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日本人学校補習校その他日本語教 育
 
     
 
 
 
フレー、フレー、子どもたち!
鷲尾 亜子

 
「え〜、困るよぉ〜、どうにかなら ない?」
 意外や意外、日本人学校の運動会と、友人宅に招待されたのが同じ9月11日で重なってしまったと告げた時の息子の反応である。
  息子は補習校で3年生になり、クラスで男の子一人になってしまった。去年は同級生の男の子たちと運動会を経験したが今年はそれが無理になったので、知らな い環境が大の苦手な息子は、友人宅への訪問を選択すると私は踏んでいたのである。
  しかし、昨年初めて参加させていただいた運動会がよほど楽しかったのだろう。参加する気、満々である。友人家族には事情を説明して、前日にずらしていただ いた。そして今年も、母と息子でお弁当を持ってネープリゲトに車を飛ばすことになったのである。

国旗掲揚からパン食い競争、リレーまで
  当日は、これ以上の「運動会日和」はないだろうというほど空は晴れ渡り、8月のような暑さだった。そして運動会は、まるでNHKの9時の時報でも聞いたの だろうかと思うほど時間ピッタリに始まった。さすが日本人学校、と最初から感嘆。競技場に並んだ白に紺のユニフォームに、赤白の帽子の子どもたちが眩し い。息子は、今年も「白組」になれたので嬉しそうだ。(「赤」は女の子っぽくて嫌なのだそうだ。)
   国旗掲揚に始まり、初めの言葉、優勝杯・準優勝杯返還、校長先生の挨拶、と一通り続き、準備運動。その後は早速、競技開始。日本人学校の低学年生徒さんや 幼児向けの競技の後、紅白玉入れがあり、補習校の子どもたち、お父さんお母さんも参加させていただいた。続いてパン食い競争。口にくわえてロープから取る というのが意外と難しいようだが、息子はしっかり戦利品を持ち帰り、誇らしげだ。
  しかし息子を最も誇らしくしてくれたのは、短距離走と、1-3年生リレーだっただろう。どうやら今年はピストルの音でスタートするのにも慣れた上、相手が 女の子たちだったので短距離走は1等賞だった。リレーでも、グループをビリから2位まで持ち上げた。普段国語の授業では追いつくのに必死だが、足だけは速 いらしい。
  続く綱引きでは、低学年グループでは2回対戦して2回とも白が負けた。高学年グループでも白は全敗。大人の対戦でようやく1回勝利。応援にも思わず力が 入った。
  午後は応援合戦、組体操と日本人学校の生徒さんたちの演技が続き、皆よく息が合っており、この日に向けて練習をさぞかし沢山したのだろうと感服した。息子 も、組体操は食い入るように見ていた。そして幾つかの競技の後、最後に一般参加者と高学年以上のリレーがあり無事終了。残念ながら白組は負けてしまった が、今年も息子は銀メダルを頂き、昨年の銀メダルと一緒に部屋に飾っている。

ブダペストど真ん中の異次元空間
 それにしてもこのハンガリーでの運動会は、日本の運動会の正しい在り方を踏襲しており、補習校のほとんどの子どもたちにしてみると、一つ一つが珍しい。 しかし私のような日本人の親にしてみると、一つ一つが懐かしい。
 補習校のあるお母さんが競技場で、後ろでハンガリー人が「Szia!(やぁ!)」というのを聞いて、「あらやだ、ここはハンガリーだったんだ」と思わず 笑っていたが、そんな錯覚をさせるほど当日のネープリゲト競技場の一角は、日本のようであった。
 ラジオ体操一つとっても、息子は生まれて2回目だったから周囲の見よう見まねで、手足がぎこちなく動いていたが、こちらは音楽に反応してナン十年も眠っ ていた神経回路にスイッチが入って、手足が勝手に動く。
 先生がピストルを空に向け、撃つまでの緊張感。「パンーー!」と空気を割る音の後、かすかにたなびく白い煙とつんとした火薬の匂い。綱引きの、編みこん だ綱の太さ、持っていがいがする感覚。紅白の玉が、籠をめがけて青い空を舞い交差する姿が郷愁を誘い、胸の隅っこがほんの少しだけ痛くなる。
 そして、短距離走の音楽。大陸ヨーロッパのど真ん中で、あの定番の曲が聞けるとは思わなかった。ちなみに今回調べて、この曲が「クシコスの郵便馬車」と いう題名ということを知ったが、これが実は原題はハンガリー語“Csikos Post”であるということを知り、心底驚いた。作曲家はヘルマン・ネッケというドイツ人で、なぜ原題がハンガリー語なのかまでは突き止められなかった が、当地在住者として嬉しい発見であった。
  やはりリレーや短距離走は、この音楽がないと緊張感や興奮が高まらない。そもそも選曲した人のセンスの良さにも敬服するが、これが日本全国津々浦々、何万 校とある学校のどこでも、そして既に何十年も変わらず使われているという実態にも圧倒される。
  しかし私が真に懐かしさを感じ、また同時に改めて感心したのは、こうした小道具的なことはさておき、運動会に見た「組織力」かもしれない。日本人学校の児 童生徒さんたちの各種目でのてきぱきした動き。先生方が主導で企画されているのであろうが、子どもたちはそれに単に乗っかり参加しているのではなく、司会 から始まり、「パン食い競争のパンを持つ役」、「短距離走のゴールテープを持つ役」、「1等の子を連れてきて並ばせる役」というように主体的に役割を分担 しながら構成しているという点である。そしてその陰で、スムーズに進行するよう、先生方と保護者が支えている。

「運動会文化」
 実は、日本の学校にいた頃は、運動会にしても学園祭にしても、「何でも全員で役割分担しながらやる」というのが窮屈でたまらなかった。会社組織などどの ような集団にも『3:4:3の法則』があると言う。つまり最初の3割はモチベーションが高く意欲的に働く人たち、4割は普通の人たち、最後の3割はモチ ベーションが低く働く意欲が乏しい人たちと言われる。自分が小中学生の時、このように3つに分けて考えていたわけでは当然ないが、運動能力も、参加する意 欲も練習する意欲もまだらな集団の中にあって何でも全員参加型、というのに多少なりとも違和感を覚えていたのである。
 しかし今更ながら運動会を再び体験して、日本の運動会というのは実によくできていると感心する。種目も個人戦あり、団体戦あり、また運動能力だけを競う 競技だけではなく、レクリエーションの要素が強いもの、集団で練習して連帯性がなければできないものと多岐に渡る。そして、個人別や横ではなく学年縦割り で「赤組」「白組」と分けて、結束力を図る。違和感を覚えていたものも、何十年もたってみると憑き物が落ちたみたいにその目的が理解でき、それなりに評価 できる。ただそれも、日本から出て、外から我が国を見られるようになったからかもしれない。
  こうした日本の「運動会文化」を経験することができる補習校の子どもたちは、非常に恵まれていると思う。日本の学校には日本の学校なりの良さがあり、ハン ガリーや国際学校にはまた、日本の学校にはない良さもある。その2つを経験できるのだから。
 息子は、来年は4年生以上のリレーに出場すると張り切っている。補習校の子どもたちもまた、来年の運動会を楽しみにしている。そしてきっと日本人学校の 児童生徒さんたちも。
フレー、フレー、子どもたち!

* * * * *
 最後に、「ふれあい大運動会」に参加させていただきましたこと、関係者の方々にはこの場をお借りし心からお礼を申し上げたいと存じます。日本人学校の校 長先生を始め、先生方、またPTAの方々におかれましては、当日はもちろんのこと、事前の企画、準備は大変な作業であったことと察します。補習校の子ども たちが楽しむことができたのも、裏での目に見えないご苦労やご尽力があったからこそであり、保護者の一人として、また補習校運営委員の一人として改めてお 礼申し上げます。

 

 
 

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