「あなたに少しマジメな相談があるの」晩酌中の至福のひとときのこと。突然姿勢を正してこう切り出す妻の真
剣な表情にただならぬものを感じた私は、手にしたドレーヘルを落としそうになった。
「ジョギングを始めようと思うのだけど、どうかしら?」
かなりの拍子抜けをくらった私を尻目に妻は続けた。
「占いによると、私走った方がいいらしいのよ」
最近運気が落ち何かとノレない妻は、少しずつ生活にイライラを感じ始めていた。日本へ一時帰国した際、本屋で立ち読みした雑誌の占いコーナーにはこんなこ
とが書いてあったらしい。
「あなたは何事もうまくいかず、ストレスをためています。それを打開する為には自分の趣味に力を入れて下さい。新しいものでなくこれまでにやったことがあ
り、かつあまり力を入れなかったものがいいでしょう」。
走ったり泳いだりすることが好きな私としては、妻のライン参加は大歓迎である。運動不足の妻には何かしら体を動かして欲しかったし、これまで週末に家族を
置いて一人で走り行っていた私への批判も軽くなる。願ってもない申し出に二つ返事で応えた。
それ以来「走ること」が何かと妻の話題に上るようになった。「市場で美味しそうな牛タンを見つけた」とか「グヤーシュは○○のレストランが一番」などの食
べることの話が大半を占めていた妻から、「61番トラム終点近くの坂って案外急なのねぇ」とか、「ヴァロシュマイヨールまで走ったら、○○さんに見られて
恥ずかしかった」という話
題が増えた。「家族で走る?」と、ほとんど拒否する選択肢がないオファーを受けた2人の子供も合流した。マルギット島を周回するジョギングは立派な家族イ
ベントとなり、ウィーンやバラトンへ遊びに行く際も、プラッター通りや湖岸をジョギングするのが恒例プログラムになった。
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