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著者への私信
川上 忠雄

 

 盛田常夫さん、ますますお元気で活躍中のようですね。陰ながら喜んでいます。

 『ポスト社会主義の政治経済学』どうもありがとう。すぐには取りかかれなかったけど、読みだしたら面白く、 引き込まれました。ご自身の理論的整理も随分進んで、驚くほど歯切れのよい、明快な書物となっています。かつて、同じような問題意識をもってヒアリングを 行ったことを懐かしく思い出します。当時はまだ動いている最中だし、期間も短かったので、とても整理しまとめるところまでゆきませんでした。それだけにハ ンガリーに根を下ろしたあなたの書物を手にして、感慨深いものがあります。

 ラーコシ、イムレ・ナジ、カーダール、それに彼らを取り巻く幹部たちの人物像が身近に感じられるようになり ました。革命とは言い難いプロセスを経たことでもあり、それらの人々の歴史的功罪の社会的評価も極めて微妙なものとなっているのもよく理解できます。ブダ ペストの国立美術館に行ってハンガリーの近代絵画を見たとき、その暗さに衝撃を感じたのですが、第一次大戦後から始まった民族の心の葛藤は依然続いている のだな、と思われてなりません。

 さて、体制転換をとらえるには社会哲学的視点が必要というのはまさにその通り。
  ところで、<計画から市場へ>を退け、配分(配給)システムから交換システムへという整理は理解できますが、当初の精神としては、主観としては、計画経済 をやろうとしたが、手段もなく、戦時の緊急の必要に押し流されて物量統制に流されていったということではないですか。社会主義を論じるとき、主観と現実と を一応区別してみることが必要有益に思えるのですが。
  自生的継続的発展を促進せず、能力の退化劣化を促進する自己破滅的なものになったというのは、厳しい物言いだが、その通りだと納得します。それにしても、 私には、「恣意的経済管理」の実情を特定の年の実況として赤裸々に描いた記録なり、ルポなりを是非とも誰かに残してもらいたいという気持ちが強く残りま す。特定の企業の党委員会あるいは企業長の記録でも。今なら復元できるのではないでしょうか?人々が忘れてしまいたいと思っていると、記録は散逸し、人々 の記憶もたちまち消えてしまうでしょう。しかし、それがきっと後に役立つことになるに違いないと思うのです。

 直面しているのは移行でなく社会の転換であるのに、その理解を欠いたIMFなどのアドヴァイザーたちが経済 システムの単純な移行を考えたという指摘は鋭い。その通りだと思います。その結果生まれてきたのが借り物経済とゲストワーカー現象であり、脆弱な経済は繰 り返し経済危機に見舞われる。
  ところで、現存した社会主義は社会主義イデオロギーに支配されたものだったのか? こう問いかけ、戦時という特殊状況ではともかく、平時になればお題目と 化し、個人の生活倫理を律する戒律にならない、したがって戦時のイデオロギーではあっても、平時になるとオポチュニズムに堕してしまう代物でしかなかっ た、という。
  これも鋭い把握だと思う。ただ、社会主義は平時になれば個人の生活倫理を律する戒律たりえないとは果たして言い切れるか?
  計画当局と企業長との間のコミュニケーション、実際にどういう動機が働くかを見れば、確かにこれはその通りというしかないと思います。しかし、上からの指 令によるのではなく、相互に日常的に接し、理解しあえる小さな共同体(企業、協同組合)の間には連帯、共生の気持ち、精神が自然に脈打つのではあるまい か。
  はぐくまれるべき市民的倫理というのも、じつは半分ぐらいはそのようなものと重なるのでは?ひどい倫理的退廃をこそなんとかしなければならないと思います が、独立した私的個人の倫理として確立させようとするのは、少々違うのではないかと思えるのです。それこそ、難しいことではあるが、第三の道を見つけ出さ なくては、と思います。官僚独裁でもなく、市場主義の百鬼夜行でもなく、共生、連帯の道を。それ一色で社会を組織しようというのは無理で、市場にも国家に もそれなりの働きをしてもらわなくてはなりませんが。
  私には、まだ市場社会主義(実際にあったものでなく、もっと上等な)についてその可能性を考えてみたいという未整理な気持ちが残っている次第です。かつて バラッサ・アーコシュ氏からの話をよく聞き、彼の著書をめぐって大いに議論したかったのですが、いまだ果たしておりません。
  また、機会があったら、議論をいたしましょう。今回はここまで。

(かわかみ・ただお 法政大学名誉教授)

 
 

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