その市美術館でピエロの珠玉の傑作を鑑賞するこ とができたたことは申すまでもありませんが、街角の一角にピエロとその(数学上の)弟子ルカ、パチョーリ二人の記念像に接することができたことは全くの奇 遇でありました。パチョーリは、「算術、幾何および比例総覧」(1494年刊)の著者として知られており、加えてその中において複式簿記の原理に関する最 初の原理的解明を行っていることで不朽の名声を勝ち得たのでありました。
  シエナの大聖堂ではその一角に設けられたピッコロミーニ図書室で、後にピウス二世に登りつめるピッコロミーニ枢機卿の一代記を描いた画像の前を低回、言い 知れぬ感銘を受けたのでした。上に掲げたPlumbの書物には、コンスタンチノープル陥落以後の困難に立ち向かい、勃興するオスマントルコ帝国との対峙に 明け暮れた末、非業としか言いようがない最期を迎えざるを得なかったこのピウス二世の生涯を叙述する一章が設けられており、格別に哀れを誘ったことであり ました。
  アレッツォではフランチェスコ教会を飾るピエロの制作による「十字架伝説」の連作フレスコ画にも再会致しました。同じ「十字架伝説」による連作フレスコ画 と言いますと、フィレンツエのサタクローチェ教会にあるガッディの制作による連作フレスコ画が想起されます。私どももフィレンツエ滞在中の一日、そこを訪 れたのでしたが、あいにく全面改修中で対面することも叶わず、落胆いたしました。総じて言うならば、今回の旅の大きな収穫は、やはりピエロ、デラ、フラン チェスカと、その弟子ルカ、パチョーリの業績を追体験する旅であったと思わざるをえません。アレッツォから少し離れたモンテルキの墓地礼拝堂にあるピエロ の「出産の聖母」を観るべく、慌しく閉館間際の礼拝堂に駆け込んだことも、今となっては懐かしい思い出となりつつあります。アレッツオを去る朝、泊まって おりましたホテルの5階屋上のテラスから北に見える大聖堂がある丘のあたりを遠望致しました。その時、その風景こそがピエロ描くところの「十字架伝説」を 締めくくる「聖十字架の発見」の中に塗り籠められたアレッツォの風景そのものであったことを、深い感銘とともに、改めて脳裏に深く刻み込んだのでした。
  すでに一年前のこととなりますが、Economist誌11月 20-26日号の誌上に Japan’s Burdenと題する長文の特集記事が載せられたことをご記憶であろうと思います。日本における急速な人口構造の高齢化が、経済成長の阻害、若年労働者へ の就業機会の喪失、社会保障システムの崩壊を招きつつある現実を統計数字に基づき、実証的に解き明かしてくれました。私はこれをこれからの日本経済にと り、無視し得ない、厳粛な警告であると読みました。日本のさるジャーナリズムは、これをある囲みコラムの中で、「分かっているんですが」と茶化しました。 だが、そうではないことは、現政権が「税と社会保障の一体的改革」を目指して苦悶している現実に照らし、誰の眼にも明らかです。こうした苦境の最中で、さ らに深刻な難問が突きつけられました。3月 11日に東北地方を襲った大震災です。
  3月11日の震災は、われわれ日本人にとって、その長い歴史の中で体験した自然災害に関する記憶の奥底に刻み込まれた苦難への追体験と、それから派生する 情動の深層を揺り動かすのに十分な出来事でありました。その余波は十ヶ月近く経った今もなお続いており、おそらく更に長く尾を引くだろうと思われます。と 申しますのは、すでに上に述べたような重荷が、そのまま重圧として圧し掛かっているからです。われわれは、それら数多の重圧を乗り越えるために、長く苦難 の道を歩むことを余儀なくされることになるでしょう。ヨーロッパの幾つか国で現に起りつつある財政と金融をめぐる危機的状況も、決して対岸の火災ではない だろと思われます。以下の古人の言葉を引用しながら、皆様のご多幸を祈ります。

「天の道は利して害せず。聖人の道は為して争わず」(老子、第81章)

(くらばやし・よしまさ 一橋大学名誉教授)
 
 

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