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日本人学校補習校その他日本語教 育
 
     
 
 
 
Global Nomad
甘利 大紀

 

 昔からNomadという言葉が好きだった。
 足しげく通った服屋の名前もNomadだった。気に入った服が売っているわけではなかったのだが、繁華街から少し離れたところに、こじんまりたたずむ店の雰囲気とNomadという店の名前が好きだった。
 Nomadという雑誌も好きだった。毎月、どこか知らない外国の写真が一枚表紙を飾り、そこにNomadとだけ、雑誌の名前が黒字で書かれている。
 Nomad…、それは、「遊牧民」という意味を持つ言葉だ。定住地をもたず、あちこちを旅して生活するNomadの生活に、憧れがあった。

 私が、初めて教職についたのは、兵庫県の小さな町だった。学校は市内に8校しかなく、教員も全員が顔見知りだった。みな自分たちの町の教育観を信じて日々子どもたちに向き合っていた。厳しくもあたたかいまなざしで子どもを育てるこの町の教育が好きだったし、「この町の教育を引っ張る教師になってね。」と、恩師に言われたときは、心の底からそうなりたいと思った。
 ただ、「この町の教育こそが、素晴らしい。」と信じて、36年間教師を続けていくことには、一抹の不安があった。本当に、「素晴らしい。」と言いたいなら、外から自分の町を眺めてみる必要があると思った。3年間の初任期間を終えた私は、私の町の教員から「最も嫌われている」市外の小学校へ転勤した。
大好きな人たちにとてつもなく嫌われている学校での3年間は、朝から晩までひらすら研究に没頭する日々だった。感情ではなく理論であり、気持ちではなく理屈で子どもと向き合う日々が続いた。何をするにも、「なぜ?」「根拠は?」と聞かれ、いちいち説明するのが大変だった。「だから嫌われるんだ。」と心底思った。そんな学校の研究テーマは「グローバル人材の育成」だった。加速度的に進むグローバル社会を生きていくために必要な「能力と資質」を明らかにし、それを育んで見せるというのが、この学校のポリシーだった。想定される「未来」から逆算し、「今」の学校教育を展開しようとする「嫌われ者の言い分」が、いつのまにか大好きになっていた。
 ただ、学校が考える「グローバル人としての能力・資質」を信じて、その先の33年間教師を続けることには、やはり不安があった。国内にいてどれだけ「グローバル」を語ることができるのだろう。実際にグローバルな場所で生きている人々に出会い確かめてみなければ、「言い分」は真実味を持たないと思った。そこで決意したのが、日本人学校教員としての勤務だった。
 派遣が決まった時、恩師Aには、「いつになったら帰ってくるんや!」と怒られた。恩師Bには、「あなたこのままじゃ根無し草よ。」とあきれられた。いつのまにかNomad化している自分がおかしく、恩師の言葉も馬の耳に念仏であった。
 さて、日本人学校でのこの3年間は、私の教員生活の中で、もっとも充実した日々となった。日本人学校の子どもたちは、みな素晴らしい資質を持っている。特に素晴らしいのは、様々な価値観を受容する心を持っているということだ。その証拠に、子どもたちは人の話をよく聞く。特に、道徳や総合学習といった答えのない学習では、友達の意見にじっくりと耳を傾ける。時には、真っ向から対立する考えが出る時もあるが、衝突は起きない。それぞれに「大切にしていること」が何か、発言の裏にある思いを探ろうとする。総合や道徳に限ったことではない。算数のように答えが一つの学習でも、解き方が複数あることを子どもたちは知っている。どの解き方が最も効率的か、あるいは自分にぴったりなのか、異なる解き方の中にその価値を見出そうとする。そんな日本人学校の子どもと過ごす日々の中で、私は「Global Nomad」という言葉に出会った。
 「Global Nomad」という言葉は、月間海外子女教育という雑誌に紹介されていた。直訳すると、「世界的な遊牧民」だ。「Global Nomad」は、生まれた国を子どもの時に離れ、外国で育った後、再び自分の国、あるいは別の国に移動して生きる人々のことを指して使う。確かに世界を股にかけて旅する遊牧民のようだ。素敵な言葉だと思った。彼らを対象に、大変ユニークなアンケートが採られていたので、印象に残った質問を三つ紹介したい。先に二つ紹介する。
 Q1.「好きな国を選んで」と言われても答えられない。 Yes-40 No-3
 Q2.行動や信念において、孤立することを恐れない。 Yes-42 No-1
 質問の一つ目に多数のYesが寄せられるのは、どの国からも学ぶべきことがあり、影響を受けて育っているため、どれか一つを選ぶというのは難しいのだという。二つ目の質問は、国が変われば、社会的の規範も変わる。国を渡り歩く生活をするならば、規範は社会の中にではなく自分自身の中に見出す必要性を感じるからだそうだ。日本人学校の子どもたちを見ていると、置かれた環境においても、物事の考え方においても、まさに「Global Nomad」と言えると、この記事を読みながら感じた。私が知りたかった答えに一つたどり着いたような気がした。
 最後に紹介する三つめの質問は、私にとっても特別である。
 Q3.あなたにとって「ふるさと」とはどこでもなく、どこでもある。 Yes-40 No-3
 小さな町の教育観の正しさを証明するために始めた私自身の「遊牧」も、今では、それぞれの場所から学ぶべきところがあり、それぞれの場所の正しさがあると感じる旅に変わった。教師としての私の「ふるさと」もまた、三つの学校のどこでもなく、どこでもある。
 homeはなくとも、大切にしたい場所や人はどこにでもある。定住できない自分を根無し草だと笑わずに、これからもNomadな生活を続けていきたい。

(こだま・かずあき)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.