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書 簡  『ポスト社会主義の政治経済学』を読んで
竹内 啓


 

 ご著書ありがとうございました。大変興味深く一読させて頂きました。今までよく理解できないと感じていた「社会主義から資本主義へ」の体制変換の過程が初めてよくわかったように感じました。理解できた一つの点は、この転換が革命ではなかった(勿論、反革命でもなかった)ということです(ルーマニアは違っていたのでしょうか)。つまり、社会主義体制は転覆させられたのではなく、自己崩壊したということです。「アポートシス」とはまさに適切な表現だと思います。
  私は社会主義体制が本質的に不可能なシステムだとは考えません。ただその前提には、生産力が十二分に発達して、生産効率を若干犠牲にしても人々に十分高い生活水準を保証できるようになっていなければならないのだと思います。そうでなければ、「社会主義経済」は「戦時経済」になってしまうというのは御説の通りだと思います。しかし、ボルシェビキ革命政権が成立したときのロシアの生産力水準はあまりに低すぎました。従って、そこに社会主義を建設することは無理でした。レーニン・ボルシェビキらはそのことを十分に知っていたので、西ヨーロッパのプロレタリア革命に期待したのですが、それが裏切られ、しかも内戦に勝ってしまったので、「生産力の低い国での一国社会主義」という転倒した試みに乗り出さざるを得なくなったのだと思います。
  またロシア帝国の継承国家となったソビエト連邦は、自ら広大な中央アジア、シベリア等の「国内植民地」を持つ「帝国」となり、更に第二次世界大戦に勝った結果として、ソビエト連邦は東ヨーロッパ諸国をその帝国主義的支配体制に組み入れ、そこにも無理な体制を輸出することになったのでした。
  今から考えると、無理な社会主義体制が崩壊したのは当たり前で、むしろソビエト連邦が70年も存続し、その間、ヒトラーの侵略を跳ね返し、 また一時アメリカと張り合う超大国になったことの方が不思議と思われます。
私がまだよくわからないのは、ソ連と東欧との関係、ソ連の東欧に対する政策です。ソ連は東欧諸国が社会主義圏から逸脱することは(ゴルバチョフが出てくるまでは)、絶対に許そうとしなかったと思います。それ以外の点では、各国(の共産党指導者)に意外に自主的に行動する自由を認めていたように思われます。その点で、御著書の中でライク、ナジの処刑がスターリンやソ連共産党が押し付けたことではなく、むしろラーコシやカーダールが要求したことだったと書かれていることは、私には大げさにいえば、衝撃的なことでした。
  更にそこでよく分からないのは、ソ連の東欧諸国との経済面における関係です。ソ連は第二次大戦直後東ドイツや満州などで略奪行為を行ったようですが、その後より手の込んだ「搾取」のシステムを作り上げることはなかったように思われます。コメントはありましたが、それを社会主義諸国を一つの「社会主義市場圏」に統合して国際分業体制を作り上げ、そのなかで、ウォーラシュテイン流にいえば、ソ連(或いはロシア)が「中核」となってその地の国々や地域を「周辺化」するということがなかったように思われます。むしろ東ヨーロッパの国々はそれぞれ「ミニチュア国社会主義」となって、いっそう無理が甚だしくなったと思います。そのために東ヨーロッパ諸国間の経済的結びつきは弱く、また政治的にもばらばらな形で非社会主義化が行われることになったと理解していますが、それでよいでしょうか。
  そうしてまたこのような状況から東欧諸国がEUになだれを打つように加盟した結果、彼らはすでに高度に経済統合が進んでいる西ヨーロッパに対して、ばらばらな形で「周辺化」される危険性があると思いますが、いかがでしょうか。
  もう一つ私にはよくわからないのは、東欧諸国における共産党政権の行った「近代化」の評価です。勿論、東欧とはいっても第二次世界大戦前の社会の発展レベルはかなりまちまちで、チェコのようにすでに十分近代化していた国と、ルーマニアやブルガリアのような「遅れた」国々では状況が異なっていたと思いますが、「社会主義化」の中でそれぞれ一種の社会革命「近代化」が行われたのではないでしょうか。その結果は社会主義政権崩壊後も残っているように思われます。例えば、農業における集団化政策は社会主義体制の下でも早い時期に失敗に終わったことが明白になっていたと思いますが、しかし他方、体制が崩壊しても旧地主が復活するようなことは全くなさそうです。このような点は社会主義体制のポジティブな遺産として評価されてもよいのではないかと思われます。或いは、東欧の社会主義体制は新しい社会を建設することには完全に失敗したとしても、旧い社会を破壊したことは事実ではないかと思います。
  また東欧諸国は「ミニチュア国社会主義」のモデルに従って、重工業中心の工業化を進めたと思います。それは国際的競争力を持つような産業を作り出すことには失敗しましたが、それでも何らかの遺産は残ったのではないでしょうか。勿論そのなかには市場経済化の中で「負の遺産」として残ったものもあると思います。
  勝手なことをいろいろ書かせて頂きましたが、私にも改めていろいろなことを考える刺激を与えて下さったことに感謝します。
(たけうち・けい 東京大学名誉教授)
 
 

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