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人と音楽、そして文化
鈴木 舞 (バラシ・インシュティテュート)

 
 初めはどこで耳にしたのか、日本の曲ではないはずが、どこか懐かしい旋律。いつしかその旋律に心打たれていました。それが、全ての始まりでした。コダーイの合唱曲、バルトークのピアノ曲、大学内で誰もが当たり前に話している名前だけれど、その静かな感動の意味を、自分の目で見たいと決意したのは、卒業も間近、秋も終わる頃の事でした。ピアノが好きで、人と音楽を演奏することが好きで、弾き続けてきた約二十年間、その自分にふと迷いを感じていました。好き
で弾いているはずなのに、何故かいつも自分自身に追われている。何が正しいのか、その答えを自分で見つけに行かない限り、音楽を続けることはできないと思いました。そこからは、情報収集が始まりました。ヨーロッパという未知の世界、全く違う言葉、全く違う文化。留学に向けて必死で情報を集めました。
  一番悩んだことは留学方法についてでした。音楽大学のパートタイムを受けるか、語学学校へ行くかです。今思えば、あの頃の私は期待と不安でいっぱいで、本当に先を見据えた判断ができる力があったのか疑問でした。でも、その国の文化を、その国の人から、その言葉で聞きたいと思った私は語学学校入学という選択肢を選び、そして半年がたった今、自分の選択に後悔の念は一切抱いていません。だからこそ出会えた人たち、できた経験、感じた沢山の想い。
  私の通っている語学学校は、自分の学びたい頻度、難易度によって様々なタイプに分けられていて、私のコースは週5日、午前中の3時間のクラスです。クラスに学生は6人、全員が違う国籍です。先生はもちろんハンガリー人、初めは何を話したらよいのか戸惑っていたクラス内も、それぞれの国の話になると話が盛り上がります。日本以外の国について、こんなに身近に話を聞くのは初めてで、毎日が驚きの連続、全てが新鮮でした。まさにABCから始めた私ですが、みんなと会話するのが楽しくて、何より日常に密接した授業は本当に目に見えた力となります。
  しばらくたった頃、語学に追われてしまっていた私に、知人が合唱団に誘ってくれました。まだ初歩的な会話しかできない自分に不安はありましたが、何より音楽がしたい、と強く思い始めていました。音楽に追われていた自分が、いつのまにか自分から音楽を求めていたのです。
  合唱団の団員は全員がハンガリー人、もちろん全てハンガリー語で行われています。何が何だかわからない私に団員の方たちはとても暖かくしてくれました。指揮者の人が「おいで、歌おう。」と言ってくれた最初の言葉は、今でも忘れられません。練習中には一度休憩があります。その時間は、それぞれの家族や仕事、週末にあったことなどを話します。みんな自分以外の誰かに興味があり、誰かが喜べば心から喜び、誰かが悲しめばみんなで励まし合います。そこでハンガリーはアジアの文化が沢山入って来ているということを聞きました。そして「さくら」を子供のころ歌ったことがある、と言う人もいました。またそれと同時に、ハンガリー人も日本の音楽についてすごく興味を持っているのです。沢山の教会や週末の小さな部屋で行われるコンサートにも行きました。何より、音楽が自分たちの文化として生活に浸透していて、そこから生まれる音楽は、本当に暖かいのです。久しぶりに感じた感覚でした。
  そして今、私は自分の専門とする分野であるピアノを勉強する機会を得ることができました。少し遠回りをしたけれど、だからこそ弾くことの意味を見出した今、弾きたい、知りたい、伝えたいと思える。ハンガリーの音楽を、誰かの音楽を引き出す心からの暖かい音を、ここハンガリーでその確固たるものを持ち帰り、日本でその経験を伝えることが私の夢です。ここまでくるにあたり沢山の方々にお世話になりました、諸先生方、在留日本人の方、合唱団員の方、友人、並びに在日、在ハンガリー大使館の方々にこの場を借りて心からお礼の気持ちを伝えたいと思います。人が、夢を持ち続ける限り、そこに必ず道は開けると信じています。そして日本、ハンガリー両国の親睦を祈っております。
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.