2004年、ブダペスト滞在生活を綴った『きいろはハンガリー色』(新風舎、2004年)発刊時に写真を提
供していただいたT氏の誘いで入会した日本ハンガリー友好協会。ブダペスト滞在時のハンガリー人の友人、Mさんから是非にと紹介された日本在住のハンガ
リー人Hさんに向日葵畑の写真を探していると相談した結果、T氏を紹介されたものである。友達の友達の友達が、また友達になった。
私の人生には向日葵という花が付きまとう。「向日葵のような人」、「花で言えば向日葵」等々。花の名前が発声されるたび、私はまたか、とがっかりした。丈
夫そうで、強そうで、土臭いイメージで、女性の褒め言葉に響かない花のイメージを感じてきたのだ。
ハンガリーの夏は果てしも無く向日葵畑が広がっていた。ヒトの背丈より高く、兵士のように堂々とした立派な茎と大きな葉と太陽にも負けない大きな顔の黄色
い花が海原のように風に揺れて、印象に残る風景だった。
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