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闘わない闘病記 (2)
佐藤 経明


 同じ日の朝に入院して夕方には退院するという、異例の経過には次のような事情があった。今の住所に引っ越して以来、40年の付き合いのある近所のクリニックでのバリウム撮影で「胃に何か大きな異物がある」ことが発見されたのだが、この先生が紹介状を書くと言ったのは、多摩の丘の上に居を構える聖M医大病院だった。この先生が虎の門病院の「本院は良いが分院は悪い」といつも口にしていたのは承知していたが、この時も同様だった。聖M医大の水準に危惧が無いわけではなかったが、何しろ40年の付き合いである。いま区役所の近くで皮膚科クリニックを開業している慈恵医大出の娘さんは私の娘の2~3歳下で、昔は娘が毎朝連れて小学校に登校していた間柄でもあった。
 そこで11月7日早朝、同病院に入院したところ、ただちに胃カメラ検査の後、14-15日に手術する、手術室も押さえたとの告知を受けた。さて、それからが「本番」である。いったん帰宅した娘が夕方、母親を伴って病室に来て「すぐ帰りましょう」と強力に主張した。

 娘の主張の理由は次の通りでした。
(1)  まず第一にひどく怒ったのは、患者の私には同日中に「14-15日に手術を予定、手術室も押えてある」と知らせながら、家族には何の説明も無いことだった。
(2)  M医大の医師の水準に疑問なしとせず。教授・准教授を除き「学会専門医・指導医」の認定を受けた人がいない。私の主治医に指定されたらしいF教授は琉球大学医学部卒だが、その他ほぼ全員がM医大卒。
(3)  「陸の孤島」のようなアクセスの悪さ。82歳の家内にはとても通えない。
(4)  娘と同じ三軒茶屋在住、同世代ということで親しくしている女性眼科医(三軒茶屋育ち。学芸大附属中・高から日本医科大学卒)に「M医大病院? 止めたほうがいいわよ」と言われたこと。
(5)  娘たちの世代は「男女均等法」世代ですから、「誰から紹介されたから」などには拘泥しません。「患者の権利」を真正面から押し立てます。後で分かったことだが、15-16年前、虎の門病院本院で回復期に入った患者の予後センターとして開設された分院が外来患者を診始めた時、地元医師会と大変なトラブルがあったと言う。私のクリニックの先生は開業した時期が早かったから地元医師会の重鎮としてトラブルの先頭にあったらしい。分院に対するこの先生の「敵意」も納得できた。私が住む田園都市沿線、宮崎台・宮前平から鷺沼にかけてのクリニックの医師たちが聖M医大病院ばかり紹介する理由も、良く分かったのである。これには開業した親の世代に代わる息子・娘には、このM医大卒が多いという事情も手伝っているらしい。

 翌8日、早速、近く虎の門病院分院を訪れた。最初に応対してくれたのは本院下部消化器外科部長の黒柳洋弥先生(腹部を切開しない腹腔鏡手術で全国トップクラスの実績あり)。ヒゲ面の笑顔で応対、「私は大腸癌専門だから」と上部消化器外科専門の上野正紀本院医長にその場からケータイで電話連絡、10日木曜日午後の診察を確保してくれた。その間28歳くらいらしい百瀬洸太さんという、いかにも秀才の青年医師が院内PHSとパソコンで各所にてきぱきと連絡、もう夕方近かったのにその日のうちにCT造影スキャンを含む三つの検査を押し込んでくれました。

 検査は翌日9日早朝の胃内視鏡(胃カメラ)がメインでしたが、これも百瀬医師が手配してくれた二人の医師により40分もかけるという徹底したものでした。M医大病院の通り一遍の内視鏡検査とは大違い、「患部の向こう側の境界線ははっきりしているけれど、手前のほうがはっきりしないから、もう少し我慢してください」などと言うのを聞きながら検査を終えました。
 黒柳先生と、二日後にお会いすることになる上野先生のお二人とも患者に対しM医大教授のように荒っぽい話し方でなく、誠に市民的で患者を対等に扱う礼儀正しいものでした

教訓2の1  医師・病院の選択に当たっては、義理人情に囚われてはならない。「患者の権利」を真正面から押し立てること。セカンド・オピニオンを求めるのも患者の権利である。
教訓2の2  ということは、患者も無智であってはならないということでもある。高度医療が普遍化してきた今日では、どこの病院では(どんな医師がいて)どのようなジャンルで業績をあげているかをおよそ知ることなしには、みすみす命を失い兼ねないのだ。「バカでは患者は務まらない」時代となったのである。
(さとう・つねあき 横浜市立大学名誉教授)
 
 

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