「みんな、すごすぎるよ。ボク絶対ムリ。補習校には入らない方がいいよ…」。初めて授業を見学した時の長男の反応はこうだった。当時の1年生の3学期の授業を見て怖じ気づいてしまったようだ。何しろ「漢字で算数」をやっていたのだから、並々ならぬ衝撃だったようだ。「田」+「力」=「男」。息子には暗号にしか見えないのだが、補習校の生徒たちは、次々と先生の出す問題に手を挙げて答えている。先生に当ててもらいたくて、椅子の上でぴょんぴょんお尻を浮かせたり、今にも椅子から転げ落ちそうになっている子もいる。あれほど積極的に日本語の授業に参加するなんて、慎重な性格の息子には異次元の世界だったようだ。
 気の進まない息子をどうにか説得して、4月の入学式を迎えた。飛び交う日本語の半分も息子は理解していたかどうか。写真撮影の時にむりやり作った笑顔も緊張でこわばっていた。息子が新しい世界に飛び込んだ日、親である私も「補習校の保護者」として仲間に入れて頂くこととなった。初めての保護者会では、保護者の意識の高さ、真剣さ、そして快活さが印象的だった。ついていけるのかどうかという不安、早く仲間になりたいという期待が入り交じり、息子同様私も緊張した笑顔で自己紹介したことを覚えている。
 2学期になり、息子が急成長を見せ始めた。9月にハンガリーの現地校に入学し、環境も変わった。勉強することにも慣れ、日本語の語彙が増えた。暗号だと思っていた「田」+「力」=「男」が理解できるようになった。少し安心していた頃、保護者会で予想外の出来事が起った。
 「ジョーリさん、バザー係をお願いできませんか」。バザー係は毎年3名なのだが、1学期の時点でまだ2名しか決まっていなかった。突然私が3人目のバザー係に選ばれたのだ。バザー係といえば、どんなことをイメージされるだろうか。準備に忙殺される印象が強いように思われる。一瞬迷ったが、頼もしそうな先輩保護者を見て、なんとかなるような気がした。大変だろうけど、楽しそうだ。指名して頂いたのは運営委員会からの愛情だと受け止めた。
 今年の補習校バザーは5回目だそうだ。毎年少しずつ形を変えながら、どんどん規模が大きくなっている。先輩方のこれまで培われた経験やノウハウのおかげで、戸惑うことなく係の仕事を進めることができた。しかしバザー係3人だけでは決して準備できるようなものではない。数年前から保護者全員に協力を呼びかけるようにしている。子供たちが授業を受けている間、みんなで手分けして提供品の分類や値付けをした。そしてこの時間がまた楽しかった。てきぱきと作業をしながら、おしゃべりにも余念がない。明るい笑い声が響き、「しまった、授業中だった!」、なんてこともしばしばあった。それぞれができる範囲で参加し、開放的な協力体制が心地よいと感じた。
 バザー当日は子供たちも参加して、楽しい時間を過ごすことができた。2ヶ月以上かけてバザーの準備をしながら、特に印象的だったのは補習校のチームワークの良さだ。正直に言うと、どこかで意見がぶつかったり、ちょっとお互いにイライラする可能性もあるだろうと心構えをしていた。ところが最初から最後まで、本当にみんなが心から楽しんで、和やかな雰囲気のまま片付けまで済んだのだ。最後にバザー係のリーダーから挨拶があった後、体は疲れているにも関わらずみんなが口々に「このまま打ち上げに突入したいねー!」と言ったほど、連帯感と充実感に溢れていた。
 補習校バザーは単に売り買いをするだけの場ではなかった。準備などを通して保護者同士の交流を深めるきっかけにもなった。補習校で勉強している子供たちを多くの人に見ていただくこともできた。生徒の多くが自分のブースを作って、使わなくなったおもちゃなどを自分たちで売ることに挑戦してくれた。二カ国語で接客して褒めてもらった子もいたようだ。当日は笑顔のお客さんもたくさん見ることができた。バザーで会うのが恒例になっているのであろう来場者同士が、おしゃべりに花を咲かせている様子も見ることができた。子供たちが喜ぶようにとサプライズを用意してくださった企業もあった。新米バザー係の私には想像もできなかったような副産物がたくさんあったのだ。
 補習校に通うことにどれだけの意味があるのか悩むこともある。親にも子供にも負担が大きいことは否めない。しかし、バザーも含め、補習校での「学校生活」は私たち親子にとって貴重な体験であると実感している。普段ハンガリー社会にどっぷり浸かっている私たちにとって、補習校は日本人であることを再認識する場でもある。息子は日本語で意思疎通できるようになるにつれ、自分は日本人でもあるということを自覚しているように見られる。
 特殊な環境に育っている補習校の子供たち。いつか「特殊」であるという賜物を、自分自身にそして社会に生かすことができますように。