ハンガリーでみられるオリンピック放映は、当然のことながら、ハンガリー人選手中心になるが、その代わり日本人選手との対決はすぐにハンガリー人と話題になる。競泳200米平泳ぎのジュルタと北島の対決、陸上ハンマー投げのパルシュと室伏の一大対決にハンガリー中が沸いた。

 ハンガリーの競泳陣はオリンピック直前にデブレツェンで開催された欧州選手権のメダル獲得順位でトップとなり、オリンピックの活躍が期待されていた。ところが、競泳種目が始まって間もなく、400米個人メドレーで何と欧州選手権者のチェ・ラースローが予選落ちしてしまった。チェは予選でフェルプスと同じ組で100分の7秒差で1位と2位を分け合ったが、フェルプスがかろうじて8位で決勝に進出したのにたいし、チェは9位で落選というとんでもないハプニングから競泳種目が始まった。フェルプスは調子が上がらないまま、決勝でも日本の新鋭荻野公介に敗れて4位となり、その後の波乱を予想させる展開となった。オリンピックは世代交代を目の当たりにさせてくれる。それは残酷な現実を見せてくれるが、そうやって世代交代が進むのだから自然なプロセスでもある。
 嬉しいことではなかったが、ハンガリーは800米リレーで男女とも日本と決勝進出の最後の椅子を争った。自由形は依然として弱いものの、男子400米メドレーリレーで銀メダルをとったように、日本は全種目に底力を見せたのにたいし、ハンガリーは欧州選手権のレベルをさらに一段引き上げることができなかった。だから、ジュルタの世界新のおまけが付いた金メダルは、フラストが溜まったハンガリー人の溜飲を下げる大ニュースになった。全盛期を過ぎた北島と今が旬のジュルタの対決は新旧交代を印象付けた。それはパルシュと室伏の対決でも同じだ。

 37歳の室伏は昨年の世界選手権で81米を超える投擲で優勝し、これならオリンピックも行けると思わせたが、歳をとるごとに、最高の調子にもっていくのが難しくなる。満身創痍だろうから、体と相談しながら、体調を上げるしか方法がない。そこが若い頃との違いだ。室伏の投擲には明らかに回転のスピードが欠けていた。優勝ラインが低かっただけに惜しいが、優勝したパルシュや2位のプリモジュの方が見た目にも力強かった。万全の調子でなければ、若い選手に太刀打ちできない。しかし、これだけ長く競技生活を続けてきた室伏選手に、大きな拍手を送りたい。ハンガリー人の血を引く室伏だから、ハンガリーの選手に負けて本望だろう。
 アテネオリンピック後に金メダルをはく奪されたハンガリーのアヌシュ(ハンマー投げ)、ファゼカシュ(円盤投げ)はともにソンバトヘイのクラブ所属である。パルシュもまたソンバトヘイのクラブ所属で、ロンドンオリンピックはアテネのリヴェンジとも言える因縁の勝負となった。日本の昔の公団住宅のような貧しいパネルハウスでパルシュの母親たちが涙を流して喜ぶ風景を見て安堵感が走った。北島を破ったジュルタもまた、不況が続くハンガリーに、一筋の光をもたらしてくれた。日本が負けてハンガリーに元気を与えてくれたなら、それで良いではないか。

 たまたまTVのスウィッチを入れたら、競泳最後の種目、オープンウォーター10km女子の終盤だった。何と、室内競泳種目に出場していたリストフ・エーヴァがトップを泳いでいるではないか。ハンガリー人も彼女がこの種目に出場していることを知っていた人は少ないだろう。リストフは弱冠15歳でデビューし、自由形の400米と800米で欧州選手権や世界選手権で活躍したが、常に金メダルに届かず、銀メダルを集める「銀の女王」と揶揄された。怪我もあり、何時しか名前が消えた。2005年に20歳の若さで現役を引退した。2009年に現役復帰し、長距離を中心に再び世界を目指すことになった。コーチによれば、毎日、朝から黙々と一人で練習をこなしていたという。
 2位グループの4名を体2つほど離して数百米を残す最終盤に、アメリカのヘイリーが猛然とスパートをかけた。いったんは並びかけられたが、常にリードを保ち、残りの200mほどを体半分リードしたままゴールした。10kmも泳いで最後は0.4秒差だったが、安心して見ていられるレースだった。この種目に賭けたリストフの執念が勝った。初めて世界の舞台で金色のメダルを獲得したのだ。
 翌日のハンガリーの新聞は、「リストフの復活はハンガリー人に不屈の精神を教えてくれる」と論じていた。不況で失業している人や、経済的な困難に陥っている人も、努力すればもう一度立ち上がることができるという論調である。ふつうのハンガリー人が一番苦手なことでもあるが、スポーツの世界に限らず、世界を極めたハンガリー人は皆、持って生まれた才能に加え、凡人の何倍もの努力を重ねて道を究めている。ふつうのハンガリー人がオリンピックのメダリストのように皆努力すれば、ハンガリーの黄金時代もやってくるのだが。

 サッカー男子の初戦のスペイン戦はハンガリーでも生中継された。日本はこの初戦に合わせてコンディションを仕上げてきた。これにたいして、優勝を狙うスペインは明らかに決勝トーナメントに照準を合わせていた。決勝まで予選3試合、決勝トーナメント3試合を中2日の強硬日程で戦うのだから、選手とチームのコンディションをどう整えるか、どこにチームのコンディションを合わせて行くかは最大の課題になる。最初から全力を出したのでは後が続かないからだ。そこを日本が突いた。しかも、無名のワントップ永井が縦横無尽にスペインのディフェンスラインに突入し、スペインのディフェンスは混乱に陥った。思いがけない敗戦、それも完敗に近い敗戦で予定が狂い、後の2試合のスペインは空回りして予選落ちとなった。欧州選手権の優勝候補オランダが予選リーグで敗退したのと同じパターンである。
 女子も対戦相手によって、しっかりとした戦術が立てられていた。体力のない日本女子には効率的に戦うことが至上命令だった。ブラジル戦もフランス戦も、終盤は攻撃の嵐に曝されたが、勝負では勝ち逃げは常套手段だから、それを批判するのは間違っている。佐々木監督以下のスタッフの戦術が完全に嵌ったオリンピックだった。

 柔道は絶対的なスターがいない状態で、それほど期待もされていなかったが、あまりの弱さに拍子抜けした。柔道界の内情は分からないが、世界の強敵をしっかり分析し、対戦相手ごとに戦術を確認することがなかったようだ。そういう理詰めの柔道ではなく、猛練習による精神主義的な柔道が篠原イズムのようだ。昔の軍隊で使った「精神注入棒」で「無理偏にげんこつ」的指導を行っては選手が委縮するだけだ。メダルをとった選手へのねぎらいの言葉や金でないメダルをとった選手を称える言葉が監督からはなかったという報道もあった。コンディションを整えて行くという発想が現在の指導体制になく、選手は疲れているという批判もある。国際化した柔道界で日本が地位を築いていくためには、日本の柔道界がもっている古い体質の改革から始めないと駄目だろう。

 ダルヴィシュが大リーグで苦労しているのも、ボールの大きさを別とすれば、中4日の調整日数にあるのではないか。投球数を制限するという違いはあるが、中5日の日本に比べて、疲労の取り方に違いが出てくる。ひと昔前は連投するのがエースの証明であった。だから、年間30勝とか35勝する投手がいた。今の高校野球と同じスタイルでプロもやっていた。しかし、肘や肩を壊しては元も子もない。だから、現在のプロ野球の投手は厳格な管理に置かれている。調整日数が1日違うだけでもパフォーマンスに大きな違いがでてくる。サッカー欧州選手権の決勝戦で、イタリアは中2日、スペインは中3日での試合となった。明らかにイタリア選手の動きは鈍く、ほとんどチャンスを作れないまま完敗した。
 テニスで五輪優勝の冠を狙ったフェデラーは準決勝でデルポトルに粘られ、4時間半のゲームを強いられた。フェデラー基準で言えば、通常の3セットマッチ3試合分の時間だ。中1日あったが、ウィンブルドン決勝で破った休養十分のマリーにいいところなく完敗してしまった。フェデラーの歳を考えれば、五輪タイトルをキャリアに積み上げる最後のチャンスを失った。返す返すも、フェデラーのテニス人生でデルポトル戦が悔やまれるだろう。
 このように選手に休養をいかに取らせ、最高のコンディションにもっていけるかが、潜在能力を発揮させる重要な要因になる。そういう配慮なしに、ただ猛練習あるのみという一時代前の精神主義では、今の世界の競技水準に対抗できないことは確かだ。

 さて、競泳の不振でロンドンオリンピックの成果に暗雲が漂ったハンガリーだが、最終的に金8個を獲得して、国別メダルリストの9位にランクインした。ここ4大会は2桁順位が続いていたが、久しぶりに1桁順位に滑り込んだ。中欧の周りの小国を見ても、メダル獲得はハンガリーに及ばない。中欧の小国との比較が失礼になるほど、ハンガリーは大国に続く地位を保持している。以前にハンガリーのオリンピック記録について書いたことがある「小さなスポーツ大国」(『ハンガリーを知るための47章』明石書店)。ハンガリーは1896年の第一回大会からオリンピックに参加していて、これまで開催された25回のオリンピックで実に18回も1桁台のメダル獲得を記録している。夏季・冬季五輪の総メダル数でも、ハンガリーは並みいる大国に続き、10位の位置を確保している。競泳のメダル数でも男子が日本に続く歴代6位、女子が歴代5位(日本は9位)を維持している。これは意外だが、スポーツ大国にふさわしい歴史だ。競技人口が圧倒的に少ない小国ハンガリーがどうしてスポーツ大国の地位を保持できるのだろうか。ただ、水球を除けば、ハンガリーのメダルは最近ではほとんどが個人種目に限られていることだ。以前は水球やサッカーで金メダルをとっていたが、水球4連覇が阻まれたロンドンオリンピックでは団体競技での金メダルがなくなった。これも個人能力で世界と勝負するハンガリーの特徴を現わしているかもしれない。

 それぞれの国にはスポーツの伝統がある。日本もハンガリーも平泳ぎには伝統がある。私が子供だった頃も、日本の水泳は強かった。ずーと潜ったまま、急に頭を出す平泳ぎで、古川勝はメルボルンピックで金メダルをとった。富山国体の水泳会場となった高岡高校に隣接するプールで、メルボルンオリンピックで活躍した平泳ぎの古川、背泳ぎの長谷景治やバタフライの石本隆を追いかけたのを記憶している。当時の世界の水泳界は、アメリカ、日本、オーストラリアの三国の争いだった。日本でも三国対抗が行われ、「第五のコース、石本君、ブリヂストンタイヤ」などのアナウンスは今も耳に残っている。山中毅とマレー・ローズとの1500米の一騎打ちなど、話題に絶えなかった。それ以後、アメリカが断トツに強くなり、オーストラリアも自由形のスターが出るなど、日本の影が薄くなった。ところが、最近はスウィミングスクールの成果がでて、日本で次から次に若い有能な選手が出てくるようになった。さらに、一昔前まで水泳とは無関係だった国々、北欧やブラジルからも世界的な選手が輩出し、世界の舞台の競争はきわめて厳しい。オーストラリアやロシア、あるいはドイツなどは世代交代に失敗したのか、一時の勢いがない。こういう激しい世界の潮流の変化の中で、日本の若い選手が世界の舞台で堂々と戦っているのは頼もしい限りだ。フェルプスを破った荻野、ロクテをかわして金メダルかと思わせた入江など、物おじしない若者が世界の舞台で活躍するのは本当に頼もしい。

(もりた・つねお 「ドナウの四季」編集長)