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インタヴュー
旭日重光章を受章されたシュディ・ゾルターンさん
聞き手 原田 知加

   

受賞の通知を受けたときの感想をお聞かせください
かなり複雑な感じでした。まず喜び、誇りを感じましたが、他方で本当に私の努力がこんな素晴らしい勲章で認められるべきものだったのだろうかとの疑問も感じました。また私を支えてくださった数多くの日本の友人、ハンガリーの同僚、34年間私と一緒に日本とハンガリーの関係の強化のために一緒に努力してくれた家内に対する感謝の気持ちもとても強く感じました。

受賞された背景に日本とハンガリーの経済と文化交流を深めたことが挙げられています。具体的にどのようなことなのでしょうか?

 
 自分の努力の中で具体的に何が評価されたかのか私にはわかりません。日本との付き合いが始まったのは39年前です。その39年間、まず仕事を通じて日本との関係発展のために努力しました。両国の関係の発展が両国、また両国民のために利益になると深く信じたからです。
 若いときの大使館書記官としての勤務中、ただ言われたことをきちんとやるだけではなくて、自分のアイデアをできるだけ実現しようとしました。けれど大使館の一番若い外交官の境遇では、また共産主義国家を代表する外交官としてはその限界を強く感じました。そういう限界無しで仕事ができるようになったのが大使時代。外交活動では査証免除、生肉輸入許可を実現することができました。文化活動では日本各地で講演などを通じてハンガリーの紹介を積極的にしました。とりわけ私が努力したのは経済関係促進、特に日系企業のハンガリー進出活動であったと思っています。
 在任中ホルン首相の非公式訪問に続いて、国賓としてグンツィ大統領の日本訪問を実現できました。私の大使退任の翌年2000年がハンガリー建国1000年に当るので大統領の訪日の企画と準備、日本各地での建国1000年祭の数多くのハンガリーの文化イベントや各種フェスティバルの準備、また当時の日本ハンガリー友好協会の田中理事長と共同で行った同フェスティバルの予算のための募金活動なども良く覚えています。
 大使として経済外交中心に活動していましたので、任期が終わりハンガリーに帰ってきて今度は民間の立場から同じ目的のために活動をすることを考え、社員3人の小さなコンサルタント会社を設立しました。今年で設立からちょうど10年になりますが、2人の日本人を含め10人全員が日本語ができるスタッフが揃い、当地日系企業・進出してくる日系企業に対して充分サポートができる体制になっています。
 近年の成果として、現地企業と提携し大林組と組んで落札した地下鉄4号線の駅工事の受注があります。これはハンガリーの大型公共事業で初のアジアの企業の落札でした。大林組とは入札後も日本人社員の生活環境の設定から当地提携企業との打ち合わせ、月次決算の作成等全面的にサポートを行っています。大使時代に力を入れた日系企業の支援を最前線でやっています。
 非営利的な活動は、かなりになります。80年代の外務省勤務時にハンガリー貿易大(当時)で日本の経済史を教えましたし、教科書も書きました。同時期に世界文学大辞典での日本文学に関する記事の編集も担当しました。近年では城西大学とブダペスト商科大学の提携をサポートし、その縁でこの4年間城西大学で客員教授として講義をしています。またほかの日本の大学、民間団体のために講演を持つこともしばしばあります。
 またハンガリーで日本の文化を、日本ではハンガリー文化を紹介するイベントの企画、主催をしています。リスト音楽院の日本人留学生によるコンサートを毎年3月に開催しており、今年で7回目になりました。お陰様で毎回多くの日本の方々が来られ満員の盛況が続いています。また毎年少なくとも一つの日本のアーティストによる展覧会を開催しています。今年は外交関係140周年を祝う記念の年であり、日本の美術展を三つ主催します。
 日本では、毎年三つのホテルを会場にハンガリーフェアーを開催しています。今年はこれ以外にハンガリーの藍染展とハンガリーの名写真家ハールの写真展も開催予定です。私は陶器が好きで大使時代に日本全国各地を回り、多くの人間国宝の方々と接し素晴らしい作品の数々を見せて頂きました。この陶芸の縁でも多くの知己を得ました。九谷焼の金沢での財団法人三谷育英会の役員は7年間になります。またハンガリーで裏千家談交会を設立、会長を務めています。
 
なぜ外交官の道を捨てて、民間企業人としてやろうと思ったのですか。
 私の外交官としての夢は大使として日本で勤務することだったので、それが果たされた後は外交官としてのキャリアーより引き続き日本との関係強化のために貢献したかった。外交官としてやった経済外交の延長線で今のような活動を開始することが理想と考えました。
 
外交官ではなく、企業人となって日本あるいは日本人に対する見方が変わりましたか。
 大きな変化はないです。もちろん、私からみて理想的と思え相手企業にとっても利益をもたらすはずと思われる提案をしても、相手企業を説得できず断れるケースは外交官時代より多いです。しかしそれぞれの立場や責任があって、その範囲で判断すべきだと良く理解できますので、そんなにがっかりはしません。そのような数多くの経験を重ねることで、自分の説得不足な点を見つけ改善していくことで、できるだけ次回よりいいプレゼンができるように努力しています。
 
受賞後、ご自身の中でまたは周辺で変化したことはありますか?
 いっそう努力しなければならないという認識が強くなりました。
 
シュディさんにとって日本とはどういった存在なのでしょうか?
 私にとっても、家内にとっても第二の母国です。
 
日本および日本人から学ばれたことはどのようなことでしょうか?
 とてもたくさんあります。そのいくつかあげるとすれば、物質的なものより人間としての重要性、長期的な展望に立ったものの見方、相手の立場に立ち相手を大切にすること、ワビサビの感性などです。
 
今後の目標、今一番したいことについて教えてください。
 目標は今までやってきたことを一日も長く続けられること。その結果ビジネスで成功できれば、いつか財団を作って日本とハンガリーの企業の賛同を得て両国に小さい「文化会館」のような施設を作ることです。
 
ハンガリーに居る日本人あるいは日系企業に対する率直な感想、要望があればご教示ください。
 答えにくいご質問です。しかし率直申し上げると、折角ハンガリーで仕事をする生活をするという機会を得られたのですから、もっとハンガリーのことを勉強して、ハンガリーの各地を旅行して、ハンガリー人ともっと接触して欲しいです。日系企業も、特に今のフォリント安・円高環境を活用して、より現地調達の努力を強化して欲しいです。
 
 

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