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音楽教育の妙味
石本 裕子

 

 世界中の音楽家が演奏活動とともに熱心に後身の指導をしています。名演奏家が必ずしも名指導者とは限りませ んが、生徒の演奏に指導者の影響が現れるのはやりがいのある仕事です。それは、転じて自身のさらなる演奏に影響を与え、実は教えているようでいて生徒から 教えられているとも言える、味のある世界です。

 
 長い音楽家生活を生かし、2010年3月にブダペストで第一回 ピアノセミナー開催の運びとなりました。日本から音楽学生さんや専門家を招きリスト音楽院教授ヤンドー・イェヌーと私自身のピアノレッスンを各3回計6 回、1週間で集中的に受講しました。この他、録音ディレクターのイボヤ・トゥース氏に特別講座をお願いしました。彼女はピアニストと指揮者として高名な、 国立フィル率いるゾルタン・コチシュ氏のバルトーク全集を現在進行で録音なさっています。コチシュ氏にして深い尊敬の念をお持ちの素晴らしい音楽家です。
 
 話しは遠く遡り、20代前半は ニューヨークのジュリアード音楽院で学びました。素晴らしい教授陣を擁する世界有数の環境を大いに満喫しました。移民で成り立つアメリカ、教授陣はロシ ア・ヨーロッパの御出身、その中にバルトークの世界を開いて下さった、ハンガリー人でバルトーク高弟のジョージ・シャンドール先生もいらっしゃいました。 ニューヨークの音楽教育は、ニューヨーク・フィルの団員としてご活躍の教授陣も含め、国際的なレベルの指導者達でした。権威とはかけ離れた、生徒達を受け 止め、その上で正しい方向へ導いて下さる大らかな先生達。演奏家として教育者として、たとえご高齢になられても、弛まぬ探究心をお持ちの先生達は、真の謙 虚さと秘めた自信の裏打ちがおありで、これこそが若い才能を暖かく受け入れる優しさに繋がっていました。
 
 20代ニューヨークで培った音楽の 世界を携えて日本へ戻りました。時代は90年代の始まり。当時のアメリカ社会の大らかさに比べると「閉塞感」を感じたものでした。音楽家は、何より心から 感性を表現してこその存在です。日々の生活と離して、音楽にだけ感情表出をするのはむつかしいものです。日本人の奏でる音楽が、ともすれば感情に乏しく縦 割りで軍隊的なのは、この精神性が影響しているのでしょうか。テクニックは素晴らしくなる一方で、「心」が押さえつけられているのでした。
 
 
 演奏活動の傍ら、桐朋学園短大音楽 部で10年の教鞭をとりました。加えて、お子さん達から他大学の学生さんまで数多く教えて来ました。幸い子どもは、頭で考える前に身体が反応します。才能 があればあるだけ課題を難なくクリアーします。しかしながら、大人の生徒さんには、硬さ、無感動さ,閉塞感を感じました。小さい時から勤勉に叩き込まれた 奏法を「素直な心」で弾くピアノに変えるのは、生徒側の「良くなりたい」と願う思いの強さと指導者の忍耐力を必要とします。時間のかかる作業です。
 
 その一方で、私自身の演奏は、幼少 時から「心地の良い音楽」とおっしゃって頂く機会が多かったのは幸いでした。それでも後年、さらなる探究心を持ってハンガリーへ渡って以来、より深く高度 な音楽性とそれに伴うテクニックへと深く傾倒して行きました。
 
 この間定期的に東京へ戻り日本の生 徒達を指導しております。今までの素地にハンガリーでさらに身に付けたものを指導に生かして参りました。日本社会を日々背負いながら私の細かく厳しい指導 を受ける生徒達には、どれほどの努力をしているかと頭が下がる想いです。
 
 素晴らしい先生との巡り会いは大い なる心の財産です。教えを請うばかりの時代が過ぎ、責任のある立場で生徒達と対峙するようになると、かつての先生達のお姿に思いを馳せました。ピアノは女 子学生が多いのですが、演奏上の課題とともに、若い時代の情熱が30歳も過ぎれば途切れてしまいます。結婚後は他に時間も取られ自我との葛藤に悩み苦しむ ものです。母性神話の根強い国で女性が自我を持ち続けるのは周りからの抵抗も必然でしょう。幼少の頃から人生を捧げて来た世界が、いつの間にかしぼんでし まう風潮が何とか変わらないかと思って来ました。もっと音楽を心に持つ幸せを感じながら生きてほしいとも願っています。陽の光ばかりが人生でなない事も、 音楽を支えに乗り越えてほしいと思います。
 
 このような長年の生徒達との関わり の素地から、ブダペストでのピアノセミナーが生まれました。第一回はお陰さまで恙(つつが)なく終了いたしました。日本には更なる飛躍に留学を考えている 生徒さんも多数です。ヤンドー・イェヌー先生には、楽譜を正確に読む事の大変さ、音楽への理解の深さを教えて頂き、私のレッスンでは具体的な練習方法を習 い、イボヤ氏には深く高度な演奏上の技術を学びました。その上ブダペストの美しい街並を満喫し大喜びでした。一つ一つの経験を今後の演奏に生かしてくれた らと願って止みません。
 
 音楽教育は、即物的な結果を求める 世界と遠く離れております。長い時間の流れの中で、あらゆる事が少しずつ身に沁みて、その後花開くものです。何かと短絡的に結果を求める風潮の中で、一般 の方にはおわかりにくい地味な世界かもしれません。演奏は自分をダイレクトに表現する世界、そして、指導は自分の思いが生徒の演奏を通して具体化される世 界、どちらも深い彩りがありますが、これからも好奇心や探究心と伴に音楽界に身を置いて行きたいと思っております。
((いしもと・ひろこ ピアニスト))
 
 

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