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ベオグラードからアテネへ
小松 裕文


ミニバスでベオグラードへ
ようやくアテネに旅行する機会ができた。ブダペストからアテネへの直行便がないことから敬遠してきた旅だ。ベオグラードで日本語教師として滞在中の友人から、ベオグラード経由のアテネ旅行のお誘いがあって実現した。
  ベオグラードーアテネ間はセルビア航空が就航。ベオグラードまではミニバス便を使うことにした(列車の所要時間は8時間)。バスはブダペスト市内で乗客をピックアップしてベオグラードの指定の場所まで送ってくれる。元旦の昼頃、ブダペストを出発。途中ブダペスト空港で乗客をピックアップの後、高速5号線でセルビアへ。セルビア国内も最近ベオグラードまで高速道路が完成した。夕刻6時半頃友人宅に到着。所要時間6時間。
  セルビアの首都ベオグラードを訪れる在留邦人は非常に稀だ。自家用車以外の交通機関は不便で時間が掛かるし、市内には特別な観光スポットも余りない。1999年のコソボ紛争の際のNATOによる空爆で危険な町のイメージが定着したことも一因だ。
  人口は170万人。予想に反して街は清潔で落書きも無い。道路にはゴミやタバコの吸殻は落ちてない。ゴミの収集箱が地下に設置されていてゴミ箱は見当たらない。英語はハンガリーより通じる。物価はハンガリーに比べてかなり安い。セルビアの通貨はディナール。1ディナールは1.2円。10ディナールは紙幣もある。言い換えれば10円札が日常使われている。
  セルビア正教の教会はカトリックやプロテスタントの教会とは内部も外観も大違い。特に内部はフレスコ画や金細工、木彫で装飾され、キリスト像の代わりにイコンが飾られており、カトリックやプロテスタントの教会の多いハンガリーとは別世界、異国を感じさせる。
  クネズ・ミロシュ通りは別名空爆通り。政府系の建物が多く、NATOの空爆の対象になった。いくつかの建物は未だに破壊されたままの姿で残されている。
  博物館、美術館は内容も乏しく余り期待できない。 
 
 
アテネ
ギリシアに一緒に行く予定だった友人は出発前に足首を捻挫して旅行をキャンセル。妻と2人のギリシア行きとなった。ベオグラードからセルビア航空でアテネまで1時間20分のフライト。アテネ空港からアテネの中心地シンタグマ広場までバスで1時間弱。
  アクロポリスはアテネのシンボル。「高い丘の上の都市」という意味で市内の何処からでも見ることができる。
アクロポリスーパルテノン神殿は中学校時代の古い記憶を呼び起こす。
  筆者の通っていた中学校は平穏(ひらお)中学校。現在の長野県山ノ内町にあった。近隣の中学校の修学旅行は東京方面だが、我が中学校は奈良方面。美術の先生の強い意見があったと聞く。「東京を訪れる機会は多々あるが、日本文化の原点である奈良を訪れる機会は少ない。山国の人間にこそ、鑑せるべきだ」
その先生が見学先の一つ法隆寺について話をしてくれた。パルテノン神殿に使われているエンタシスの建築手法はアレクサンダーのヘレニズム文化に継承され、シルクロードを通って中国から日本に伝わり、それが法隆寺の建築に取り入れられたという趣旨だった。
修学旅行は奈良までの旅は長かった。電化されていない中央線をSLで名古屋へ、更に近鉄電車を乗り継いで15時間の記憶が残る。それでも翌日、国鉄法隆寺駅から徒歩でたどり着いた法隆寺のエンタシス様式の柱を見て興奮したものだ。何千キロも離れたヨーロッパと同じ様式の柱を目前にした喜びだった。
 
 
パルテノン神殿
  パルテノン神殿は大英博物館のエルギン・マーブルの見事な彫刻のレリーフの壁も思い起こさせる。神殿は建設当時全体が彫刻やレリーフで飾られていた。柱廊の天井の直ぐ下には外に向けてフリーズが飾られていた。その長さは160メートル。その内の3分の2が現存しており、その60%が大英博物館に保存されている。
1800年イスタンブールに赴任したエルギン卿はこよなくギリシア彫刻を愛したが、調査、研究の名目の下、多くの略奪行為も働き、神殿から剥ぎ取った彫刻をイギリスに持ち帰った。世論の非難が高まる中、また輸送などのため多額の借金を抱えたエルギン卿はレリーフをイギリス政府に買い上げを依頼した。それが現在大英博物館に展示されているものである。
1970年代になると、ギリシア政府(1832年オスマントルコから独立)はイギリス政府にエルギン・マーブルの返還要求を強めた。その先頭に立った文化・科学相のメリナ・メルクールは映画女優としても有名である。彼女の胸像はアドリアヌス門の近くの道路脇にある。
余談になるが彼女が主演したギリシア映画は「日曜は駄目よ=Never on Sunday」はアテネのピレウス港を舞台に娼婦とギリシア通のアメリカ人学者が繰り広げる恋愛映画。主題歌はアカデミー音楽賞を取った。今でも直ちに蘇るメロディーだ。筆者が大学生時代の作品である。
肝心のエルギン・マーブル返還問題は両国の見解が未だにすれ違ったままで解決していない。現在所有している国の強みである。

考古学博物館
国立考古学博物館はアテネ観光のハイライト。世界で最も充実した考古学博物館の一つ。ギリシア各地の遺跡からの出土品の主なものが収められている。この博物館はフラッシュなしでの写真、ビデオ撮影が許されている。
多くの鑑賞者が最初に鑑賞するのがミケーネ文文明の出土品。トロイを発見したドイツの考古学者シュリーマンによって発掘された数多くの黄金のマスク、杯、動物の頭部、指輪、装身具などが陳列ケースに収められている。特にアガメムノンの仮面と呼ばれる黄金のマスクは人気の的。
数多くの興味を引く彫刻はギリシア神話に登場する神々も多い。写真に収めた作品は以下のものだ。
「スフィンクス像=570BC」はアッティカ地方のスパタ出土。最も初期のスフィンクス像として知られている。エジプトのスフィンクスに影響された作品だろうか。墓標として使われていた。
「クーロス像=500-570BC」はテラ出土。島の工房で作られた典型的な作品。アルカイックスマイルといわれる微笑を浮かべた顔に特徴がある。
「ポセイドン像=480BC」「ゼウス像=460BC」はブロンズ製=460BCは海中から発見された。
「ボクサー頭部=330BC」オリンピアで発見。多分モデルはオリンピックの勝者ではないかと考えられている。
「アテネ像=3世紀前半」アテネ・ヴァルヴァケイオンで発見された。この彫刻はパルテノンの神殿に祭祀用の像(12倍の大きさ)に最も似通った最良のコピー。
「馬に乗る少年=170BC」ケープアルテミションの沖合の沈船から引き上げられた。疾走する馬は躍動感に溢れ、馬上の少年の視線は何処に向けられているのだろう。
「アポロディティ像」イタリア南部で発見された。アポロディティは愛と美と性を司る女神。この像は紀元前4世紀のギリシアの原物を紀元2世紀にローマが複製した。南部で発見された。
「シレン像=330BC」アテネの古い墓で発見された。死者を哀悼するために作られたもの。

 エギナ島
  アドリア海に浮かぶエギナ島を訪ねた。アテネ出発のエーゲ海一日クルーズで最初に訪れる島だ。ピレウス港から高速艇で45分、エギナ島の中心地エギナタウンに到着する。この島の見所はアフェア神殿。ガイドブックには定期バスが運転されていると記されているが残念ながら見つけることできなかった。幸いこの神殿に向かうアメリカ人と香港人のカップルとタクシーをシェアできた。神殿は島の反対側、30分のドライブ。丘の上の松林の中にある神殿は紀元前5世紀のアルカイック時代の建設。32本あった石灰石の柱の内24本が現存している。
この神殿とアテネのパルテノン神殿、スニオン岬のポセイドン神殿は三角形を形成しており、月に照らされて白く輝き灯台の役目を果たしていた。
魚市場と周辺のレストランは多くの観光客で賑わっている。特に蛸の炭焼きは大人気。筆者もこの蛸の炭焼きと鰯の塩焼きを注文、ギリシア産の白ワインでエーゲ海の味を楽しんだ。
 
アテネからセルビア航空でベオグラードへ戻り、一泊後往路と同様、ミニバスでハンガリーに帰国した。ゆったりと過ごした8泊9日間の旅行であった。
神話とオリンピック発祥の地のギリシア、碧い海、豊かな海の幸、芳醇なワイン、加えて物価の安いギリシアを旅の1ページに加えるのも悪くない。

(こまつ・ひろふみ チュミュール在住)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.