現在8歳の娘と7歳の息子が緑の丘補習校で日本語を学んでいます。
子供たちの父親はクロアチア系オーストラリア人です。様々な事情で子供たちは家の中では英語とちょこっと日本語、学校ではフランス語、そしてザグレヴのお
ばあちゃんが来るとちょっとクロアチア語と、かなりややこしくなっています。親の仕事の都合でハンガリーに来る前もフランス・タンザニアなどを転々と私た
ちですが、2年前オーストラリアに帰省した際、私の娘が誰かに「どこから来たの?」と聞かれ自信満々にこう答えるのを聞きました。「私は半分日本人、半分
オーストラリア人、半分クロアチア人、半分タンザニアで、あとの半分はフランスなの。」
「第三文化の子供たち」という言葉があります。親の仕事などで世界各地を転々とし、自分たちの本来の母国(つまり第一文化)への帰属意識は薄く、色々な国
での生活(第二文化)を重ねる結果自分の中で、そして同じように育った子供たちの間で、特定の文化に属さない第三の文化に属する、またはそれを自ら作り上
げる子供たちのことです。「ノーマッド・キッズ」、「グローバル・キッズ」と呼ばれ、誰とでもすぐ友達になれる、異文化間のコミュニケーションがうまい、
といったポジティヴな面を多く持ちます。でも彼らなりにつらいことも多いのです。特定の文化の中で育ったのではないので、人生の中で最低一度は「自分は
いったい誰なんだ?」と思うことがあり、この質問をうまく自分で乗り切れなかった場合、人間不信に陥ったり、鬱になってしまうこともあるそうです。
恐るべきことに、私の娘はもう6歳の時点で自分が「第三文化の子供」であることを自覚していたのです。自分のアイデンティティーについて深く考える年齢で
はないと親の私たちが思っていても、彼ら自身はもう色々考えているんです。自分たちにとっての「母国語」についてもそうです。
上に記したとおり私の子供たちは特定の母国語を持っていません。家庭では英語が公式語で、子供たちにとって日本語は「お母さんの国の言葉」です。まさしく
「母国語」なのですが…。その肝心の母親があまり日本語を話さない、その上仕事や出張で補習校の宿題もあまり見てあげられない、と日本語教育面ではまった
くのダメ母です。事実、母親自体も日本文化への帰属意識が低い「第三文化」の母親になってしまっています。こういう状況での日本語教育は子供たちにとって
も親にとっても、重要である反面、大きなチャレンジとなっています。そんな私たちを根気強く、温かく見守ってくださる補習校の先生方には大変感謝していま
す。
特定の文化・言語に属さない「第三文化」に属する子供たちが唯一帰属できるところは家族です。その家族のメンバー(たとえば両親)が属する文化がいわゆる
第一文化です。我が家の場合、その家族自体も日本・オーストラリア・クロアチアと三つの文化・言語に分かれています。その中にそれぞれおじいちゃんおばあ
ちゃん、叔父と叔母、そして従弟たちがいます。たとえ私の子供たちがこの三つの文化のいずれかに完全に属さなくとも、一つ一つの文化とのつながりは持ち続
けてほしいのです。私にとって、子供たちが日本語を勉強するということは、日本にいる家族との絆を保つこと、すなわち彼らのの第一文化三分の一への絆を保
つことなのです。
私の息子は9月に補習校に入学して、最近やっとひらがなとカタカナが読めるようになったのですが、先日電話で日本のおじいちゃん・おばあちゃんに誕生日の
プレゼントのお礼をちゃんと言っていました。娘のフレンチスクールの担任の先生からは、クラスメート全員の名前を日本語で書いて配って好評だったと聞きま
した。彼らなりに日本語を使う姿を見るたびに、マイペースでいいから、ちょっとずつでいいから、日本語を学び続けてほしいと願っています。
今年も我が家は年末から正月にかけて私の横浜の実家へ帰省します。2週間という短い期間ですが、私たち家族にとって日本での家族・親戚との絆を深め、日本
文化に触れる貴重な機会です。欧米とはまったく違う日本でのクリスマスや、本場で見る「ポケモン」やウルトラマン、メニューがちょっと違う日本のマクドナ
ルド、紅白歌合戦、山の中の温泉宿、渋谷駅前の大交差点、どれもみんな彼らの第一文化三分の一です。そして日本語をもっと勉強しようというやる気につなが
ればと願っています。もちろん、補習校の宿題も忘れずに…。
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