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ハンガリーのみなさ ん
Koszonom szepen
安島 昇

 

 19Km過ぎ12時の教会の鐘の音を聞いてから、突然両足に激痛が襲ってきた。昨年の経験からすると、当然 予想はできていた。昨年は、確か18Km過ぎから走れなくなった記憶がある。どうやら、私の両足は限界が2時間のようである。昨年も、12時の教会の鐘の 音を聞いてから、足は激痛で走れなくなった。出発が10時であるから、昨年の18Km、今年の19Km地点は出発から2時間経過したことになる。

 
 今回も、マラソン道に反するように、ほとんど練習なしに挑戦し た。妻から、再三、練習していないのならハーフマラソンには出場しないように言われた。しかし、自分の目標とした「ハーフマラソン3年間完走」、「3つの メダル獲得」のためには、どうしても出場しゴールしたかった。19Km過ぎからは歩くにも辛いので、給水所でもらった2つのコップの中の水を両足にかけな がら走った。すると、激痛は一時消え、再び走ることができた。しかし、それはほんの数メートルしか効果はなかった。もう、諦めようとしていたとき、肩を叩 きながら声をかけてくれる人がいた。「ジェルンク(Gyerunk)」(日本語でがんばれの意味である)そういえば、それまでに何人かの人に、同じように 声をかけてもらっていた。今回は、背中に「MAGYARORSZAG(ハンガリー)」の文字が入ったシャツを着て走った。それは、ハンガリーが好きであ り、ハンガリー人になり切って走りたかったためである。声をかけて追い越していった人が振り返り、日本人と解っても笑顔で走っていく。
 

 
 折り返しまでは、余裕 で「Koszonom」と余裕で答えていたが、19Km過ぎからは、返事するのがやっとの状態である。さらに両足の痛みがひどくなり立ち止まっていると、 再び何人もの人に「Gyerunk」と声をかけてもらった。マラソンは自分との戦いと言われるが、今回は違うと思った。一人じゃない、励ましてくれるハン ガリーの人がたくさんいる。「Gyerunk」に応えたい。その一心で、再び一歩一歩と踏み出していった。「英雄広場」を過ぎると、ゴールは間近、もう立 ち止まれない。みんなの声援が自分を励ましているように感じる。そして、感激のゴール。2時間20分8秒、目標の2時間以内にはほど遠い時間だったが、3 年間では一番速いタイムだった。ゴールに辿り着けたのは、ハンガリーの人たちからの「Gyerunk」の後押ししか考えられない。「Gyerunk」と声 をかけて、励ましてくれたハンガリーの多くの皆さんに感謝したい。あの言葉がなければ、棄権していたことは間違いない。 3年後に、もう一度ブダペストナ イキハーフマラソンに挑戦したい。それは、優しいハンガリーの人々と再会するためと、ブダペストの風を感じながら鎖橋や自由橋を納得のいくように走りたい ためである。
(やすじま・のぼる)
 
 
 

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