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第二の故郷
山田 有弥
デブレツェン大学医学部4年

 
   「海外で、英語で医学を学びたい」これが私のハンガリー留学を決めた原点です。
 幼少の頃家族で訪れた写真展で見た、世界の貧困地域で活躍する医師の姿が頭から離れず、母の病を通して医師という職業の素晴らしさを知り、その決意は固いものになりました。
 デブレツェン大学医学部の英語プログラムは、学費も安く、かつ高レベルの教育が受けられ、私の理想の医師像に近づくにはここしかない、と半ば運命的なものを感じつつ、思い切ってデブレツェンへ来てから早5年が経とうとしています。
 初めての海外、初めての一人暮らしと、見るもの聞くもの全てが新鮮な私のハンガリー生活は、3カ月の英語研修から始まりました。
昔から英語の勉強は好きでしたが、日本で学ぶ英語とコミュニケーションをとることとは違い、まず相手が何を言っているかが分からない、理解できても自分の言いたいことが表現できない、という悔しい思いを数え切れない程経験しました。でも今思えば、この「悔しい」という気持ちが、語学上達で一番重要なのかもしれません。授業や外国人の友人との関わりの中で、知りたいと思った表現や単語をメモしておいて、家に帰ったら調べ、次の日から積極的に使ってみる、この繰り返しでした。それに加え、医学部のコースが始まってからは英語の教科書をひたすら読み続けたので、相乗効果で英語は伸びていった気がします。
 医学部での勉強は、特に低学年の時が大変でした。試験はほとんどがオーラルで、留年がかかっているような試験でも、教授たちは平気で落とします。他の国の友人と比べて、やはり英語にディスアドバンテージのある日本人は、120%準備していってやっと100%の力が出せるといった感じです。昔はそのことがコンプレックスになっていましたが、4年になった今は、基礎医学をやっておいたことが活かされていると実感しています。
 日本の病院で実習すると、必ず指導医の先生方に、同じ学年の日本の医大生よりも優秀だとお褒めの言葉を頂くのは、試験があれだけ厳しかったからだと思います。努力せずに、人の生命を預かることはできないと、厳しい進級制度を通して、教授たちは学生に教えているのだと思います。
 高学年では、病棟で患者さんを診させて頂きながら授業をすることがほとんどです。ハンガリー語で患者さんと話すのはとても難しいですが、基礎医学の知識を思い出しながら診断や治療を考えたりするのは面白く、「勉強頑張ってね」と励ましてくれる患者さんもいたりと、毎日充実した日々を送っています。

 ブダペストで初めて王宮や鎖橋の夜景を見たときの感動は忘れられません。また、オペラや美術、荘厳な建築物など、日本ではなかなか触れることのできない一流の芸術にも、心を洗われます。
 デブレツェンは、ブダペストに比べれば小さな都市ですが、ハンガリー人・外国人共に学生が多く、田舎過ぎず都会過ぎず、学生が勉強するには最適な街だと思います。日本人の医学生も今は60人近くにまで増え、全く孤独になってしまってどうしようもなく日本が恋しいなんてこともありません。食事は、レストランやファーストフードを利用している人もいますが、私はたまに日本に帰った時に日本の調味料を沢山持ってきておいて、基本的には自炊をしています。新鮮なお魚はあまりありませんが、お肉や野菜は日本にあるものと似ているので、和食も割と作れます。
 私は勉強の息抜きによく散歩をして、ヨーロッパで医学を学べる幸せをかみしめ、原点を確認しながら、毎日を過ごしています。ハンガリー人の友人やクラスメートと、お互いの国の料理を一緒に作って語り合うのも大きな楽しみです。
 私は、ハンガリーに来たのは正しい道だったと確信しています。
 確かに勉強は大変で、進級も難しいですが、自分が何のためにここに来たのかということを見失わず、努力していけば、必ず上の学年に上がっていけます。何より英語で学べるといことは、それだけ可能性が広がるということです。
 将来は、日本の医師免許も取得し、日本・世界の医師を必要とする地域にどこへでも飛んでいけるような医師になりたいと思っています。
 卒業しても、ハンガリーはずっと私の第二の故郷です。ここへ来させてくれた両親と、応援してくれる方々への感謝の気持ちを忘れず、これからも頑張っていきます。
(やまだ うみ)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.