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緑の丘日本語補習学校便り
島田 麻子 |
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私たち家族がハンガリーに来たのは3年前の冬、その時長女の夏
未は3歳、次女春子はまだ生まれていなかった。夏未は日本の幼稚園で1・2学期を過ごした後だった。日本では幼稚園大好き、1度も行くのが嫌でないた事な
んてなかった。「ハンガリーで幼稚園どうする?」。日本の幼稚園もあるみたいだけれど(ほどなく閉園になったが)、せっかくの海外生活だし・・・・「現地
校?」でも親がハンガリー語わからない・・・・「ではインターナショナル!」というわけで、娘はインターナショナルの幼稚園に行くことになった。空きのあ
る幼稚園が見つかるまでに少々時間がかかり、その間は家で過ごしていたので、幼稚園に行くことを娘は(親も)とても楽しみにしていた。しかし、言葉の壁は
薄くはなかったようだった。 |
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夏未の性格はオープンなほうだが、やはり先生の英語で言うことはわからない、しかもインターナショナルとはいえ、通う子の95%はハンガリー人で、子供同
士はハンガリー語をしゃべっている。最初は苦痛だったのだろう、幼稚園に行くことは嫌がらないが、送り届けて私が帰ろうとすると泣くようになった。そんな
切ない日々が3ヶ月ほど続いたが、先生方のおかげと、また本人もそれなりに努力をしたのだろう、笑い顔も増えて、幼稚園が大好きになっていった。そして英
語はもちろんのこと、2年もたつと、いつのまにか、ハンガリー語も話すように。でも気がつくと、日本語がちょっと、アヤシイ・・・。考えてみれば日本では
4月から小学生。こちらではまだ幼稚園に行っているのでのんびりしていたのだが。このままでは娘は「ルー大柴」みたいになってしまう。面白いけど、自分の
娘ではそれは絶対にだめ。ではどうしよう。そうだ、補習校だ、ブダペストには補習校があるではないか。でも親にも、葛藤はあった。毎週土曜日学校じゃ、週
末旅行に行けないし・・・いや、ここはそんなことを行っている場合ではない。そして娘は、入学式直前にもかかわらず親切に受け入れてくれたみどりの丘補習
校に通うことになった。 |
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入学式。一年生は7人だ。学校というものがよくわかっていない
夏未も、お友達と日本語が話せると、嬉しいのか、それだけで、もう興奮状態(日本語で、話せる、は後でちょっと違うかも、という場面に遭遇することになり
ます)。初日は勉強も余りしないから、走り回っている。こうして毎週土曜、週一回の補習校が始まった。補習校では国語(日本語)を中心とした授業が行われ
る。娘は一年生だから、まずはひらがなから。担任の先生は遊びの要素を取り入れながら楽しく教えてくださった様だ。翌日には先生が授業の内容をメールして
下さるので、親も一緒に楽しんだ。少し経つと、生徒や親御さんの顔も浮かんでくるので、先生のレポートはさながら実況中継のようだ。時には注意事項もあ
り、ドキッとさせられることもあったが。宿題も毎回出される。娘の幼稚園は夕方まで預かってくれていたので、家での時間はそうは多くないのだが、宿題やら
ないの?というと嫌とは言わず、頑張っていた。きっと皆がちゃんとやってくるので、恥ずかしい思いをしたくないのだろう。毎日の晩御飯のおかずの名前を書
いてくる、という宿題には、同じメニューが重ならないようにとか、缶詰をあけてチンしただけのものでは恥ずかしいとか、親のほうが緊張してしまう場面も
あった。こういった子供にとって、楽しい宿題のおかげで、宿題以外でも自分から絵本を読んでみたり、TVのテロップを口に出して言ってみたり、文字にとて
も興味を持つように上手に導いてくれたようだった。 |
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授業が終わった後が彼女らの本当のお楽しみの時間のようだっ
た。すぐにお昼ご飯の時間ではあるが、毎回すぐ帰れたためしはない。必ずひとしきり皆で遊んでから出ないとなかなか帰れない。毎回眺めているとわかってき
た。それぞれの子供の得意な言語が違うのだ。でも皆慣れてくると、相手によって使用言語を使い分けている感じだ。これはほんとうにすごいことだ。つまり皆
少なくともバイリンガル、またはトライリンガルなのだ。夏未にとっての補習校での最大のイベントは、宿泊学習だったであろう。これは先生方と生徒だけの、
親なしで宿泊施設に泊まるというもの。夏未にとって、母親なしでどこかに泊まるというのはハンガリーに来てからは初体験。夜中に泣いて先生が扱いかねて、
電話が来るのではないかと、とてもとても心配したが、こちらの心配をよそに、本人はこれもまた、ずいぶん楽しんだようであった。もっとも、子供たちだけで
もうまくいくように、上級生のお姉さんが入るように先生方が十分配慮の行き届いた班分けをしてくださったおかげであろう。 |
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皆でカレーライスを作ったり、最終日に公開する劇の練習をした
りしたそうだ。泊まりは一泊で、次の日迎えに行くと、皆で練習したという日本語の劇、「ねずみの嫁入り」を見せてくれた。日本の学芸会のようで、私たちも
楽しませてもらった。先に書いたように、得意言語が異なる子供たちの劇であるから、すらすら言えない子もいるけれども、みな一生懸命だ。でもきっと得意言
語が違うということを認識しあっているのでそんなことは気にならないのだろう。自分が不得意言語の中にいるときのつらさを知っている子達だから。こういう
風に立場や環境の違いが出てくるものに影響を与えるということを理解している同世代の日本の子供たちがいったい何人いるであろうか。それを考えると、ひと
つの物差しで人と人を比べる、ということを愚かだと思う心が自然と身についてくるであろう、すばらしい環境であるように思う。夏休みを挟んで帰国すること
になった。補習校という学校に通えた事で娘も、何かをつかんだと思いたい。帰国しても、いろいろな国でいろいろな立場で頑張っている子供たちがいることを
忘れずにいてほしい。そしてそういう子供たちを暖かく見守って指導してくれた先生方がいたことも。 |
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