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お便り
ハンガリー滞在回想記
高橋 幸二

 

 私は、2006年8月から2009年6月まで、日本大使館(経済担当)に勤務するためにブダペストに滞在し ていました。帰国直前に盛田さんから執筆を依頼されていたものの、帰国後の忙しさなどにかまけて執筆が遅れたままでいましたが、帰国からほぼ1年という一 つの区切りを迎え、かつ、日本との生活の違いから懐かしさをたびたび感じるようになり、ようやく筆を執るに至りました。回想されること全て書こうとするか なりの長さになってしまいそうなので、今回は特に強く印象付いていることをいくつか述べたいと思います。

 
 ハンガリーに滞在するまで、公私ともどもヨーロッパには何度か 訪問したことはありましたが、いずれもイギリスやフランス、スイスといった西欧諸国ばかりで、ハンガリーに一番接近したのはウィーンまでと、ハンガリーと は縁はありませんでした。そのような状況下、期待と不安が当然のように入り混じる中で赴任の途につき、ハンガリー滞在がスタートするわけですが、3年弱と いう短い滞在の中で一番悩まされたのは言葉の壁でした。英語ができればとりあえずは何とかなるだろうとある意味「根拠のない自信」を持っていましたが、そ の自信もあっという間に砕かれました。思っていたよりも英語が通じず、街中で見かける表記は殆どがハンガリー語と、赴任前の勝手な予想が見事に外れた格好 です。一見してわかるものはいいのですが、レストランのメニューやスーパーでの買い物など日常生活の中で言葉の壁にぶち当たったことは数知れません(この 点、職場でのハンガリー人スタッフやハンガリー語が堪能な日本人の知り合いには感謝しきりです)。中でも残念なのは、買い物などの機会でせっかくスタッフ の人たちが丁寧に説明してくれたりするにも関わらず、殆どが理解できないことや感謝の念を伝えられないことでした。ハンガリー人には親切な人が多く、その ような機会が多かっただけになおさらです。この点は、自分の中で今後に向けた大きな反省点にしようかと思っています。
 
 一方、自然の豊富さは素晴らしかっ たと思います。冬場の寒さもなかなか厳しいものでしたが、春の新緑の鮮やかさ(特にくさり橋やマルギット橋から見るブダ側)にはいつも感心していたもので す。郊外に出れば、春には菜の花、夏にはひまわりが広大な土地で一斉に花を咲かせる光景があちこちで見られ、見るたびに「この光景は日本にはないなあ」と 感じ、今でもその光景はよく思い出されます。現在は東京勤務ですが勤務先の周辺はビルばかりで、中心部でもあれだけ緑が豊富なブダペストとは大きな差を感 じています。加えて、食べ物についても、春になるとアスパラ、鞘付きのまま売られているグリーンピース、イチゴ、サクランボなどその季節にしか食べられな い野菜・果物が多く店先に並び、ときには道端で農家の人たちが直売するなど日本以上に季節感が感じられ、非常に楽しめました。ただ、いろいろな人から春の 一時期にサクランボをもらった結果、食卓には毎食サクランボが並ぶことになり、ハンガリー滞在の3年間で果たして日本で食べる量の何倍ものサクランボを食 べたのか、全く想像がつきません。毎日、あれほどの量のサクランボを食べ続けることは今後なさそうです。
 
 仕事の面で強く印象に残っている点 を挙げれば、2008年秋に発生した金融危機です。賛否両論はありつつも、当時のジュルチャーニ政権が進めていた緊縮財政政策が奏功してか経済も僅かなが ら上向きでしたが、IMFやEUに財政支援を要請することになるとは全く予測していませんでした。当時、世界的にはリーマンショックによる金融危機のさな かにあったものの、ハンガリーには直接の影響はないと見込んでいたところにこのような事態が発生し、ハンガリー経済にとっては国内外で厳しい状況にあった と思います。その当時、ハンガリー国内にいる日系企業の方々や日本からもハンガリーの状況について問い合わせを受けることが多くありましたが、必要以上に 深刻に捉えられないような対応に努めました。
 
 以上、ハンガリー滞在の回想をほん の一部述べさせていただきました。もちろん滞在中に不愉快な思いをすることもありましたが、帰国して1年近くも経つと残っている印象は良いものばかりで す。ただ、このように良い印象を多く持ったままでいられるのも、滞在中に御縁があった多くの人々の力添えがあってこそで、最後にこの場を借りてお礼を申し 上げたいと思います。いずれは一旅行者としてハンガリーを再度訪問し、お世話になった方々との再会を楽しみにしています。
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.