Topに戻る
 

 
 
 
     
 
 
 

日本の若者は何をしている
盛田 常夫


 安保法制の国会議論が始まった頃、テレビやスポーツ紙ではAKB48の総選挙とやらで沸いていた。翌朝のニュースで、中継したフジテレビに「抗議が殺到」とあった。然(さ)もありなん。一億脳天気で、「国家の大事に、AKB中継で馬鹿騒ぎしている場合か」という抗議かと思ったら、何のことはない、選ばれた子供たちの決意表明が途切れて放映され、良く聞けなかった抗議だという。子供の学芸会番組をゴールデンアワーで中継するフジテレビの文化・知的水準も低いが、それに劣らず白痴番組に一喜一憂する視聴者の知的レベルは嘆かわしい。選挙権を付与する年齢を下げたばかりだが、日本の子供たちの文化・知的レベルは戦後最低の水準にあるのではないか。

 私が大学に入学した1966年は、1960年の安保条約反対運動や1965年の日韓条約反対の運動が終わった学生運動の過渡期にあたる。1965年はまた、フランスに代わって南ヴェトナム政府をテコ入れしたアメリカが、北ヴェトナムへの爆撃(北爆)を開始した年で、これ以降、ヴェトナム戦争は泥沼の闘いに入り込んだ。アメリカは膨大な地上軍を投入し、ヴェトナムの北半分をナパーム弾で焼き尽くし、ヴェトナム人を100万人以上も殺戮した。しかし、その甲斐もなく、5万人を超える犠牲を出したアメリカは、国内だけでなく、世界各地のヴェトナム反戦運動に押され、ヴェトナムから撤退せざるを得なかった。
 アメリカが政府を上げてヴェトナム戦争の総括を行ったのにたいし、アメリカ軍基地の全面使用を容認せざるを得なかった日本政府は何もしなかった。ヴェトナム戦争終結から40年、アメリカは再びイラク戦争を勃発させたが、開戦理由に根拠がなかったことが明々白々になっても、後方支援を行った日本政府は一切総括を行っていない。開戦直後に支持を表明したイギリスでは、国会でイラク戦争を厳しく検証したのとは大違いだ。軍事主権をアメリカに掌握されている日本に発言権はないから総括する必要がないのか。そういう自主自立精神に欠けた日本が集団的自衛権行使を容認すれば、アメリカが惹き起こす戦争に右往左往するのは目に見えている。

 大学に入学して間もなく、アメリカ人宣教師がヴェトナム戦争を肯定する講演にやってきた。あまりのプロパガンダに、講演が終わった直後に挙手して発言を求め、「アメリカはヴェトナムの歴史を知らないで戦争している」と批判した。私が通った大学はアメリカの教会組織の財政的支援で運営されていて、アメリカ人教師が多くいた。ヴェトナムへの召集令状を受け取った男性教師もいた。アメリカの個人主義や合理主義に惹かれていたので、個人としてアメリカ人と付き合うことは楽しかった。英作文授業でも、ヴェトナム戦争や社会主義をテーマに取り上げたが、教師は議論の論理性や正当性を大切にしてくれた。しかし、アメリカ軍は市民的規範とは別の論理で行動している。
 1999年、コソボ紛争を契機にベオグラード爆撃を行ったNATO軍の主力部隊であるアメリカ軍は、コソボ紛争とはほとんど関係ないノビサド周辺のハンガリー居住地域近辺に劣化ウラン弾を投下した。当時、ハンガリー政府は抗議したが、この後、この地域でのがんの発症率が増加している。アメリカは軍事行動から生じた市民の被害について一切補償しない。どのような批判があろうとも、アメリカ軍は自らの軍事論理にもとづいて行動する組織であり、それを支える膨大な軍需産業が背後にいることを忘れてはならない。

 そして、今、日本で集団的自衛権を容認する解釈改憲が進められている。すでにアメリカ議会で安倍首相が約束したことだから、何が何でも成立させなければならないのだろう。歴代政府が繰り返し、「集団的自衛権の行使は憲法違反にあたる」と国会で説明してきたにもかかわらずだ。しかも、今回の解釈改憲の陣頭指揮に立っている高村正彦副総理自身が、法務大臣として、「国際連合で集団的自衛権は容認されているが、それぞれの国の最高法規が優先し、日本がこれを行使することは憲法違反にあたる」と繰り返し説明している。ところが、突拍子もなく1956年の「砂川判決」を持ち出して、「最高裁が自衛権を認める判断を下した唯一の憲法判断だから、これに則れば、集団的自衛権を認めている国際連合に加盟している国には、集団的自衛権の行使が認められる」と、60年前の判決から新しい解釈を「発見」し、これを解釈改憲の根拠にしている。
 政治家は前言を翻しても平気な厚顔無恥な人たちなのだろう。しかし、物事はそういう都合良く行かない。アメリカで解禁された外交資料から、砂川判決を主導した最高裁判所田中耕太郎長官が、判決前にアメリカ大使に報告に行っていたことが明らかになっている。砂川判決はアメリカの事前の了解を得た屈辱的な判決だった。それもそのはず、サンフランシスコ条約締結で駐留軍を撤退させる必要のあるアメリカは、軍を継続的に駐留させるために、「駐留は違憲」という判決を阻止しなければならなかった。砂川判決こそ、米軍駐留を半永久的に合法化する、それこそ右翼が好んで使う「売国」判決である。「売国判決」を根拠に、アメリカの軍事戦略の後追いを合理化する安倍政権は、日本をアメリカの軍事利益に従属させる「売国」政権と言われても仕方がない。高村「発見」はやぶ蛇になったが、高村氏自身がそれに気づく知性を持ち合わせているかどうか。
 
 1956年はハンガリー動乱が勃発した年である。ハンガリーの戦後史において、1949年のライク外相処刑と1958年のナジ・イムレ処刑は取り返しのつかない汚点である。前者の裁判では、裁判所からソ連顧問団へ電話回線が敷かれ、裁判の様子が逐一報告されていた。判決や刑執行についても、事前事後に、スターリンとラーコシの間で何度も意見が交わされた。1958年のナジ・イムレ処刑でも、ソ連共産党と何度となく意見交換が行われ、最終的にカーダールが自らの権力を安定させるために、死刑執行を選択したものだ。
 日本もハンガリーも、今なお、戦後占領の重い負の遺産を背負っている。

(もりた・つねお 「ドナウの四季」編集長)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.