2016年2月8日、東京広尾にある駐日チェコ共和国大使館で、未来を担う若手音楽家達による、ヴィシェグラード・グループの25周年記念コンサートが開催された。チェコ、スロヴァキアならびにポーランド共和国とハンガリーは、安全保障の軍事、政治的協力で、ドナウ川の曲がり角、ドナウベント地方のヴィシェグラードに集結し署名をした。ヴィシェグラード4と呼ばれる協定である。1989年の体制転換後、ワルシャワ条約機構やコメコンの改革、解体を目指した動きが広がった。ヴィシェグラード4(略してV4)は、これに連動して協力関係を築こうとしたもので、その後、小泉首相がV4と対話をして協力推進を進め、麻生首相はV4との協力を強化、安倍首相になって初の「Ⅴ4+Japan」の首脳会合がワルシャワで行われた。昨年12月には、日本で初めての「V4+Japan」会談が開催されるまでになっている。特に原子力、再生可能エネルギー分野の協力の深化を安倍首相は共同声明で発表した。世界的音楽家が集中する中央ヨーロッパの国々とのパイプ役に、女優でピアニストの松下奈緒さんが親善大使に任命されたことは興味深い。
 ヴィシェグラードは、私もブダペスト滞在中に、また、三度目のハンガリー訪問時に立ち寄った観光地だ。見晴らしの良い高台から、なんともゆったりとドナウ川が方向転換する様子、川の周辺に広がる大地を一望できる場所がある。
 V4の議長団は毎年6月に交替する。昨年から今年5月までの議長国はチェコ共和国。コンサートの始まりは、ドマーシュ・ドゥプ駐日チェコ大使のご挨拶だった。初めに日本語で話しだされたので、会場は、おおーとどよめいたが、ここからは英語にしますと、ユーモアたっぷりのにこやかな大使だった。
 1993年1月1日、チェコとスロヴァキアは連邦制解消(分離独立)に合意。1992年12月31日、当時、ブダペストに滞在中の私たち家族は、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァを通ってプラハに旅行に出かけた。帽子を被らないと、頭痛がする厳しい寒さを、初めて体験した旅だった。大晦日、そして元日と、街は何の変化もない。歴史的な瞬間を見ようと出かけてきたのに、プラハの街は、平和な静けさ。単に日が変っただけの歴史的移行風景だった。こんな国の分離独立の仕方があるのか、と両国の穏やかな心の受けとめ方、寛容さに感心したものである。
 そんなことを思い出していると、コンサートは、「4か国を旅する」と題して、まずチェコ共和国からスタート。ピアニストで作曲家のイジ―・トゥルチーク氏が不協和音を見事に組み入れた自作のピアノ曲を、ソプラノの高橋ゆかりさんがドヴォルジャークの歌曲を披露。ヴルタヴァ川(ドイツ語名ではモルダウ川)のように、ゆったりと流れる落ち着いた曲が多かった。
 次の音楽訪問国はハンガリー。わくわく感を押さえられず待っていると、大きな体を揺らして、クラリネットのコハーン・イシュトヴァーン氏が登場。ピアノは、ほっそりした高橋ドレミさんである。彼女の名前は芸名なのか、本名なのか聞き忘れたが、実の名前だとすると、音楽への両親の期待、思い入れが感じさせられる。

 さて一気に始まったコハーン氏の超早いテンポのクラリネットに聴衆は唖然。これまで聞いたことがない、スピードと圧倒する技で、一瞬のうちに聴衆を虜にしてしまった。なんと楽しそうに、なんと自信ありげに、なんという余裕で吹きまくることか。私は、すっかり嬉しくなって、首を左右に動かして一緒にハンガリー舞曲やロマニアンフォークダンスの慣れ親しんだ曲に楽しくリズムをとって聴いていた。
 これまでクラリネットの演奏は、何度も聞いたはずであるのに、彼のクラリネットは、もはやクラリネットの域を超えている音色だった。
 とても難しい楽器と聞いたことがある。このようにゆとりたっぷりに、楽しげに演奏できるようになるまで、一体どれくらいの練習を重ねたことだろう。私は、魔法のように縦横に走る彼の指を眺めながら、そんな感慨にも浸っていた。
 ハンガリー滞在中に仲良くしてくださったハンガリーの友人達が走馬灯のように目に浮かぶ。また帰国後、日本ハンガリー友好協会で一緒に過ごしてきたハンガリー人達の優秀さ、人の良さが、そして可愛らしさが、彼の演奏の中に代表されているように思った。一度、目的に向かえば真摯な努力を惜しまず、それが長続きするかは不安だが、研究心旺盛で情け深く、素朴で一途。少し硬い表情に見えるが、結構ユーモラスで楽しいことが大好きな人々。ハンガリーの曲の中にも、こんな共通点を感じるのは私だけだろうか。時には心の底をえぐられるような物悲しい切ないメロディーに、艶歌にも通じる、なんともいえない共感が湧く。日本人の性格によく合って、いつしか心を惹きつけられてしまう曲がある。
 クラリネットの音色は、ピアノの演奏と共鳴して心地よくホールに響き渡った。可笑しかったのは、司会者が、これで演奏は終わりと告げようとしたところ、もう一曲あります、とコハーン氏が主張。司会者を慌てさせ、「ごめんなさい」と日本語で断ってから、めちゃくちゃ速いピッチのアレンジ曲を展開し、聴衆を歓喜させた。演奏意欲十分、サービス精神満点である。
 休憩を挟んで、後半はポーランドのマレック・プラハ氏が、さすがのショパン中心ピアノ名曲集を繰り広げ、トマシュ・ストロイニ氏のバリトンがホールに染み渡るアリアを歌いあげた。最後にスロヴァキアから、これまた凄い、目の回るように楽しいヘンリ・タタール氏と木下順子夫妻の気の合ったヴァイオリンとピアノ演奏が続いた。本当に中央ヨーロッパは音楽と芸術の宝庫だと思った。
 私はどうしても、ハンガリーに贔屓目になるのか、ハンガリー演奏チームが今夜は最高と秘かに思った。4か国の演奏旅行が終わると、コンサートの仕上げは、ピルスナーの国らしく、チェコビールとワイン、おつまみのカクテルパーティでお開きになった。
 私がハンガリーに住んだ日は、もう、20年も前、二昔前の話になった。ハンガリー事情に詳しい盛田常夫先生のご紹介で、ハンガリー語を初めて習ったフランチェスカさんも、カタリンさんも、すでに他界したと聞く。一緒に生け花を習い、お互いの会話を教えあった元気印のマグダさんは、最近酷い難聴で、友人でも連絡がとれないという。かくいう私も、古希にもうすぐ手が届く年齢になった。月日が過ぎゆくのは、なんとも淋しいことである。楽しく老後を過ごすのは重い課題だ。時代は確実に進み、事情も変わったのである。
 今、ハンガリー国内は難民問題で大変なことになっていると連日、ニュースに取り上げられている。自国の経済を維持することさえ大変なのに、大量の難民が流入するハンガリーは、どんなに苦しい立場に追い込まれていることだろう。心ないバッシングも多いと聞く。これから、ハンガリーは、どこに向いて進んでいくのかと考えると、本当に心が痛む。この問題はハンガリーに限らず、いずれは日本も抱えることになるのかもしれない。
 コンサートに漲っていた若い情熱で、4か国が力を合わせて、なんとか良い知恵を出して助け合って、この困難を乗り越えて欲しいものと思う。
 中央ヨーロッパの国々は、これまで何度も苦しい中を生き抜いてきた歴史と知恵がある。周囲を他国に囲まれた地形から、彼らにはいつも緊張感があるという。ハンガリーは、これまで戦争に勝った歴史がないという国だ。国歌も暗い内容の歌詞ばかりが並んで気の毒になるくらいだ。
 それでも、ハンガリーは、千年以上も、きちんと歴史を繋いで、世界的にも有名な競技や選手を輩出する国だ。数学、物理の面では、世界的にも最高水準をいくのではないかと思う。優秀な頭脳と先を見通す賢さと内面の強さがなければ、この国は、ここまで来なかったはずだ。
 今夜の熱気溢れる素晴らしい演奏に浸りながら、これからの中央ヨーロッパの若者達の協力と結束に注目したいと思った。4つの国が一致協力して、なんとか難題を押しのけてほしい。
大好きな国、ハンガリーに幸多かれと祈るばかりである。

 (せがわ・ちえこ 東京在住)