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バドミントンの記憶 と出会い
植條 公士

 

 人はどちらかというと楽しかったことはすぐに思い出せるけど、辛かったことは思い出したくないからか、なか なか思い出せない。

 

 私がバドミントンを始めたのは中学一年生の時。それまでスポーツには全く縁がなかった私はスポーツ系クラブ 一覧を眺めながらこの中で一番楽そうなのはどれかと考えて選んだのがバドミントン部だった。しかしその選択が間違いだったことに気がつくのに1週間もかか らなかった。
  一般的に水泳と同じくらいのカロリー消費を必要とされるスポーツ。スピーディなラリー、激しい強度の運動を長い間維持しながら作戦を練る。バドミントンは 激しい運動をしている時間と休んでいる時間が交互に繰り返されるスポーツ。つまりダッシュを繰り返しているようなもの。心拍数が激しく上下する。私の頭の 中にあった外で親子がポーンと羽を打つなんて想像はあっというまにかき消された。
  毎日30km以上のランニング、20本以上のダッシュ、1時間ほどのノック、うさぎ跳び、試合・・・練習が終わった後は自転車を漕ぐのも辛い毎日。高校の 部活対抗マラソンでは野球部やラグビー部を抜くほどになっていた。練習が辛くて辛くて何度も辞めようとした。
  大学に行ってからはスキーやバイク、お酒と巷の大学生が夢中になっているものに打ち込み始め、社会人になり結婚、子育てと、たまに家族や友人とでやったり する程度で競技バドミントンをやっていたなんて忘れかけていた。だけど約20年がたった今、バドミントンは日本から遠く離れたハンガリーで再度自分の心を 震わせている。おそらくいつも心の中にあったほんの小さな火種が小さな風を受けたに過ぎないのだろう。辛かった思い出はすっかりと影を潜めバドミントンを やっていた楽しい思い出が私を突き動かした。
  きっかけとなったのは大吉の飯尾さんを紹介役として募った3人。まず場所から探すことになった。バドミントンはハンガリーではマイナーなスポーツというこ とはスポーツショップに行ってもテニスラケットの隅に置かれている程度いうことで容易に想像が付く。夏前から探していたが夏休み休館や場所が遠いなどよう やく場所の確保が出来たのは2009年10月だった。
  久しぶりに経験者の方たちと手を合わせる。まず一番驚いたことは自分の知っているルールが変わっていたこと。2006年からサーブポイント制の15点3 セットからラリーポイント制21点3セットに変更になっていた。またラケットも進化しており軽く、10mm長い物が主流となっていた。
  そういえば中学一年生の頃、部活を始めるからといって親に買ってもらったラケットは木製のフレーム。当時もカーボン製などあったが当時最高峰の性能を持つ ラケットが安価で入手できたことも驚きだった。どれだけ浦島太郎だったんだろうと思い知ったものの実際にプレーするにつれて徐々に過去の動きを思い出して いった。 そして創部以来、いろんな方がバドミントンをやりたいと声をかけてくださり、今楽しく一緒にプレーを楽しんでいる。ハンガリーでバドミントンと いうスポーツに興味を持ち始められた方、ハンガリーに在住する前に海外でやられていた方、様々だ。またその敷居の低さから毎回数人の子供たちも自由にバド ミントンを楽しんでいる。子供から大人までが気軽に人の輪を増やせるスポーツは実はそうそうない。

 

 バドミントンはフットワーク、ラケットワーク、ボディワーク、頭脳ワークという4つのワークが必要。
  どれかひとつを鍛えることで、極端な例でいうと小学生が大人に勝つことだってある。もっぱら私などは、高校生の時のような体力は影を潜めっぱなしで年齢を 重ねる事にラケットワークと頭脳ワークに磨きがかかり、人の嫌がる場所にシャトルを落とすという性格の悪いプレー(笑)が得意となっている。ただそのよう な特性から生涯スポーツとして皆に慕われているのも事実。
  隣の国、オーストリアではバドミントンはとっても盛んなスポーツ。オーストリアの首都ウィーンにはバドミントンの専用コートを持つスポーツセンターが数多 くある。ウィーンにも日本人バドミントンクラブがあり、今では時折情報交換を行っている。ウィーンでは多数のバドミントンクラブがあり交流を絶え間なく 行っている。年に一回はアジアフレンドシップカップと呼ばれる中国人、日本人、ベトナム人、タイ人が揃い交流試合を催す。
  今度は国も言葉も文化も違う人たちとの交流。お誘いを受けハンガリーからも2名参戦した。3セットの勝負は久しぶりで心臓がバクバク、最後は膝が笑ってい た。結果は自分で言うのもなんだが2戦とも惜敗(もう一人の方は1勝1惜敗)。でも応援してくれた家族や異国の人たち、辛い思い出よりは良い思い出の方が 私の心には刻まれた。

 

 ハンガリーのクラブでは初心者も多いためシャトルを打つというシンプルな楽しさの行為を追及するべく活動し ている。練習で体を温めたあとに試合を中心に楽しくプレー。サークルでは対戦相手をじゃんけんやグーパーで決めるので、強制的に(笑)様々なレベルの人と 当たることもある。ときには経験者であったり、ときには子供であったり。様々な分野で活躍するハンガリー在住日本人の方々との交流は本当に楽しい。
  また体育館を貸してもらっているハンガリー人の皆さんは外国人である私たちに分け隔てなく気持ちよく接してくれる。
  ハンガリーに来て2年、バドミントンを通じて育まれた人の輪は今更に広がろうとしている。こんな体験は日本では出来ない。まだまだ私の知らないバドミント ンの世界が待っていると思うとワクワクする。異国の地でバドミントンがくれた小さな奇跡。きっと自分の人生でかけがえのない宝物になると信じて。

(うえじょう・きみお マジャー ル・スズキ)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.