|
|
孫の過酷な運命
スクカーレーク・イリン |
|
伊達クリスチアンネは、2002年3月に祖父母のいるスロバキ
アのコマーロム市へ引っ越して来ました。クリスは8年間、日本の北九州市で生活していましたが、日本人の父親が死去したので、それまで10年間幸福な結婚
生活を日本で送っていた母とともにスロバキアへ帰国しました。クリスは、小学1年生を日本で修了していましたが、ハンガリー語はまったく話せませんでし
た。 |
|
私のところへ戻ってくると、すぐにクリスはハンガリー語とスロ
バキア語を学び始めました。クリスの母語はハンガリー語ですが、スロバキアでは少数民族の学校でもハンガリー語以外に国の公用語であるスロバキア語を学
び、英語も必須教科でした。 |
|
折尾市で誕生したクリスは日本国籍を保有していますが、同時に
スロバキア国籍も持っています。日本語を忘れないようにと、クリスは、たくさん読書や作文をしたりしました。また、週1回、首都ブラチスラバにあるコメン
スキー大学の先生に習ったりしていました。 |
|
クリスは、2003年と2004年の夏に、日本人補習校の5週
間に及ぶ夏期講習に参加しました。講師の先生方がとても優しくて親切だったので、クリスは、この夏期講習がとても気に入りました。夏期講習では、国語学習
だけでなく別の教科も学習しました。また、物理の興味深い実験も行われましたし、2日間の遠足も企画されました。 |
|
残念ながら、補習校がなくなりましたが、毎週土曜日に授業を行
うみどりの丘日本語補習校が創設されました。私共は百キロほど離れた場所に住んでいるため、補習校へ通うのはかなり疲れます。しかし、クリスは、補習校の
友人や先生が大好きなので、決して休もうとはしません。補習校の宿題をやるために多くの時間を費やしますが、これはクリスを勉強の手伝いを誰も家で出来な
いからです。昨年、長い闘病生活の末、クリスの母親も逝去しました。 |
|
現在、クリスは、補習校で小学6年生を終えようとしており、学
業を続けたい意志を持っています。土曜日だけという限られた時間ではありますが、補習校ではクリスマスや終業式に楽しい企画が催され、いつも陽気で楽しい
雰囲気で一杯です。補習校児童一同は、ブダペスト日本人学校のドナウ祭も見学しました。そこで、クリスは、自分が日本の幼稚園と小学1年生時代に過ごした
日々と学芸会を懐かしく思い出したようです。
クリスと補習校の児童達は、近々ノルマファで行われる2日間の宿泊学習に行くのを楽しみにしています。 |