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小学校の6年間を振り返って                      
上杉 なつき

 

 私の小学校生活の6年間を振り返って、最も印象的だった出来事の一つ、去年起こったハンガリーの難民問題について書きたいと思います。
 私がハンガリーに来てから、家族で何度か旅行をしました。飛行機に乗ってフランスやイギリスにも行きましたが、クロアチアやオーストリア、ボスニアへは車で行きました。日本は島国なので、飛行機や船に乗らないと外国には行けません。でもハンガリーはユーラシア大陸にあり、他の国と陸続きで、車で外国へ行けます。更に、ハンガリーはEUというヨーロッパの仲間の国の一つなので、EUの仲間の国同士なら、パスポート無しで出入りできます。私がオーストリアに行った時も、オーストリアはEUの仲間なので、パスポート無しで入国できました。
 去年の夏、シリア難民の問題が大きくなりました。陸続きということ、そして、ハンガリーがEUの東のはしにある国なので、とにかくハンガリーに入って、ここからもっとお給料のいいドイツなどを目指すため、難民がたくさん入ってきたと聞きました。ですが、あまりにもたくさんの難民が入ってきてしまったので、ハンガリー政府は国境にフェンスを作ったそうです。
 私は、フェンスを作ることに賛成です。なぜなら、難民が大勢ハンガリーに入ってきたら、犯罪が起こると思うからです。しかし、フェンスには賛成ですが条件があります。
 私は、前にスティーブ・ジョブズという人の伝記を読みました。彼の両親はシリア難民で、彼は家族と共にアメリカに渡ったのです。そして彼は、アメリカでアップルという大きな会社を立ち上げ、大成功をおさめました。なので私は、難民に試験をして、スティーブのように才能がある人だけをハンガリーに入れたらいいと思うのです。でも、私はこの前、漢字テストで失敗しました。難民の一生を決めるのに、私の漢字テストのように、失敗するかもしれない試験では、やはり選ぶ方法として問題があるかもしれません。一番良いのは、難民が自分の国から逃げてこなくてもいいように、シリアなどが、平和になることだと思います。私は日本で、カトリックの小学校に通っていたので、「祈る」ことを学びました。世界平和のようなものすごく大きな問題に関しては、小学生の私は祈ることしか出来ませんが、難民問題に関しては、祈ることだけでなくもっと行動できると思います。補習校のバザーに協力することもそうですし、難民支えんの募金活動に協力することも出来ます。姉の学年では、難民キャンプに飲み水などを配りに行ったそうです。これからも、自分の身の周りのことだけでなく、もっと広い世界に目を向けて、考えて行動したいと思います。

(うえすぎ・なつき)
6年間、補習校に通って                        
桑名 真生

 
 この6年間、補習校に通って、本当に良かったと思います。初めて学校に入った時、「何でここに来たのかな」、「何をする所なんだろう」という印象で、てっきり母の仕事場だと思っていました。
 そこで自分が日本語を勉強する所だとわかった時には、家に帰りたくて泣きそうだった事を覚えています。何故かと言うと当時の僕は、何かのアニメをテレビで見た時に「学校」と言う場所や「学校」と言う言葉に対して良い印象を持っていませんでした。でも、初日の1時間目の授業の後、その怖さが消えて面白くなりました。しかし、それでも僕は小学4年生の頃まで補習校を真剣に考えていなかったので、最初は、補習校に通う事は無駄だと思っていました。「日本語を話すだけで良いのではないか。」と思っていて、読み書きには全く興味がなく、覚えたくありませんでした。当然、漢字と音読は、だいぶ遅れてしまい、あまり上手ではありませんでしたが、それでも通っていて楽しい事がありました。一つ目は、カルタ大会です。結果は負けてしまって、すごくイライラしましたが、実際はカルタを初めてやったので仕方がないと思った反面、あの頃の僕は負ける事が大嫌いだったので、とても悔しかった事を覚えています。でも今は、あの頃より多くのカルタがとれるようになったし、勝ち負けはあるけれど、普段対戦する事があまりないので、わくわくドキドキしながら取り合い、とても熱くなれるので楽しんでいます。二つ目は、2年生の頃の担任だった宮城先生と平仮名やカタカナや漢字を覚える時間が、とても楽しかったです。例えば、「み」を覚える時に覚えるのが難しいと思っていたら先生が「先生生の名前は『みやぎ』だから、『みやぎ』の『み』と覚えるとわかりやすいよ。」と、すぐに覚えられるように教えてくれた事が、たくさんありました。5年生になった時、もっと日本語を知りたくなり、少しずつ勉強し始めるようになりました。授業中も先生の話をしっかり聞き、音読や宿題も前よりもずっときちんとやるように心がけました。そして、その年の夏にブダペスト日本人学校へ1か月半の間、体験学習に通い、日本の環境の中で日本の文化やハンガリーの学校には無い、色々な科目を知る大きなきっかけができました。今では音読も漢字も、続けて頑張って勉強しています。小学校最後の学習発表会に向けて、時間を見つけて練習しています。以前のように遊んでばかりで日本語の学習を怠けるのではなく、宿題やその他に出来る事から毎日とは言いませんが、少しずつ課題をやっています。小学校はこれで卒業し、中学生になる事に緊張しますが、とても楽しみでもあります。これからも日本語をしっかり学習し、自分の将来の為に役立てたいと思います。最後に6年間、ぼくをサポートしてくれた先生方や同じクラスのみなさんへ、感謝の言葉を伝えたいと思います。本当に、ありがとうございました。
(くわな・まさき)
補習校での6年間                              
坂井 香里奈

 
 「ちょっと、こわいなあ。」
 これが、補習校に通う最初の日に、玄関を入りながら感じたことです。母と一緒に教室に向かった時も、とてもふるえていました。私は、1年生の2学期から補習校に通い始めたので、最初は他の人と友達になるのに少し時間がかかりました。6年の間には、補習校をやめてしまった友達や日本へ帰ってしまった友達もいて、さびしくなった時もありました。でも、一人で勉強するのではなく、クラスメイトと授業を受けるので、他の人の意見を聞くことができ、おもしろいことや納得させられることもたくさんありました。 
 中学年になると、補習校とハンガリーの学校の両方に通うのが辛くなってきました。日本語で勉強していく上で一番難しかったのは、漢字の学習です。1年生の時は、まだ80字しか覚えなくてよかった漢字も、6年生が終わる頃には、1006字も覚えなくてはならなくなっていました。一方で、音読学習は、みんなと一緒に読んだり、他の人のアドヴァイスを受けたりすることができたので、知らず知らずのうちに楽しくなり、読むことも上手になったように思います。学習発表会に向けての練習でも、みんなで励まし合って頑張ることができました。毎年、色々なことに挑戦したので、3、4回目からは緊張しなくなりました。
 私は、これまでに一度だけ補習校をやめたいと思ったことがありました。しかし、
「もしここでやめてしまったら、日本語はもう話せなくなって、読み書きもできなくなってしまう。」
と、自分に言い聞かせて考え直しました。それだけは絶対に嫌だったので、この6年間、兄と一緒に頑張って通い続けました。
 中学生になると、学習内容は小学校よりもずっと難しくなると思います。私と同様に二つの学校で頑張っている仲間と助け合いながら、中学校では苦手なところも克服していきたいと思っています。
(さかい・かりな)
補習校での思い出                            
横田 阿檀

 
 ぼくは、補習校に5年生から始めました。一番良かった事は、新しい友達ができた事です。楽しかった思い出は、バザーとかるた大会です。6年生の時のバザーでは、同じクラスの真生と一緒におもちゃを売りました。ぼくは、売るために、家から使わなくなった車のおもちゃを持って行きました。真生と協力して楽しみながら売りました。でも、困った事もありました。例えば、英語でしか話せない人が来た時です。真生と二人でがんばって英語で会話をしました。また、2、3さい位の子が一人で、ぼく達の売り場に来た事もありました。後で、その子の父親が探しに現れ、ほっとしました。おもちゃは、ほとんど売ることができました。かるた大会では、「俳聖かるた」という、かるたを使って、勝負をします。ぼくは、「俳聖かるた は、補習校で初めて経験しました。俳聖かるた は、普通のかるたとちがいます。読み上げる17文字の俳句の中の、下の句12文字が、かるたに書かれています。そのため、最初の5文字と、後の12文字を一緒に覚えていれば、それだけで勝てる可能性が上がります。5年生で参加した初めてのかるた大会では、まだ、覚えていなかったのですが、6年生になり、クローク先生が、かるたを貸して下さったので、家で覚える練習をしました。その結果、5年生の時よりもよく取れました。しかし、ほとんどの対戦相手が俳句をたくさん覚えていたので、苦戦しました。結局、4人中3番でした。中学生になると、今度は、俳聖かるた大会から百人一首大会に変わります。そこでも、がんばろうと思います。
(よこた・あだん)
 
 

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