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わたしの海外暮らし
天野 真理子

 

 1988年、当時は共産国だったハンガリーに足を踏み入れて以来、わたしの海外生活は17年に及んでいる。 それは2歳と3歳だった娘に1服盛って梱包し輸送したい、と切実に思ったモスクワとフランクフルト経由のほぼ丸1日がかりの移動から始まった。その娘達が ハンガリーで過ごした6年間、当初お世話になったコダーイシステムのオボダ(幼稚園)で、担当教師のみならず直接子供と接しないはずの校長先生からも受け たわが子への温かい子育てアドバイスや、その後移ったアメリカンスクールのプロ意識を持った先生、人混みの中で迷子になっても唯一のアジア人と見てわたし たちのところまで連れてきてくれたハンガリー人などなど多くの人たちとのふれあいの中で彼らは成長していった。
  そしてハンガリーから帰国後、4年間の日本滞在を経てイギリスに渡ったとき、彼らは13歳と14歳となっていて、日本では異端児扱いされないために極力使 わないよう努めてきた英語と日々向き合うこととなった。幸い、英語という言語とそれを話す目の色の違う人たちの存在には慣れており、また幼少教育の中で友 と遊びながら英語に触れていたおかげで、我々親からはなんとも羨ましいLとRの聞き分け、言い分けができ、恐れることなく現地校に順応していった。もちろ んそれでも不自由は多く、教師との初めての三者面談では英語の授業についていけないわが子への注文が出ると覚悟して臨んだが、教師の口から出たのは算数の 掛け算が暗算でできるという賞賛の言葉のみ。・・・ドラエモン九九の歌効果に感謝!・・そして16歳で受験する全国統一、中学卒業及び高校入学資格試験 (GCSE)のための履修教科のアドバイスとして、長文回答が要求される文系ではなく理数系の選択を勧められた。褒められたことで気をよくした娘達は数学 大好きっ子となり、木に登るがごとく大学でも数学を専攻した。今は東京とロンドンで働く娘達、たとえ他に引け目を感じることがあっても、これだけは遣り通 した!という自信が今後の彼らを支える大きな柱となって、どこででも逞しく生きていってくれることだろう。
  ハンガリーから帰国後に編入した公立小学校では、3年生だった娘が社会の授業中、アメリカンスクールで教えられた身の回りの発見を言葉にする授業に倣い、 環境に関する質問・提案をしたことがあったが、後の個人面談で環境問題を取り上げるのは3年生では早すぎると指摘されたことを思い出す。日本の枠の中に収 めようとする教育と自由発想を推奨するアメリカの教育の差を感じた。
  イギリスの大学では国費交換留学システムでイギリス人でないわが子のみならず、選ばれた生徒にイギリス人以外が多かったのをみて、イギリスの「人を育て る」という方針、懐の広さに感銘を受けたこともあった。
  わが子の成長過程を振り返り、一人ひとりの子に即した教育と得た知識を生かせる体験、そしてそれが理解され促される環境の大切さを痛感している。
  そしてわたしは、正直言ってハンガリー時代は異文化との新鮮な出会いと子育てに無我夢中、帰国して過ごした4年間は目の前のやるべきと思われたことを懸命 にこなした馬車馬のような日々、けれどその後渡ったイギリスでは、子供から少し手が離れ、これまでの自分を振り返る余裕が持てるようになっていた。そうす ると、日本の生活や価値観に疑問が湧いてきた。日本の生活には義務と錯覚したり勘違いしたりする事柄に満ちていて、時間に追いたてられる強迫観念に迫られ ていたのではないかと考えるようになった。ちょうどそんな時、関西の福知山線で脱線事故が起きた。時間優先社会のストレスで精神を病んだ運転手が、強迫観 念に迫られて起こした事故だ。これをきっかけに、私の中で「何事もこうあらねばならぬ」、という日本における価値観に疑問符がついた。
  イギリスではロンドン郊外の緑豊かな環境で8年間暮らしたが、時間があれば草原で草食む牛や羊に会いにドライブに出かけ、新緑の頃には緑のトンネル−ロン ドンでは狭い道でも二階建てバスが通れるよう木々の枝を落とし、それがおとぎの世界へのトンネルのように見える―をくぐりながら未知の国への誘いを楽しん だ。そんな住環境が私の日常に馴染んだ頃、少しずつことばでは表現できない大気の心地よさ、それに癒される自分を感じるようになり自然に精神世界に足を踏 み入れていった。友とともに瞑想の師について自分の内面を探り、ちょうどその頃出合ったヨガを続けるうち自分の中に平安な空間を見出すに至った。
  その後主人の駐在に伴いここギリシャに移り住んだが、アテネ市内の喧騒から離れた海岸近くの住環境は、毎日変わる空の色、海の色に気付かせてくれ、太陽の ありがたさに感じ入る日々だ。以前と同様に、テニス、スキー、ダイビングにと身体を動かすことの大好きな私のライフスタイルに変わりはない。しかし前と違 うのは、固定した観念から解き放たれ、何をするにも自分を機軸として発想する自由さが芽生え、すべてに新鮮な喜びが感じられるようになったこと。また、子 供が巣立ち夫と二人の生活となって新たな発見も多々ある。ここにいたって「夫は妻の欠落した部分を教える最良の師である」という友の言葉に倣い、良い関係 が築けるよう試行錯誤している。
  最近、ハンガリー人の物理学者、哲学者であり音楽家でもあり、各界の識者の集うブダペストクラブも主宰しているアーヴィン・ラースロー氏の本、『創造する 真空』、『マイクロシフト』と出会った。証明されるもののみが認められてきた科学分野の人が、哲学や宗教という目に見えない精神面と科学を結びつけ、今、 最大の危機を迎えているこの地球に警鐘を鳴らし、今こそ人間同士の繋がり、人間と自然との繋がりに目を向けるべく個人の意識を高めて、統一された世界作り を模索しようと呼びかけている。今は、この氏の提言に関心があり、個人に何ができるかを日本の空より高くて大きいと娘の言うギリシャの空を見上げながら思 考する毎日である。

 
 
 

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